遠州横須賀あれこれ書き連ね2

祭りの町「遠州横須賀」の情報をあれこれとvol2

城下町の特徴?

2020-06-24 22:15:19 | 遠州横須賀の話題

横須賀歴史探訪シリーズ、西本町地内・十王堂四差路(スンエン電気さん角)から東側の横須賀街道、三熊野神社の門前町だった頃の町並みと道を活かし、微妙にうねった道沿いに家が並びます。

家を通りから斜めに配置、のこぎり型の町並みは城下町特有のといわれ、敵に攻められて時、ここに武者を隠すためのものと言われてきました。

しかしこの形は城下町だけでなく、昔の家並みが残る地域で見られ、最近は曲がった道に均等に土地を割り振るための手法、奈良時代の条理に習ったものではないか、という説も出てきました。

※諸説あります。

どちらにしても先人たちは、いろんな知恵や知識、また少しずつ経験をもとに、統一感のある町づくりを進めてきたことに感心してしまいます。

※新屋町、笠井屋と粉奈屋さんの家境。

横須賀では、家と家の細い間(30センチほど)のことを「ひやわい」(屋合い)とかネコバシリとか呼びます。

あとから建てる家が軒を重ねて、ひやわいに雨が落ちないように配慮しています。

ひやわいには人が入れないため、榀(コマイ、木舞)を組んだ竹がむき出し、内側から泥を押し出したままになっています。

向かって左側が笠井屋、右側が粉奈屋さん、笠井屋は家の壁がコテで均してありますが、粉奈屋さんは泥が玉状に押し出されたまま、これを見ると笠井屋(明治35年築)より、粉奈屋さんのほうが後で建てられたということがわかります。