2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

十.帰郷(4)

2012-04-12 08:00:00 | 小説
――さて、総理としての四年間についてお聞きしたいのですが、この四年間は日本が劇的に変わった時代として、M総理のお名前とともに後世の歴史に残ると思いますが、今振り返ってこのような急速な変化を進めてこられた原動力はなんだったのでしょうか?
「誤解していただきたくないのですが、変化を推し進めたのは決して私や私の内閣などではなく、国民の一人ひとりの選択だったのです。私たちは、そのためのきっかけを提供したに過ぎません。
私が総理に就任した時は、まさに危機のど真ん中にいました。大震災からの復興も進んでおらず、原発問題、がれきの処理、財政危機、少子高齢化問題、雇用問題、医療崩壊の危機、年金問題。挙げればきりがないほどの懸案事項がそのまま引き継がれたのです。そのような大問題を、内閣や官僚だけで到底こなせるとは思えなかった。そこで、復興に対する原則を提示したうえで、抱えている問題の本質や閣内で議論されていることを包み隠さず国民に伝えて、最後は国民の選択に委ねようと思ったのです。それを『復興五原則』にまとめました」

――五原則の二番目にある『国民参加による開かれた政府の構築』ですね。
「そうです。官僚たちからはそんなことをしたら社会混乱につながるといった意見も多く出ました。しかし、国の将来を決めるのはあくまでも国民です。また、国家が危機に瀕した時に真っ先に困窮するのも国民です。国家と国民は運命共同体なのです。
運命を左右するようなことを、内閣や一部の官僚が独断で行っていいはずがありません。危機を共有して、政府が出す方針に対して広く民意を反映しながら進める、これが最も基本だと考えました」

――しかし、M総理にはすでに腹案もあったのではないですか?それが『復興五原則』に結実されたという。
「もちろん、政権を預かる以上は将来に向けた青写真くらいは持っていなければどうしようもないですよね。五原則に掲げた項目には、私なりの成算は持っていました。
しかし、例えて言うならば劇薬のようなものですから、当然副作用も出る恐れが充分にあります。戦略を進める上では、かなり激しい抵抗もあることも覚悟しなければなりません。それだけに、国民の選択が重要だったのです」

――五原則に対する実効戦略を立案する過程では、内外の有識者たちの様々な意見も聞かれましたね。
「そうです。日本を復興させるためには、官僚や国内の知識人と呼ばれる人だけでは不充分と思いました。長年、国家の土台を支えてきた人には、それなりの自負もありますが、変革に当たってはかえってそうした過去の成功体験が邪魔になることが多いのです。
前にも申しましたように、変化を恐れずダイナミックに変えていかなければならない時は、それまでの経験や知識を一旦捨て去らないことには先が見えてきません。私が当時期待した人材は、従来の慣習に囚われずに自由に発想できる人だったのです。
それと、海外の有識者を招聘したのには別の狙いもありました。つまり、日本が再生しようとしていることを世界に印象付ける狙いです。当時、国債残高が危険水域に達しており、国際的な評価次第によっては暴落の危機さえありました。つまり、それほど日本への投資熱が冷え切っていたのです。そうかと言って、国債を国内で買い支えるのも、増税に頼った財政健全化にも限界があります。日本を再生して、経済を復興させる明確なシナリオを世界に発信していくことがまず必要でした」

――総理の掲げた『復興五原則』は、まさに日本再生のシナリオでしたね。
「いや、五原則はあくまで原則ですので、その実現に向けた明確な戦略がなければシナリオにはなりません。それで、私が就任した年の内までに、何が何でもシナリオを作る必要があったのです」
復興五原則に基づく復興ビジョンは、2013年12月に閣議決定した。

――まさに時間との戦いでしたね。
「そうですね。自分でも薄氷を踏む思いでしたよ」

――Mさんが総理に就任されて真っ先に手掛けたられたのが公務員改革でした。国家戦略府を作り、そこに政策と人事に加えて予算までを一本化しました。
「公務員改革は、言うなれば改新党が公約した仕事ができるかどうかの試金石でした。いくら政策を掲げても、肝心の官僚が動かないことには仕事は進みません。歴代の内閣も、それぞれ素晴らしい理想を掲げて発足したと思います。しかし、官僚をうまくリードしていかない限り、何事も成立させることはできません」

――行政改革は、これ自体が大変な仕事でしたね。
「優秀な公務員になるほど、職務に対する責任感が強くなります。しかし、長年組織にいることで、組織の利益が国民の利益に通じるといった固定観念が生まれます。
それは一般の会社員の方々と全く同じです。会社が発展することで社会が豊かになると信じて会社の利益追求に邁進している社員の方が大半だと思います。そうした傾向は、上級管理職になるほど顕著になるものです。
行政の場合は、これが‘省益の追及’と言う形で官僚たちの行動目標になっていきます。その度が過ぎると、次第に国民や社会の利益が二の次になってしまうのです。結果的に省や部局同士の競争が激しくなり、それにつれて行政組織が肥大化し、新しい政策を行うたびに受け皿の組織が必要と考え、結果的に大量の予算が費消されることになります。
これでは国は持ちません。私が就任した時期はまさに肥大化した行政組織が林立し、互いに角を突き合わせているといった状況でした。まずここにメスを入れない限り、日本の再生はありえないと確信しました」

――そこで、官僚の意識改革に乗り出したわけですね。
「これも誤解していただきたくないのですが、官僚たちの多くは優秀で真面目な社会人です。何よりも国益に対する意識は高いと思います。世間で言われているような特権階級的な意識などを持っている官僚は、私の知る限り一人もおりませんでした。
問題の根源は、官僚の資質ではなく官僚を支える組織そのものにあったのです。ですから、省ごとに出来上がったピラミッド型組織を改ため、人事権を国家戦略府に一元化したのです」

――人事の一本化による人事ローテーション政策ですね。
「そうです。官僚一人ひとりのキャリアや個性を生かして、省の人事の壁を取り外しました。元々が優秀な人材ですから、始めこそは抵抗がかなりありましたが、省を超えた人事が定着すると皆さんよく対応されましたよ」

――翌2014年には情報公開法の大改正があり、同年には大規模な医療改革に着手されました。医療改革法案が成立したのは2年後の2016年ですから、かなり難産でしたね。
「いやいや、すべてが難産でした。この間には消費税の値上げもありましたし。また、2016年には電力の完全自由化、発送電分離も行いました。これほどの改革は、到底私の内閣の力だけでできるものではありません。国民の支持があったからできたのです。すべては国民が選択したことです」

――そうした改革も、透明な政府を目指した情報公開法の改正が布石になっているということですね。では、国家と国民の関係についてMさんのお考えをお聞かせください。
「私は、国民はいわば国家にとっての株主さんだと思っています。国民は、税金という名の投資を行っているわけです。同時に、政治家は国家の経営者で公務員は従業員です。国民は、国家に投資をすることで、それぞれの事業を動かし、生計を立てているわけです。
そう考えると、おのずと国家を預かる者の責任は決まってきます。株主に情報を公開するのは当然の義務ですし、株主の意向を無視して暴走などできるわけがありません。これは、民間企業では当然のことですよね。企業の株主と唯一違う点は、株主は日本に住む限り投資を義務付けられている点です。それだけに、国家を預かる者の責任は重くなります」

――かつては官僚支配などと言われてきましたが、国民を国家の株主と考えると、官僚支配などとんでもないことだということが分かりますね。
「官僚は国家の従業員ですから、思う存分に働いてもらう必要があります。決して萎縮してもらっては困るわけです。国家の命運を左右する存在といってもいいでしょう。
しかし、民間の企業以上に厳正な内部統制は重要です。これは経営者である政治家の仕事です。官僚といえども組織人ですから、本分を忘れて組織の論理を優先することもあります。それが行き過ぎて本来の国家目標に支障が生じれば、厳しく統制していかねばなりません。また、優秀な人材はそれにふさわしい処遇を持って応えるべきでしょう。
管理職以上の人事を国家戦略府に一本化したのは、組織の論理で人事が左右されないことに加えて、優秀な人材を適材適所に配置することで、より強力な組織を作り上げる狙いがありました。人材の発掘と能力を十二分に発揮させることは、国家の経営者である政治家にとって最大の仕事ですから。官僚が国益の観点から課題をしっかり見極めて、政治家に正確に伝えることで、適切な判断ができるわけです。また、その結果を株主である国民に伝えることで、最終的な評価を下してもらう、ということです。これは、普通の企業ではごく当たり前のことですよね」

――国家と国民、相互依存関係が成り立ってこその信頼ある国家ということですね。それでは最後に、今後の日本に向けたお考えをお聞かせ願えますか。
「私は、国家は生き物だと思っています。成長もすれば老化にも陥る。風邪も引くし病気にもなる。怒りがたまると暴力にも及ぶこともある。国家は人間の集合体ですから当然と言えば当然ですが。それだけに、体調や感情には常に気を配る必要があります。その時々に応じた対処をしていかないと、体調は維持できませんからね。過去の前例や慣習にとらわれていたら、こうした対処はできないことになります。
それから、何よりも大事なことは、将来に希望を持ち続けることでしょう。人間でも、希望を失った人は立ち直るのが難しいですよね。国もそれと同じです。将来の希望を持って、どんな国にしたいのかを常に追い求めることが、国家としての魅力につながるのではないでしょうか。魅力ある国には世界の注目が集まります。逆に、将来を悲観して萎縮した国は国際的にも存在の場を失います。政治家の最も重要な仕事は、将来の希望を国民と共有し、ともに希望の未来に向けて歩いていくことではないでしょうか」

――今日は、長時間有難うございました。ますますお元気にご活躍されることをお祈りいたします。
「有難うございます。自分に合った仕事を見つけた人の目の輝きに元気をもらっていますから、私もまだまだ老けるわけにはいきませんよ」と言って、M氏は持ち前の優しさに満ちた笑顔でスタジオを後にした。

***

 「やはり、歴史に残る名宰相だな」と、感に堪えたように孝一郎がつぶやいた。
 「M総理の改革がなければ、今頃はとんでもなく暗い世の中になっていたかも知れないね」と向井は応じた。
 「『天は危急存亡の時に救世主を遣わす』というが、Mさんは天に選ばれた人やったちゃのかもしれんな」と孝一郎が言った。
 「Mさんが総理になった時って、私はまだ小学生だったので、何をした人かってよく知らなかったけど、素晴らしい首相だったのね。でも、あの頃って地震の後に原発問題なんかが起こって、とても暗い時代だったような気がする」と希は遠くを見るように言った。
 「でも、宮古市の美奈子ちゃんのように、たくましく立ち直った子も大勢いるんだ」と、向井が希に言った。
 「そうね。美奈子ちゃんが心に受けた大きな傷を克服して、多くのお年寄りたちに寄り添えているのも、日本の復興を後押しした大勢の人のお蔭ね」と芳子も言った。
 希は母の言葉に涙ぐんで「いろんな人のお蔭で今の生活があることがよくわかったわ。今日のMさんのインタビュー、美奈ちゃんも見たかなあ。」と言った。
 「人間は大自然の前には無力だけど、自然を受け入れて乗り越える知恵を持っている。あとは、乗り越えようとする意志があるかないかで結果は大きく違ってくると思うよ。Mさんには、そうした強い意志があったのだろうな」と向井が言った。
 そして、二人の子に向かって「そうだ。明日の朝雨晴海岸に日の出を見に行かないか?」と誘った。
 「それは良いな。せっかく来たのだからぜひ見てきなさい。大自然の息吹に、きっと感動するぞ」と孝一郎も勧めた。
 「日の出って、朝の五時前でしょ」と良治が言った。
 「そうさ。四時半ごろに海に行かないと見られない。でも、二人にはぜひ一度見てもらいたいんだ。今日は早く寝ような」

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