2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

五.子供の誕生(6)

2012-01-29 16:47:35 | 小説
 翌日は、二月とは思えないほど暖かかった。

 磯村や妻の陽子の母は、朝からそわそわと落ち着かなかったが、当の陽子だけがどっしりと構えていた。毎日のように医師とコミュニケーションができたことが、出産に伴う不安を払しょくしたのかもしれない。

 義母は、「着替えはこれで充分かしら?赤ちゃんのおくるみは入れたかしら?」としきりにあたりを見回し、磯村もいざ出産ということで急に緊張と不安を覚えだした。
 九時になり、予約していたタクシーが到着した。

 「来たか」と磯村が急いで立ち上がると、妻が笑いながら「なに緊張してるのよ、今から」と言ってゆっくりと腰を上げた。
 『女は強い生き物だな』と改めて磯村は思った。

 玄関を出ると、運転手がタクシーの後ろのドアを開けて待っていた。以前のタクシーは、運転席からの操作でドアが自動的に空いたが、今では運転手が出てきて開ける方式が一般的である。自動化が進んだ今日、こうしたささやかな対応はむしろ尊重された。効率化によって、生活にゆとりが生まれたからかも知れない。

 タクシーは、ゆっくりと市内中心部に入った。
 かつての幹線道路は片道二車線が普通であったが、真ん中の車線にはトラムが走り、自動車が通行できる道は一車線が一般的になった。市街地は、タクシーやバスそれに一人乗りのシャトルに限定されており、自家用車は市街地の周囲に設けられたパーキングスポットに車を置いて、公共交通機関を利用することになっていた。
 運行状況も常にタブレットから確認できるので、乗り換えにストレスを感じることもまず無かった。

 自家用車で市街地を横断するには、地下に設けられた市内をバイパスする自動車専用道路を利用することになる。
 店に物資を運ぶトラックも、地下に施設されたロジスティック・チューブに置き換えられたため、市内を走ることはないため、積み下ろしのための駐車帯もなくなった。路肩帯は、自転車専用道路になっている。
 もちろん、災害時には地上の道路はトラムも含めてはすべて封鎖され、緊急車両の専用道路になる。

 病院に着くと、すでに産室が準備されており出産準備はすべて整っていた。
 磯村も、緊張した顔で手渡された介助服に着替え、産室に向かった。

 ***

 午後三時二十分、元気な産声を上げて男の子が誕生した。母子ともに健康である。
 「よくやった。ありがとう」と、磯村は震える声で陽子に声をかけた。緊張から一気に解放され、妻と産まれたての我が子を見つめる目が自然と潤んだ。

 「おめでとうございます」ネット画像で何度も顔を見ている医師が声をかけた。
 「ありがとうございます」磯村は、精いっぱいの声を絞って答えた。
 「体重3300グラム、身長50.2センチ。黄疸症状などありません。健康な男の子さんですよ」看護師が明るい声で語りかけた。
 「ありがとうございました」磯村は、何度も「ありがとう」を繰り返した。頭の中が真っ白になり、それ以外の言葉が出なかった。

 看護師は、タブレットに出生時の記録を入力し、それを医師のタブレットに転送した。医師は、入力された内容を確認したうえで、電子署名を付して電子カルテに送った。
 カルテの内容は、母子健康手帳に反映されると同時に、出生証明書として管轄の役所や健康保険組合などに転送される。

 ***

 通常分娩の場合は、入院は三日間程度である。個室に移ったころには、さすがに磯村も落ち着きを取り戻した。

 「名前、何にしようか?」磯村は妻に聞いた。
 「あら、あなた考えていないの」妻は不服そうに応じた。
 「一応考えてはいるけど、陽子の意見を聞いてからにしようと思って」
 「じゃあ、あなたが付けて。でも、変なのはいやよ」
 「幸多ってどうだい?」
 「こうたぁ?」
 「幸せが多いって書くんだ。この子の世代はもっともっと幸せになるんだ、という思いから考えた」
 「なんだかイマイチだけど・・・・まあいいか・・・縁起が良さそうな名前なので」
 「磯村幸多ちゃん。良い名前じゃないの」傍らにいた陽子の母も賛成した。
 「それじゃあ、決まりってことでいいね?」

 陽子が同意すると、磯村はタブレットを開いて子供の名前を手書きでゆっくり描くと、手のひら認証による電子署名を付けて送付した。
 折り返し、市役所から『おめでとうメッセージ』が届いた。そこには「磯村幸多」という名前が大きな楷書体で書かれており、その傍らに子供の国民番号が表示されていた。
 磯村は、それを一瞥してから妻に示し、「これでいいね?」と確認した。与えられる番号は乱数表から無作為に採番されるが、番号にも個人の好みがあるため、訂正することは可能になっている。ただし、一度決めた番号を後になって変更するのはかなり面倒なので、訂正は可能ではあるがあまりやられていない。

 同意の箇所をタッチすると、‘戸籍ならびに住民票の情報が更新されました。幸多ちゃんが幸せな人生を歩まれることを心からお祈りいたします’と、手続きが完了したことを知らせるメッセージが市役所から届いた。

 陽子の母は、自分のタブレットを見ながら考え込んでいた。
 磯村が覗き込むと「幸多ちゃんに着せる服、どれがいいかしら・・・これなんか似合うかしら・・・」と呟きながらしきりに思案している。
 「生まれたばかりの赤ちゃんに、似合うも何もないわよ」と、陽子は笑いながら応じた。
今日注文すると、翌日には病院に届くはずである。