2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

【雑感-11】秘匿すべき情報について考える

2013-11-22 21:02:01 | 日記

 今国会に上程された特定秘密保護法案を巡り、様々な議論が起こっている。朝日新聞では、「異議あり~特定秘密保護法案」という連載を始め、各界の著名人の反対意見を掲載していく方針のようだ。

 その第一回は作家の落合恵子氏。無断転載は認められていないので、要点を一言で言うと、特定秘密保護法で戦前の様な言論弾圧社会になり、原発事故等の情報の隠ぺいが正当化され、市民に情報が届かず民主主義の根本が崩れる、と主張されておられる。この想像力(空想力と言うべきか?)は、さすが著名な作家先生だけに瞠目に値するとは思うが、かなり一方的な断定的な意見に思えてならない。

 まず、福島原発事故の情報が「特定秘密情報」に該当すると主張されておられるが、それはどういった情報のことを指しておられるのだろうか?「原発情報=テロ対策=情報の隠ぺい=民主主義の崩壊」といった四段論法にはかなり無理があるのではないか。原発の詳細な設計図や運転マニュアル、核廃棄物等の危険物の移送経路やスケジュールなどは、テロの参考情報となり得るかも知れないが、そうした情報はこれまでも公開されてはいないし、一般の市民にとってさほど必要な(ましてや民主主義を危機に晒すような)情報とも思えない。
 氏は冒頭で「反原発運動が長続きしなかった反省から秘密保護法案に反対している」と述べられているが、この二つの問題がどのように関係しているのだろうか? 朝日新聞というブランドを借りて、「為にする議論」を反原発運動の意趣返しをされておられるような気さえする。(そもそも、著名人の名を借りて危機感を煽る新聞社の姿勢の方が問題かもしれないが)

 誤解して欲しくないが、筆者は決して特定秘密保護法の制定に賛成しているわけではなく、その是非について本稿で語るつもりもない。むしろ、重要な法案にも拘らず、中身の議論があまりに空疎であることに危機感を抱いている。

 国民の誰もが触れられたくないプライバシー情報を持っているように、また、企業にも社内秘として厳重に管理すべきがあるように、国家にも秘すべき情報が存在しているのは明白である。こうした議論の際に最も重要なのは、どういった種類の情報がそれに該当しているのかということと、秘密情報を知り得る立場の人がどのような用途で用いるかの二点であると思う。

 特定秘密情報にしても、かねてから議論になっている個人情報にしても、十把一絡げに捉えて賛成・反対を論じるのはあまりに危険であるとともに稚拙な議論に思えてならない。これでは『群盲、像を評す』のようになりはしないだろうか?

 1766年に情報公開法の先駆けとも言える『出版自由法』を制定し、1973年にこれまた世界に先駆けてプライバシー法を施行したスウェーデンでは、情報に対する厳格な定義を行い、機微情報に関する運用についても事細かに決めている。
 そもそも、スウェーデンでは公的機関が保有するあらゆる情報は公開が原則となっており、政府や政治家の歳出・歳入に関する情報のほか、国民との間で取り交わされた手紙・電子メールの類い、さらには政府機関が保有する全国民の個人番号と住所及び課税所得に至るまでも公開の対象とされている(なお、当然ではあるが、外交、軍事、治安等に関する情報は厳重に秘匿されている)。
 プライバシー法は、こうした公開される情報に一定の枠を設けるとともに、用途や目的に応じて情報の取り扱い者を定めることで、国民生活に支障を来さないために定められた法律である。

 プライバシー法を子細に読むと、例えば人種・出身民族、政治信条、信教・思想、労働組合の構成員、健康・性生活に関する情報は機微情報と定義されており、そうした情報は処理や活用が禁じられている。一方で、記録された当人がその情報の処理に対して明白な同意を与えている場合や、保健・医療に携わり守秘義務を課されている人は、機微情報を処理することができるとされている。
 例えば、意識不明でどこかの病院に担ぎ込まれたとしても、国民番号から患者の診療記録や既往症、投薬履歴まで確認することができ、必要な処置を迅速に行うことが可能になっている。スウェーデンのデータ保護検査院(Datainspektionens)を訪ねた折に、「患者の医療情報を他の医師が閲覧することに抵抗はないか?」と聞いたところ、不思議な顔をされ「自分の命より個人情報を守ることを大事にしようと考える人を私は知らない」と言われた。

 また、日本と同様(あるいはそれ以上に)社会保障費の高騰に悩むスウェーデンでは、医療機関が社会保険庁や雇用庁などのデータベースにある患者の情報を参照しながら、最適な医療を提案する仕組みが整備されている。つまり、高額な医療を施しても社会復帰を早めたほうが本人にとって最良か、といった客観的な判断材料を医師と共有することで、患者が納得する治療計画を立てることができる。

 日本では、このような情報は全て『個人情報』としてまとめて扱われる傾向があるように思える。こうなると、全ての情報が隠蔽すべき機微情報と見做され、非常に窮屈な運用を強いられることになる。個人情報保護法が施行されて間もない時期に起こった福知山線の脱線事故の際に、病院に駆け付けた家族が搬送された家族の安否を聞いたところ「個人情報なので教えられない」と病院から拒否されたことが話題になったが、個人情報の何が機微に関わる情報で、そうした情報はどのように取り扱うべきかといった中身の議論がないまま、個人情報保護法が成立したことによって生じた、制度上のひずみと考えられる。

 一般に、医療機関が扱う患者の情報は機微情報とされているが、全てのカルテ情報を一部の医者や医療機関が独占することで生じる弊害は命にかかわる危険もある。また、複数医療機関を受診した結果、薬の飲み合わせによって重篤な症状に陥る危険もある。大量の投薬を受けたことで医療費や医療保険費の負担が増えるなどといった弊害などを含めると、枚挙を問わない。
 こうした問題は、マイナンバーが導入され、国民一人ひとりの診療や投薬履歴がしっかり管理されればかなりの部分で解消されると思われるが、医師会などでは患者の個人情報保護を理由に導入には極めて消極的である。こうした日本の実態をスウェーデンのデータ保護検査院が知ったら、何とコメントするだろうか。

 さて、話が特定秘密情報から個人情報に移ってしまったが、考える上で前提とすべき点は同じだと思う。つまり、秘匿すべき情報とは何で、誰がどういった用途で管理し取り扱うのか、そうした制度上のプロセスを明確にすることが重要である。同時に、秘匿すべき情報の保護を目的としたデータ保護機関を中立組織として設置(日本はマイナンバー法に書かれている、「特定個人情報保護委員会」の設置は決まっている)し、そこでは機微情報を十把一絡げに捉えるのではなく、情報の性質と用途に見合った運用細則の制定とルールの公開を行なうべきである。

 秘匿すべき情報は個人でも企業でも国家でも必ず存在する。重要なのは、それらの情報が適正に管理され取り扱われるかである。もちろん秘匿情報と雖も、ただ金庫に入れて封印しておけば良いということではない。情報は使って初めて価値を生じるものである。どのように扱われるかが問題である。そうした点を明確にしていくことで、冒頭に紹介したような恣意的な意見も『幽霊の正体見たり枯れ尾花』的な笑い話になることを期待している。

 スウェーデンで聞いた個人情報保護の定義は、「個人の尊厳もしくは社会的信用を害する用途で情報を使用、もしくは害する結果に至った場合」と、至って明快である。情報公開法を18世紀に確立したスウェーデンが、いち早くプライバシー法を成立させた理由も、情報公開制度を維持するためと聞いて、大いに納得できた。
 情報の公開と保護は、まさに車の両輪なのである。



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