2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

八.入社(3)

2012-04-04 08:00:00 | 小説
 かつてほとんどの大学にあった‘就職援護課’は、今では皆無に近くなった。就職支援は、ハローワークもしくは民間の人材バンクなどで一括して行われた。秋入学制度が定着した結果、学生は卒業までは学問に集中し、就職活動は卒業後の半年間が勝負になる。

 もっとも、学校で教えるカリキュラムも大きく変わってきており、以前に比べてかなり実践的な教育内容が重視された。
 例えば、中学生になると有価証券投資などをゲーム感覚で教える教科が新設され、資本主義経済の基本を実践的に学ぶことになる。小学生で覚える九九も、二ケタの単位つまり十九×十九まで暗記させられるようになった。こうした取り組みで、日本の子供たちの学習能力は大幅に向上した。また、語学教育は幼稚園から取り入れられた。従来の文法中心主義から実践的な会話主義に改めたため、外人教師を中心に会話や世界の文化や習慣を学べる場として多くの生徒の人気を集めた。
 高等教育では選抜制度に基づく奨学金制度が充実され、学校への各種助成金を手厚くする政策を進めたことで学費負担が大幅に軽減され、優秀な人材は家庭環境に左右されることなく学べる環境が整いつつある。

 しかしながら、復興五原則の五番目に掲げた『働く意欲のある者全員が参加できる社会の実現』にはかなりの時間を要した。この実現のためには、まず新卒者に偏重した企業の採用意識を変えていく必要があった。

 戦後生まれた終身雇用、年功序列の企業文化には、社会人一年生を採用して企業が育てることで、企業文化を継承していくといった集団主義的な考え方が根底にある。こうした企業文化が、戦後の高度経済成長を支えてきた面は誰も否定できないであろう。
 バブル期前後から能力主義や成果主義が唱えられ始め、職能資格制度の導入などを多くの企業が試みた。しかし、長年積み重ねられてきた集団主義型の組織の中で、個々人の能力を正しく客観的に査定することは難しい課題も生じた。つまり、本人の潜在労力ややる気など数値では表せない評定項目などは、評価者の主観的判断に委ねられることになるが、それが透明性を失わせる結果につながるなどの問題点が指摘された。
 能力ややる気があっても、集団主義になじまない職員は正当な評価が下されないという不満も残った。

 これには当初政府も頭を抱えたが、思わぬ経済上の要請から事態は開けた。それは、政府主導による急速な社会改革の結果、即戦力の人材確保に採用の軸足が向けられたことである。従来のように、白紙の人材を一から育ててゆくだけの時間的な余裕は企業にはなかった。多くの企業が即戦力となる人材を求めた結果、労働人口の流動化が活発になった。
 こうした背景を受けて、政府は官制人材バンクとも呼ばれるキャリア登録制度や、国が全額補助する専門性の高い職業訓練校の創設など、国民がキャリアを積める機会の創設を進めた。

 20歳以上の国民に義務付けられた国民ボランティア制度も、こうした政策に一役買っている。ボランティアの経験もキャリアとして登録できることに加え、早い時期から様々な仕事の経験を積むことで、若者に仕事に対する理解と関心を植え付ける効果があった。自分の生き方が分かれば、それに必要な身に着けるべきスキルもおのずと分かる。そうしたスキルを補うために、卒業後に職業訓練学校に通う若者も増えた。
 もちろん、職業訓練学校で身に着けたスキルも、自分のキャリアとして登録することができる。こうした様々な職業を経験することで、若者は仕事やスキルを学ぶ機会が与えられ、自分に合った仕事や生き方につなげることができた。

 また、キャリア登録制度は経験豊富な高齢者にとっても福音になった。
 2013年に基礎年金の支給年齢は65歳まで引き上げられたが、肝心の年金財源の安定化には全く目途が立っていなかった。同年発足したM政権は、これまでの発想の大々的な転換を求めた。
 そもそも年金財源問題に必ず挙げられる『労働力人口』とは15歳以上の就業者や休業者、完全失業者の人口の合計を指している。しかし、 そこには年齢による上限は設けられていない。一方、年齢の下限とされた15歳とは義務教育を終えた年齢であり、一般的には高校に入学する年齢である。実際に働いて年金を払える年代になるまでには、相当な時間が必要になる。労働力人口の定義は大正時代になされており、それが100年以上も使われていたことになる。
 年金の財源問題で常に議論されてきたのは高齢者一人を支える労働力人口の割合であるが、そもそも労働力人口という定義自体が時代に合致していないのではないか。労働力人口の定義を『働く意欲のある者の総数』と置き換えれば、労働年齢もおのずと上方修正する必要があるのではないか。そこにM政権が注目した。
 復興五原則の『働く意欲のある者全員が参加できる社会の実現』には、年齢に関係なく働く意欲のある人を労働力と見做すという考え方が根底にある。

 キャリア登録制度には、こうした働く意欲のある高齢者もその多くが登録した。これまで培ってきたスキルや経験が生かせる職場を希望する気持ちは年齢に関係ない。当初は冷淡であった雇用側も、即戦力となる人材の確保の必要に迫られており、経験者の確保は大きな経営課題となっていた。そうした労使双方の利害が一致し、キャリア登録制度を通じて高齢者もそれぞれの労働条件や処遇に見合った職種を選択できるようになった。

 同時に、最近では若者を含めた起業活動も目立つようになった。政府も、『起業のための助成制度』の充実や、将来性の見込める計画に対して投資ファンドを呼び込むためのビジネスマッチング制度といった政策を通じて、資金力や人脈に乏しい若者でも起業が可能なような政策を打ち出した。ハローワークに自分が行いたい事業内容やキャリア、5年間の事業計画や資金計画などの事業目論見を登録する。ハローワークには、各分野の専門性を持った起業アドバイザーが登録されており、ネットを通じて無料で起業相談を受けることができる。

 しかしながら、こうした急激な変化には必ず影の部分も発生する。経済の進展の結果、雇用の場は以前とは比べ物にならないほど拡大したが、効率化の急速な進展の結果、従来の雇用を支えた単純労働の需要は大幅に減少した。特に、長年単純労働に従事していた中高年齢層の雇用にそうしたひずみが顕著に表れた。『機械は人間から仕事を奪うな!』といったスローガンを掲げたデモも発生した。政府は、スキルレベルに応じた人材の再教育や、本人の経験や生活環境に応じた働く環境の整備などの対策を進めているが、この問題は完全に克服されるには至っていない。

 政府は、雇用流動化政策と同時に失業者に対する救済制度にも力を注いだ。一般に『リベンジ支援法』と呼ばれるものである。
 一般的な傾向では、3年以上失業状態が続くと就職は困難になる。そこで、『長期失業者雇用支援制度』を新設し、長期失業者や何らかの障害を抱える人を雇用した企業には、法人税の減免措置がなされた。同時に、ハローワークに失業者の就職を個別支援する就業コーチング制度を新設し、その人の特性に見合った職業紹介から就職斡旋、さらには就職後の勤務状況など細部にわたって面倒を見る体制を作った。
 就業コーチの最も重要な仕事は失業者が定職を得ることであるが、それだけにとどまらず就職先での本人の待遇にも気を配ることが求められる。会社によっては、法人税の減免を得るだけの目的で採用したものの、劣悪な環境で雇用者を受け入れるケースも少なくない。そうした雇用主を監視し、適正な待遇での雇用を促すことも重要な仕事であった。
 就業コーチの多くはハローワークの職員が当たっているが、就業率や職業定着率などの指標を設け、一定の割合に達するとコミッションが支給される、といったインセンティブが付与されている。

***

 会議が終わると、神部課長は今日入社した200人の入社手続きを行った。

 入社時には、健康保険、厚生年金保険、雇用保険の資格取得手続きと、給与所得の扶養控除や地方税の特別徴収の切替え申請、給与所得者異動届などの税務関係の申告が必要になる。税務関係の申告は、当人の家族構成などによって申請内容が異なるため、注意が必要になる。しかし、事前にクラウド上で本人の申請内容の精査が自動的に行われているため、人事部ではその確認を行うだけである。

 神部はタブレットに該当者の一覧を表示し、精査結果をチェックした上で申告書の送付を行った。これで、健康保険組合、管轄する社会保険事務所、ハローワーク、税務署、当人が居住する市区町村の税務課に向けて情報が一斉に伝達される。それぞれの申請に必要な証明書類はクラウド間で連携しているので、それらを人事部が扱う必要はない。
 折り返し、受理通知がそれぞれの機関から返送されてきた。同じ頃、健康保険組合は本人や扶養者のマイ・ページ上に健康保険証を送付していた。

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