1946年(昭和21年)戌年の元旦
母と子どもたち
12歳の私は 引揚げ寮の一室で迎えた
母はジャガイモを茹でてつぶし
わずかなデンプンを混ぜて四角いイモ餅を作りお雑煮にした
軍隊の払下げの食器によそい
ちゃぶ台代わりの板を囲んでいただいた
お餅もご飯も見ることのない日々 それでもジャガイモだけより良かった
栄養失調でおできだらけの4歳の弟
1歳のお誕生日を過ぎても這うことも出来ない末の妹が不憫だった
それでも戦争が終わった安心感があった
ゼロからの出発の戌年の元旦だった
今年の元旦は
お雑煮や贅沢なお節を無事に食べ終えることができた
昨夜はウィンフィルのニューイヤーコンサートに酔い
今日は箱根駅伝をゆっくりテレビ観賞
あの頃に比べたら 天と地の差ほどもある
豊富な食べ物 暖かい住まい 贅沢な衣服
しかし戦争の足音が近づいてきているようで不安である
防衛費は膨大になり 国のお偉方は憲法を変えようとしている
北朝鮮の脅威はますます大きくなっている
このままではいけない 一人一人が考えなければ
恐ろしい方に向って行く国