三月も半ばを過ぎ、彼岸の中日を翌週に控え、ようやく春の暖かさが実感できるようになった。
昔の人が『春は三寒四温のうちにやってくる』と言ったとおり、春めいた日の翌日には冬に逆戻りしたような寒い日もあり、気温が安定しない日々が続いている。時代が進み、科学がいかに進歩しようと、また、人々の営みがどのように変化しようと、そうした人類が感じる生活環境とは無縁に、自然の営みは太古から営々と繰り返されている。
ロシアの文豪トルストイが『復活』の冒頭で書いた『人々が狭い場所に幾十万と集まって、彼らの犇めくその土地をどんなに台なしにしようと努めてみても、何にも生えないように地面に石を敷きつめたり、萌え出でる限りの草をすっかり抜き取ってみても、石炭や石油を焚いて燻してみても、またどんなに樹木を伐り減らし、動物や小鳥たちをすっかり追っ払ってみても――やっぱり都会でも春は春だった』という一節が改めて思い起こされる季節である。
今日は、‘三寒’に属する日のようで、昨日から降っていた雨は夜明けには上がったものの、北風が強く吹く寒い朝であった。
向井の妻芳子が朝食の後片付けをしていると、長女の希が起きてきた。
「今日はゆっくりでいいの?」と芳子が聞くと、「うん。午前の授業が休講になったので、今日は午後から出るの」と希は答えて、台所に入りトーストを焼き始めた。
「お父さんは会社に行ったの?」
「いつものように7時ごろに出たわ。良治はまだ寝ているようだけど」希のカップにコーヒーを注ぎながら答えた。
「いいなあ、高校生は。春休みがしっかりあって」希はコーヒーをすすりながら言った。
今やほとんどの大学で秋入学制度が取り入れられ、9月の新学期から冬休みを挟んで3月までは前期で、月末の二週間は前期試験に充てられている。そのため、冬休みから3月にかけては結構忙しい時期になる。
「前期試験の準備は大丈夫なの?冬休みはスノボに行ったりして、いい加減遊んでばかりいたけど」と芳子は心配そうに聞いた。
「まずまずよ。この間の論文でも、指導教授から褒められたわ。論旨が明確に整理されているって」と希は、トーストを口に運びながら少々得意げに答えた。
***
大学が秋入学を開始したのは、2014年に東京大学が先行的に始めて以来、数年間で全国の多くの大学に波及していた。もともとは海外の学校とのタイムラグを埋めることで、海外の優秀な留学生を確保したり、海外留学を希望する学生に門戸を拡大することがその主な目的であったが、制度が決まるまでは卒業後に就職するまでの期間が空白になることへの懸念が多く寄せられていた。
しかしいざ実施されると、卒業後の半年間に就職活動の時期がピークを迎えるため、大学在学中は学業に専念することができるといったメリットが見えてきた。また、卒業後の活動はキャリアとして認められることから、就職までの期間に実社会の活動を通じて自己研さんを積める機会を得ることもできた。
2017年には高等教育制度が大幅に見直され、高校の3年間の実績を基に選抜制度が設けられ、その選抜に受かった学生は、高等教育を管轄する県から優先的に大学進学の権利が与えられ、授業料の全額は国が負担することになる。その際、進学する大学と学部は、国立大学と県立大学の中から県が指定することになる。
選抜に漏れた学生や、県が指定する大学や学部以外の大学に進学したい学生は、入学試験を受けることになるが、ここでも入試成績の上位者には学費補助などが支給される。
学問を受ける権利は、家庭環境の如何にかかわらず全員が平等に発生するという考え方に基づく制度である。
また、なかには家庭の事情で就業を余儀なくされる優秀な学生もいるが、そうした学生のために夜学や在宅教育も充実し、一定の成績を修めれば一般大学と同じ学位をえることもできる。もちろん、その際の授業料も国が保障する。
高等教育制度改正の最大の目的は、優秀な人材を育成することが国益に直結するという、極めて現実的な考え方に基づいている。
2017年当時、国は出生率の低下に伴う労働力人口の減少に悩んでいた。一連の復興政策によって失業率は低下したものの、一定レベルの社会的生産性や質を維持するためには、効率化の推進だけでは限界があった。むしろ、効率化は単純労働の領域には有効であるが、国の産業を支えるけん引役にはなり得ない。次代の社会を担っていく人材の育成こそが抜本的な解決になる、という議論が活発になった。
同時に、個人の個性や適性を重視することも社会の活性化には欠かせない要素である。
個性に応じた教育が言われ出してから久しいが、そうした個性に応じた教育体制の実現も、一律の学力測定を基にする受験制度が大きな壁になっていた。一定の基準で学力を測る受験制度が存在する限り、知識の多寡が本人を判断する唯一最大のバロメータになることは必然である。
高校の三年間の実績で進路を選択する選抜制度は、こうした考えからの上で形成された。ここで用いられる実績は、必ずしも学業成績だけではない。部活や課外活動も含めてあらゆる選択肢の中から選抜される。この選抜方法は公開されておらず、基準も毎年変えられた。こうした選抜方法は不公平が生じるとの声も一部にはあったが、結局次代を背負うにふさわしい人材を見出す上で必要不可欠な制度であるとの結論に至った。こうした選抜制度は、スウェーデンなどで以前から実施されていた政策を模したものであるが、社会の質的向上に大きく寄与することになった。
入学制度を改めると同時に、大学に入学した後の学業実績は重視されるようになった。
3月の前期試験と7月中旬に行われる後期試験で進学の可否が判定され、卒業時には総合的な実績が論文の形で審査された。これは、学生にとっては大きなプレッシャーになっている。試験も、知識を問う○×式の出題形式から論文中心に変わり、本人の理解度と問題意識の質が問われるものになっている。また、試験の中には個人の研究成果を発表する機会も設けられ、その際には教授を中心とした審査員の前で発表することでプレゼンテーション力も審査される。
教授が教える内容を丸暗記しても、決して良い得点は与えられない。そのため、学生は絶えず疑問と問題意識を持つことが要請された。つまり、教えられたことを覚えるだけの教育は高校までで終了し、大学では個々人として自立した学問の追求が要求された。
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昔の人が『春は三寒四温のうちにやってくる』と言ったとおり、春めいた日の翌日には冬に逆戻りしたような寒い日もあり、気温が安定しない日々が続いている。時代が進み、科学がいかに進歩しようと、また、人々の営みがどのように変化しようと、そうした人類が感じる生活環境とは無縁に、自然の営みは太古から営々と繰り返されている。
ロシアの文豪トルストイが『復活』の冒頭で書いた『人々が狭い場所に幾十万と集まって、彼らの犇めくその土地をどんなに台なしにしようと努めてみても、何にも生えないように地面に石を敷きつめたり、萌え出でる限りの草をすっかり抜き取ってみても、石炭や石油を焚いて燻してみても、またどんなに樹木を伐り減らし、動物や小鳥たちをすっかり追っ払ってみても――やっぱり都会でも春は春だった』という一節が改めて思い起こされる季節である。
今日は、‘三寒’に属する日のようで、昨日から降っていた雨は夜明けには上がったものの、北風が強く吹く寒い朝であった。
向井の妻芳子が朝食の後片付けをしていると、長女の希が起きてきた。
「今日はゆっくりでいいの?」と芳子が聞くと、「うん。午前の授業が休講になったので、今日は午後から出るの」と希は答えて、台所に入りトーストを焼き始めた。
「お父さんは会社に行ったの?」
「いつものように7時ごろに出たわ。良治はまだ寝ているようだけど」希のカップにコーヒーを注ぎながら答えた。
「いいなあ、高校生は。春休みがしっかりあって」希はコーヒーをすすりながら言った。
今やほとんどの大学で秋入学制度が取り入れられ、9月の新学期から冬休みを挟んで3月までは前期で、月末の二週間は前期試験に充てられている。そのため、冬休みから3月にかけては結構忙しい時期になる。
「前期試験の準備は大丈夫なの?冬休みはスノボに行ったりして、いい加減遊んでばかりいたけど」と芳子は心配そうに聞いた。
「まずまずよ。この間の論文でも、指導教授から褒められたわ。論旨が明確に整理されているって」と希は、トーストを口に運びながら少々得意げに答えた。
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大学が秋入学を開始したのは、2014年に東京大学が先行的に始めて以来、数年間で全国の多くの大学に波及していた。もともとは海外の学校とのタイムラグを埋めることで、海外の優秀な留学生を確保したり、海外留学を希望する学生に門戸を拡大することがその主な目的であったが、制度が決まるまでは卒業後に就職するまでの期間が空白になることへの懸念が多く寄せられていた。
しかしいざ実施されると、卒業後の半年間に就職活動の時期がピークを迎えるため、大学在学中は学業に専念することができるといったメリットが見えてきた。また、卒業後の活動はキャリアとして認められることから、就職までの期間に実社会の活動を通じて自己研さんを積める機会を得ることもできた。
2017年には高等教育制度が大幅に見直され、高校の3年間の実績を基に選抜制度が設けられ、その選抜に受かった学生は、高等教育を管轄する県から優先的に大学進学の権利が与えられ、授業料の全額は国が負担することになる。その際、進学する大学と学部は、国立大学と県立大学の中から県が指定することになる。
選抜に漏れた学生や、県が指定する大学や学部以外の大学に進学したい学生は、入学試験を受けることになるが、ここでも入試成績の上位者には学費補助などが支給される。
学問を受ける権利は、家庭環境の如何にかかわらず全員が平等に発生するという考え方に基づく制度である。
また、なかには家庭の事情で就業を余儀なくされる優秀な学生もいるが、そうした学生のために夜学や在宅教育も充実し、一定の成績を修めれば一般大学と同じ学位をえることもできる。もちろん、その際の授業料も国が保障する。
高等教育制度改正の最大の目的は、優秀な人材を育成することが国益に直結するという、極めて現実的な考え方に基づいている。
2017年当時、国は出生率の低下に伴う労働力人口の減少に悩んでいた。一連の復興政策によって失業率は低下したものの、一定レベルの社会的生産性や質を維持するためには、効率化の推進だけでは限界があった。むしろ、効率化は単純労働の領域には有効であるが、国の産業を支えるけん引役にはなり得ない。次代の社会を担っていく人材の育成こそが抜本的な解決になる、という議論が活発になった。
同時に、個人の個性や適性を重視することも社会の活性化には欠かせない要素である。
個性に応じた教育が言われ出してから久しいが、そうした個性に応じた教育体制の実現も、一律の学力測定を基にする受験制度が大きな壁になっていた。一定の基準で学力を測る受験制度が存在する限り、知識の多寡が本人を判断する唯一最大のバロメータになることは必然である。
高校の三年間の実績で進路を選択する選抜制度は、こうした考えからの上で形成された。ここで用いられる実績は、必ずしも学業成績だけではない。部活や課外活動も含めてあらゆる選択肢の中から選抜される。この選抜方法は公開されておらず、基準も毎年変えられた。こうした選抜方法は不公平が生じるとの声も一部にはあったが、結局次代を背負うにふさわしい人材を見出す上で必要不可欠な制度であるとの結論に至った。こうした選抜制度は、スウェーデンなどで以前から実施されていた政策を模したものであるが、社会の質的向上に大きく寄与することになった。
入学制度を改めると同時に、大学に入学した後の学業実績は重視されるようになった。
3月の前期試験と7月中旬に行われる後期試験で進学の可否が判定され、卒業時には総合的な実績が論文の形で審査された。これは、学生にとっては大きなプレッシャーになっている。試験も、知識を問う○×式の出題形式から論文中心に変わり、本人の理解度と問題意識の質が問われるものになっている。また、試験の中には個人の研究成果を発表する機会も設けられ、その際には教授を中心とした審査員の前で発表することでプレゼンテーション力も審査される。
教授が教える内容を丸暗記しても、決して良い得点は与えられない。そのため、学生は絶えず疑問と問題意識を持つことが要請された。つまり、教えられたことを覚えるだけの教育は高校までで終了し、大学では個々人として自立した学問の追求が要求された。
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