和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

西福寺 開山堂  Ⅱ  石川雲蝶の作品

2023-01-31 14:14:06 | 日記

道元禅師と稲荷大明神

永平寺血脈池縁起

道元禅師と白山大権現

道元禅師と一葉観音様

漆喰絵巻 人面瘡

盂蘭盆供養

菅原道真公雷神と藤原時平

娘道成寺

木彫りの名工 石川雲蝶
1814年(文化11年)、江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。二十歳代で幕府御用勤めになり、
「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。江戸での製作記録は確認出来ていない。 越後三条にある法華宗陣門流総本山・本成寺の修築のため、檀家総代の金物商・内山又蔵の招きに応じて、
三国峠を熊谷の源太郎と越え、越後に入った。当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条で婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女をもうる。現在、雲蝶は本成寺本堂脇の墓所に眠る。

道元禅師と稲荷大明神の彫刻は道元禅師が宋国での行脚の途中山中にて病で苦しんでいると稲荷大明神が現れて薬をさずけてくださる場面を彫っています。
道元禅師と白山大権現の彫刻では道元禅師が中国での修行から帰る前夜、「碧巖録」という禅書を写経していると、白山大権現が老人となって現れて写経を手伝ってくださったという逸話を彫っています。

代表作には、“越後日光”と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)の天井を飾る「道元禅師猛虎調伏之図」こちらは前回の写真で紹介済み。このほか越後国では永林寺の欄間などの彫刻群や、秋葉神社奥の院(別当常安寺 (長岡市)旧栃尾市)
瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)など、多くの彫刻を各地に残しました。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去。
開山堂の作品はまだまだあり続きます。

雪国や仏の教え伝わりて