ポタラ宮は1642年、チベット政府成立後、チベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に建設された宮殿。
ラサは標高約3,650mにあり、チベット語で「神の地」を意味するチベット仏教の聖地。
ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語に由来という。
内部の部屋数は2000ともいわれ、政治的空間の白宮と宗教的空間の紅宮とに分かれる。
チベット動乱(1956~59年)に際し、中国政府により接収され、今は博物館として位置づけられている。
ダライ・ラマは、チベット仏教の化身ラマの名跡。
大海を意味するモンゴル語のダライと、師を意味するチベット語のラマとを合わせたものという。
現ダライ・ラマ14世は、1959年に発足したチベット亡命政府の長を務めていたが、2011年3月に引退。
現在は、チベットにおける精神的指導者。
西寧とラサを結ぶ青蔵鉄道が2006年に開通し、観光ルートとして一躍スポットを浴びるようになった
私が訪ねたのは、鉄道開通間もない頃。
航空機でラサに入ると、多くの人は高山病に罹ってしまい、
ポタラ宮への長い階段を登り切れないと聞き、鉄道利用を選んだ。
乗車駅はゴルムド。
折角の機会とばかりに、西安と敦煌への寄り道をした。
10年ぶりの西域の玄関口は様変わりであった。
兵馬俑は第4坑まで発掘が進み、銅製馬車は立派な展示ケースに収納されていた。
簡易な建物に収められているものの直ぐ脇に立って記念撮影が出来たことを懐かしく思い出した。
当時人気者の西安動物園の白いパンダも天国に行ったという。
コンクリートによって補強された敦煌莫高窟は、岩盤の風化に必死に耐えているようだった。
青蔵鉄道は、最新式の技術が結集されているという。
永久凍土の上への鉄道線路や、高所での気圧変化に対応しうる車両の導入など。
航空機メーカーのボンバルディア製で客車の気密性は高く、客席には酸素チューブを取り出せる。
最高地点が海抜5072 mともなると流石に空気が薄く、列車内では沈黙している人が多くなってくる。
持参した高度計は正確な指示数を表示した。
それは、列車内の気圧と車外の気圧とは変わらないということを意味する。
案の定、トイレの窓は解放されており、客車の気密性には疑問符が付いてしまった。
ラサ市内は、マニ車を片手に参拝する人々を多く見かける。
マニ車の中には経典が入っており、クルクル回すことで経典を読んで功徳を積んだことと同じになるお手軽な仏具だ。
中心部のバルコル(八角街)の買い物も時計回りの一方通行だ。
大昭寺(ジョカン寺)では、五体投地をして、祈りをささげる人々で溢れている。
雪頓節は、中国の民族自治区チベットのラサで開催される祭。
祭の名称の「雪」は「ヨーグルト」、「頓」は「宴会」を意味し、
もともとは修行僧にヨーグルトを供する宗教行事だったという。
現在は宗教と娯楽が結びついたイベントのようだ。
テブン寺の雪頓節は、タンカを岩山の中腹に掲げる。
タンカは、主にチベットで仏教に関する人物や曼荼羅などを題材にした掛軸。
早朝、まだ真っ暗闇の中、多くの人が集まって来て、岩山を目指す。
只管、高みを目指す。
タンカが広げられる場所は、定かでないのだが、
前を歩くこと達は、きっとそれを知っているのだろうと信じて後についていく。
暫く、歩き続けると先がつかえて、前に進まなくなった。
仕方がないので、そこで待機することにする。
そこが良い場所なのか、そうでないのかは、さっぱり分からない。
日が昇り始めようとした時、タンカが開帳された。
岩肌の上を、絨毯のように丸められた状態の巨大な織物が、
クルクルと回りながら姿を現した。
何処からともなく、大きな歓声が上がる。
太陽が姿を現わし、その光がタンカを照らし、一年ぶりの姿が眩しく光った。
ラサの観光スポットとしては、問答修行で有名なセラ寺や夏季の避暑地のノルブリンカも興味深い。
郊外へ行けば、紺碧の色が輝く高山湖も魅力的だ。
その一方、市内を行進する人民解放軍の兵士の姿には、やはり心穏やかではない。