今まで書いてきたことを、簡単にまとめるとこうなる。
資本主義は自由競争が基本だが、資本家が人々を支配している。
社会主義は平等を追求しているが、国が人々の自由を奪っている。
な~んだ、どっちも不自由じゃん、乱暴に言うと。
資本主義は自由に見えて実は不自由、社会主義は不自由に見えてやっぱり不自由。
どちらかを選択しなければならないのだろうか。
両極端に走るのではなく、もっといいやり方があるはずだ。
で、想定してみたのが、「護送船団方式」。
もう一つは、「小出方式」。
前者は、規制を駆使し、日本古来の「不自由」を少し我慢しながら、全体の発展を目指した。
後者は、「雪」というハンデ(不自由)と共存しながら、全体で地味~に楽しく生活している。
たぶん、我慢できる(すべき)「不自由」もあるのだろう。
特に日本人にとっては。(もちろん、自然な「不自由」と人工の「不自由」は違う)
この先のことを書くと、また面倒くさくなるので、下の方に追いやった。
特に、この資本主義が行き詰った現代に、大事な視点だと思うんだけどね。
小出にも、大資本の魔の手は忍び寄っている。その世界バージョンが「グローバル経済」で、特にバブル以降、日本もその波に飲み込まれた。「自由」というルールの中で、「規制」は認められないのだ。となれば、大国有利に決まっている。だから、国民国家前提の資本主義は成り立たない。
だいたい、親米か親中かの二択ではない。第三の道がある。日本、朝鮮、台湾の三国同盟。(南北朝鮮統一が前提)そして、ロシア、中国、アメリカとは距離を置く。落ち着くまでは、軍事力も持たんきゃかね~。外交で上手にね。(孫子の兵法)ポルトガル方式もあるでよ。(目立たぬよう)
結局は、「共同体」なのだ。日本が発展した理由も、グローバル経済が目の敵にしているのも、そして、コロナで潰されそうなのも。
※ 当ブログでは、コロナ禍は資本主義の行き詰まりから始まったと考えています。
note始めました。記事は重なっていますが、よろしくお願いします。
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