尾前神社の参道東側の石積みの台上に「禁殺生」、側面には「享保丙午(ひのえうま)」と彫ってあります。
享保丙午は1726年で、徳川幕府の将軍・吉宗の時代です。
紀州藩徳川家は、尾前神社を深く崇敬し、正徳3年(1713)には当時紀州藩主であった徳川吉宗は尾前神社の修理費を寄進しています。
享保元年(1716)当時の将軍徳川家継の死により吉宗が8代将軍に就任、紀州藩主には吉宗のいとこであった宗直が継ぎました。
宗直は享保11年(1726)紀州藩の寺社奉行に命じて尾前神社にこの石柱を寄進しました。
(まちの文化財から)
(フェンスで見づらいですが「禁殺生」の文字がわかります。)