黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

引揚げ寮の生活(その二)

2018年01月25日 | 戦争

引揚げ寮の一団は 

小さな町では異様なよそ者とみられていたようである

 

ひとつの家族の様に

お互いに助けあい 労わり合うことも多かった

母親たちは毎日食料の買い出しに数キロ以上遠くへ行く

 他の大人は勤めで 子供たちは留守番

炊事の係り と云ってもジャガイモの皮をむき塩煮にするだけだが

 

小学生高学年の子供たちは 

駅近くの材木置き場へ出かけ丸太の皮を剥ぎ

線路に落ちているコークス拾いなど 燃料の調達も欠かせない仕事である

SLの機関車が捨てた線路上のコークスを拾おうとして

「危ない」と 怒鳴られたこともあった

 

赤ん坊のおむつ洗いは 小川の氷を割って振り洗いする 

手がかじかんで感覚がなくなる 貴重な一枚を流してしまったことがあった

4歳の弟は栄養失調でおできだらけになったが おとなしい子だった

1歳の妹はお腹を空かせてよく泣く 

ジャガイモをつぶし食べさせたが痩せて這うことも出来ない

 

ほかの子供たちも弟妹同様に 年上が面倒をみるのはあたり前だった

 

「Yちゃんがトイレで泣いているよ」と 呼びに来た 

1階にあるトイレは

コンクリート作りで冷たく寒い もちろん汲み取り式である

みると肛門からピンク色の異様な物が出ている

痛くはないらしいが気持ち悪くて歩けない(後で脱肛と知った)

困ったが お母さんも他の大人は誰もいない

考えたあげく 

新聞紙をもんで柔らかくし お尻に当て静かにさすってみた 

続けるうちに肛門にすっぽり収まった よかった 

Yちゃんは泣き止みケロッとした顔をしている 

それが毎日になった トイレで泣くたびに誰かが呼びに来る

 

物が何もなく チリ紙もない トイレットペーパーなんて知らない時代である 

トイレには新聞紙を小さく切ったのが置いてあり 

用が済んだ後はそれで拭いていた 

 

私の怪しげな手当は専門職になった(笑)

もう一人 

同じ3歳のHちゃんも脱肛が出るようになった 

Hちゃんは痩せて小柄 脱肛も小さい 

大きいYちゃんと 毎日の二人のお世話は暖かくなるまで続いた 

脱肛も栄養失調からだったのだろう

 

4月になり新設された町立女学校の 1年生になり 

貧しいが希望に満ちた学校生活を送れるようになった

 

父が帰国した昭和23年11月以降も翌年秋まで

引揚げ寮の生活は続いた

コメント (3)
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