十代の妊娠は女のコだけの問題ではない!
米・シカゴ市公衆衛生局が示した強烈なメッセージ
2013/05/28 16:26 アグロスパシア
「こんなことになるなんて思っていなかった (UNEXPECTED)?」という大文字のコピー
と共に掲載された、臨月に近い大きなお腹の「妊娠した少年」の写真。
by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長
一瞬、何かの見間違いかと思わせるショッキングなポスターは、アメリカ、シカゴ市公衆衛生局(CDPH)が展開中の「十代での望まない妊娠」を防ぐための啓蒙キャンペーンで使われているものだ。コピーの続きには「十代での妊娠はほとんどが予期せぬものです」とあり、「望んでいないのなら、妊娠と性感染症(STI)は予防しましょう。コンドームを使うか(もう少しオトナになるまで)待ちましょう」と結ばれている。
現在、このキャンペーンは、写真の意外性からか、全米のみならず、世界各国で注目を集め、『アルジャジーラ』やドイツの『デア・シュピーゲル』、英国の『メイル・オン・ライン』など、海外主要メディアからの取材が殺到しているそうだ。
幣誌AGROSPACIAでは、編集長・岩渕潤子がCDPH局長(コミッショナー)、医学博士のベシャラ・シューケア(Bechara Choucair)氏に単独取材した。
「男のコが妊娠?」という不可思議なイメージ
5月14日付のシカゴ市公衆衛生局青少年・学校衛生課の公式プレスリリースによると、この大規模なキャンペーンは、十代の妊娠は女のコだけに責任があるわけではなく、父親である男のコにも責任を自覚し、子供を持つことの意味を真剣に考えて欲しいという意図で企画されたものだという。
市の公式ウェブサイトに詳しい情報を掲載しているほか、ポスターが市内のバス停、列車の駅、バスの車体などに掲示され、高校の近くには巨大ビルボード(屋外広告)も設置されて、それを目にした十代の青少年だけでなく、教師や親たちなど、大人を含めた議論をうながすことが期待されている。
キャンペーンの長期的なゴールは、全米でも突出して高い、シカゴ市に暮らす十代の若者たちの望まない妊娠の件数を減らすことだが、ティーンエージャーに啓蒙プログラムに参加してもらうため、まずは、できるだけ多くの人に関心を持ってもらう必要があるので、若干「ショッキング」とも受け取られる、十代の少年たちが「妊娠」したイメージを使用することにしたという。
日本とはあまりにも違うアプローチ
日本では同じ5月、内閣府の「少子化危機突破タスクフォース」が、女性の妊娠・出産には適齢期があるということを啓発する目的で、十代の少女らを対象に「女性手帳」なるものを配布すべきとして一大議論となり、幅広い年齢層の女性たちから強い反発を招く結果となった。この「手帳」は名称を変えて、中学生から男子を含む希望者に印刷物の手帳、または、スマートフォンやタブレット向けのコンテンツとして、2015年度からの配布を目指すとうことで一度は落ち着いたが、5月28日朝のNHK Newswebの報道によれば、「出産に国が介入すべきでない」とする批判が相次いだことから、当面、配布を見送る形で報告書を取りまとめることになったという。
日本では1950年代には年間100万件以上もの人工妊娠中絶があり、世界と比較して数値が突出して高いことは「恥ずべき」とされていたが、現在は人口減少、出生率の低下と共に、人工妊娠中絶件数は20万2,106件(2011年度の厚生労働省の衛生行政報告例による)まで減少している。日本での人工妊娠中絶件数、特に20歳未満の人工中絶は、世界と比較した場合(社会実情データ図録・人工妊娠中絶の国際比較、参照)でも少ないのが現状だ。が、ここで注目すべきは、同じ2011年の出生者数が約105万人なので、独立した数値としてだけ見るならば日本の人工妊娠中絶件数は劇的に減っているものの、出生者数と比較すると、日本における人工妊娠中絶件数は、依然として高止まりになっていることが見てとれる。
日本における「女性手帳」が意図したことは、シカゴ市の場合と同じように、十代の若者たちに向けて、経済的安定を確保した上での健康な妊娠と出産、将来、不妊症を引き起こさないための性感染症予防などの啓蒙を目的とした取り組みだったようだが、「妊娠は女性だけの問題ではない」ことを明確に打ち出し「十代の妊娠が引き起こす貧困の連鎖を根絶する」というシカゴ市の取り組みと、我が国の「少子化危機突破タスクフォース」とを比較すると、両者のアプローチはかけ離れて見える。
貧困層を無くすための現実的な問題解決を目ざして
アメリカでは、高校生の若いカップルが子供を持とうという自覚なく妊娠してしまった場合、母親たちの半数以上が子育てのために高校をドロップアウトし、30歳までに大学を卒業するチャンスはわずか2%以下。
父親は、高校在学中から子供が成人するまでの養育費支払いの義務を負うこととなり、統計によると、こうした若い父親が犯罪に手を染めて刑務所に服役する確率は同年代の男性の2倍という現実がある。また、十代で子供を生んだ母親を持つ少女の多くは、同じように十代で望まぬ妊娠をする確率が、それ以外の少女の3倍にもなるという。
行政側としては、こうした負の連鎖によって形成される貧困層が社会福祉費の増大につながることを憂慮して、貧困の連鎖を断ち切るためにも、安定した仕事につくために、せめて高校はきちんと卒業してもらいたいと考え、そのためには高校在学中での「望まない妊娠」を減らしたいと真剣に考えているのだ。行政としては「現実的な対応」が優先されるので、十代の妊娠について倫理的な議論などはしない。
キャンペーンのコピーも「コンドームを使う」が先で、「高校生のセックスは不道徳だ」と主張するキリスト教団体や保守的な親たちに配慮して、もう少し「待ちましょう」という文言も入れてはいるが、むしろそれは選択肢として「付け足し」扱いになっている。
議論を喚起するだけでは、実際に十代の若者の妊娠を防ぐことはできないので、CDPHのスタッフが市内の高校に出向いてレクチャーをし、実用的な情報が書かれている冊子を配布し、大規模なコンドーム配布活動を行っている。さらに、ティーンエージャーの自覚を促すため、十代のセクシュアリティと健康について考え、自発的に情報を収集するための情報サイト、気軽に議論に参加しやすいようにソーシャル・メディアを用意して、実際に十代で妊娠・出産を体験した同世代の若者たちに厳しい現実を語ってもらうなど、啓発活動に力を入れている。
シカゴ市公衆衛生局コミッショナーという仕事
今回の大規模キャンペーンを統括しているシカゴ市公衆衛生局コミッショナー(局長)のシューケア博士にインタビューして、まず、お聞きしたのは、日本では耳慣れない「コミッショナー」とは、どういうポジションであるかということ。
シカゴ市の場合、4年任期の市長が市民によって選出され、公衆衛生局のコミッショナーは市長から直接任命され、基本政策の策定から市民の健康に関する具体的な課題……たとえば、結核予防から、夏の暑い時期の熱波対策、厳寒期の吹雪にどう備えるか、精神面、新たな流行性疾患などへの対策、市民の健康を守るための啓蒙教育のプラニングなど、かなり幅広い内容の監督義務を負っているそうだ。
いわゆる「ポリティカル・アポインティー(政治任用)」の専門家ポジションで、直属の上司は市長、部下はシカゴ市に勤める地方公務員たちで、彼らを監督する責任を担っている。日本でいうと、地方自治体での政治任用による「参与」に近い立場と思われるが、単なるアドバイザーではなく、有給の専任職として、毎日実際に部局を統括している。
今回のキャンペーンはどのようにデザインされたのか
シカゴ市の十代の出産件数は、過去11年で33%減少しており、これは、全米平均の20%の減少率よりも好成績である。とはいえ、もともとシカゴの十代の若者による望まれない出産件数は他都市と比較して突出して高かったので、まだまだ継続的な啓蒙活動が求められているという。
シューケア博士がコミッショナーを務める現在のCDPHでは、十代での望まない妊娠の予防という課題と取り組むには、できる限り、当事者としての自覚を持ってもらいたい十代の若者たちの参加を促すことが重要だと考えている。そこで、キャンペーンの企画立案の段階から議論にティーンエージャーの男女を加え、どんなコンセプトなら興味が持てるか、どんなイメージなら抵抗感が無く効果的かなど、意見交換を重ねてきたという。
その結果選ばれたのが、今回の「身ごもって、臨月に近い少年」のイメージと「こんなことになるなんて思っていなかった (UNEXPECTED)?」というキャンペーン・コピーだった。若者たちは、妊娠した少年のイメージを選ぶことで「十代の妊娠における男のコの責任」を、一番伝えたいメッセージとして位置づけた。
ボランティアが運営する非営利の広告代理店
議論に参加した若者たちとCDPHは、この5年間の集中的な啓蒙活動で十代の望まれない妊娠を抑制することに成功したウィスコンシン州ミルウォーキー市の事例に注目し、そこでのキャンペーンで使われている「妊娠した少年たち」のイメージを独自に解釈して使うことを決めた。
ミルウォーキー市のキャンペーンを担当したのは「サーブ・マーケティング(Serve Marketing)」という、全米唯一の、100%ボランティアによって運営される、非営利の、公共広告を専門とする広告代理店で、シカゴ市のキャンペーンでもこの代理店を利用することになった。
サーブ・マーケティングの創設者、ゲリー・ミューラー氏は、カンヌ国際広告祭でのライオン、クリオなど、栄誉ある賞を総なめにした経歴の持ち主で、彼の作品はしばしば広告・マーケティングの教科書にも登場するほど著名なクリエイティブ・ディレクターである。ミューラー氏は、ウィスコンシン州ミルウォーキー市を拠点に、サーブ・マーケティングを通じて地域の課題と取り組むNPOが社会的なメッセージを発信することを支援している。最も力を入れているのは健康に関する教育と啓発活動で、十代の望まれない妊娠をどう解決するかは、一貫して取り組んでいるテーマだ。
CDPHのメインのウェブサイトは部局内でデザイン・運営しているが、今回のような、特別なキャンペーンには外部パートナーと共同でヴィジュアル・デザインを決めていくという。ポスターに起用されたモデルの少年たちのキャスティング、極めてリアルな「妊娠した少年たち」の膨らんだお腹のフォトショップ、最終的なコピーライティングなどは、すべてサーブ・マーケティングのディレクションによるものだ。
「妊娠した少年」のポスターへの反響は意外なほどポジティブ
十代での望まない妊娠を防ごうというシカゴ市のキャンペーンで、「妊娠した少年」のイメージを屋外広告に使うことは、当然ながら様々な議論を呼び起こす。
シューケア博士は「部局内のスタッフから、こんなアプローチは不適切だという批判的なメールをもらったりもしていますが、全体としては、驚くほどポジティブに受け止められています。十代のコたちの反応を含め、ソーシャル・メディア上での議論は、私自身、絶えずモニターしているのですが、心配していたキリスト教系団体や保守層からも、目立った批判は出ていません」と述べ、キャンペーンのイメージに妊娠した少年の姿を起用したことで、女のコを持つ親たちだけでなく、男のコの親たちが「この問題について、息子と話し合うきっかけができた」というコメントが寄せられていることを「成果の一つ」としている。
このキャンペーンがシカゴ市内だけでなく、全米、さらには海外メディアからも大きな注目を集めていることは、「議論の喚起という点で、すでにある程度の成功を収めたとも言えますが、究極的なゴールは、あくまでもシカゴ市における十代の妊娠・出産の件数を減らすこと。屋外広告はあと2週間ほどで終了しますが、それ以外の地道な啓蒙活動はこれからも継続的に行い、来年以後の報告書で、実際に成果が数値として現れてくれることを期待しています」とシューケア博士はいう。
そして、「十代の妊娠・出産を減らし、若者がきちんと教育を受けて、安定した職業につくことは、シカゴ市の医療費や社会福祉費の支出を抑制することに直結するので、エマニュエル市長もこのキャンペーンには理解を示し、全面的に支援してくれています。ティーンエージャーが、貧困の連鎖に陥らないようにするためには、徹底した教育と啓蒙が必要なので、たとえショッキングだという指摘を受けても、私たちはアグレッシブなアプローチを変えるつもりはありません」と、力強く締めくくった。
※
ベシャラ・シューケア(Bechara Choucair)氏プロフィール
シカゴ市公衆衛生局(CDPH)コミッショナー。医学博士。
2009年11月25日、「公衆衛生局を21世紀に相応しく再編して欲しい」という前シカゴ市長・リチャード・M・デイリー氏の要請を受けてコミッショナーに。2011年に就任したラーム・エマニュエル現市長の下でも同職に留まる。シューケア博士はレバノンのベイルート生まれで、1997年、アメリカへ移住後は、テキサス、イリノイなどの大学病院で家庭医学、子供医療、地域医療の臨床経験を積んだほか、2009年にはテキサス大学でヘルスケア・マネジメントの修士号も取得している。ソーシャル・メディアのアクティブ・ユーザーでもある。
米・シカゴ市公衆衛生局が示した強烈なメッセージ
2013/05/28 16:26 アグロスパシア
「こんなことになるなんて思っていなかった (UNEXPECTED)?」という大文字のコピー
と共に掲載された、臨月に近い大きなお腹の「妊娠した少年」の写真。
by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長
一瞬、何かの見間違いかと思わせるショッキングなポスターは、アメリカ、シカゴ市公衆衛生局(CDPH)が展開中の「十代での望まない妊娠」を防ぐための啓蒙キャンペーンで使われているものだ。コピーの続きには「十代での妊娠はほとんどが予期せぬものです」とあり、「望んでいないのなら、妊娠と性感染症(STI)は予防しましょう。コンドームを使うか(もう少しオトナになるまで)待ちましょう」と結ばれている。
現在、このキャンペーンは、写真の意外性からか、全米のみならず、世界各国で注目を集め、『アルジャジーラ』やドイツの『デア・シュピーゲル』、英国の『メイル・オン・ライン』など、海外主要メディアからの取材が殺到しているそうだ。
幣誌AGROSPACIAでは、編集長・岩渕潤子がCDPH局長(コミッショナー)、医学博士のベシャラ・シューケア(Bechara Choucair)氏に単独取材した。
「男のコが妊娠?」という不可思議なイメージ
5月14日付のシカゴ市公衆衛生局青少年・学校衛生課の公式プレスリリースによると、この大規模なキャンペーンは、十代の妊娠は女のコだけに責任があるわけではなく、父親である男のコにも責任を自覚し、子供を持つことの意味を真剣に考えて欲しいという意図で企画されたものだという。
市の公式ウェブサイトに詳しい情報を掲載しているほか、ポスターが市内のバス停、列車の駅、バスの車体などに掲示され、高校の近くには巨大ビルボード(屋外広告)も設置されて、それを目にした十代の青少年だけでなく、教師や親たちなど、大人を含めた議論をうながすことが期待されている。
キャンペーンの長期的なゴールは、全米でも突出して高い、シカゴ市に暮らす十代の若者たちの望まない妊娠の件数を減らすことだが、ティーンエージャーに啓蒙プログラムに参加してもらうため、まずは、できるだけ多くの人に関心を持ってもらう必要があるので、若干「ショッキング」とも受け取られる、十代の少年たちが「妊娠」したイメージを使用することにしたという。
日本とはあまりにも違うアプローチ
日本では同じ5月、内閣府の「少子化危機突破タスクフォース」が、女性の妊娠・出産には適齢期があるということを啓発する目的で、十代の少女らを対象に「女性手帳」なるものを配布すべきとして一大議論となり、幅広い年齢層の女性たちから強い反発を招く結果となった。この「手帳」は名称を変えて、中学生から男子を含む希望者に印刷物の手帳、または、スマートフォンやタブレット向けのコンテンツとして、2015年度からの配布を目指すとうことで一度は落ち着いたが、5月28日朝のNHK Newswebの報道によれば、「出産に国が介入すべきでない」とする批判が相次いだことから、当面、配布を見送る形で報告書を取りまとめることになったという。
日本では1950年代には年間100万件以上もの人工妊娠中絶があり、世界と比較して数値が突出して高いことは「恥ずべき」とされていたが、現在は人口減少、出生率の低下と共に、人工妊娠中絶件数は20万2,106件(2011年度の厚生労働省の衛生行政報告例による)まで減少している。日本での人工妊娠中絶件数、特に20歳未満の人工中絶は、世界と比較した場合(社会実情データ図録・人工妊娠中絶の国際比較、参照)でも少ないのが現状だ。が、ここで注目すべきは、同じ2011年の出生者数が約105万人なので、独立した数値としてだけ見るならば日本の人工妊娠中絶件数は劇的に減っているものの、出生者数と比較すると、日本における人工妊娠中絶件数は、依然として高止まりになっていることが見てとれる。
日本における「女性手帳」が意図したことは、シカゴ市の場合と同じように、十代の若者たちに向けて、経済的安定を確保した上での健康な妊娠と出産、将来、不妊症を引き起こさないための性感染症予防などの啓蒙を目的とした取り組みだったようだが、「妊娠は女性だけの問題ではない」ことを明確に打ち出し「十代の妊娠が引き起こす貧困の連鎖を根絶する」というシカゴ市の取り組みと、我が国の「少子化危機突破タスクフォース」とを比較すると、両者のアプローチはかけ離れて見える。
貧困層を無くすための現実的な問題解決を目ざして
アメリカでは、高校生の若いカップルが子供を持とうという自覚なく妊娠してしまった場合、母親たちの半数以上が子育てのために高校をドロップアウトし、30歳までに大学を卒業するチャンスはわずか2%以下。
父親は、高校在学中から子供が成人するまでの養育費支払いの義務を負うこととなり、統計によると、こうした若い父親が犯罪に手を染めて刑務所に服役する確率は同年代の男性の2倍という現実がある。また、十代で子供を生んだ母親を持つ少女の多くは、同じように十代で望まぬ妊娠をする確率が、それ以外の少女の3倍にもなるという。
行政側としては、こうした負の連鎖によって形成される貧困層が社会福祉費の増大につながることを憂慮して、貧困の連鎖を断ち切るためにも、安定した仕事につくために、せめて高校はきちんと卒業してもらいたいと考え、そのためには高校在学中での「望まない妊娠」を減らしたいと真剣に考えているのだ。行政としては「現実的な対応」が優先されるので、十代の妊娠について倫理的な議論などはしない。
キャンペーンのコピーも「コンドームを使う」が先で、「高校生のセックスは不道徳だ」と主張するキリスト教団体や保守的な親たちに配慮して、もう少し「待ちましょう」という文言も入れてはいるが、むしろそれは選択肢として「付け足し」扱いになっている。
議論を喚起するだけでは、実際に十代の若者の妊娠を防ぐことはできないので、CDPHのスタッフが市内の高校に出向いてレクチャーをし、実用的な情報が書かれている冊子を配布し、大規模なコンドーム配布活動を行っている。さらに、ティーンエージャーの自覚を促すため、十代のセクシュアリティと健康について考え、自発的に情報を収集するための情報サイト、気軽に議論に参加しやすいようにソーシャル・メディアを用意して、実際に十代で妊娠・出産を体験した同世代の若者たちに厳しい現実を語ってもらうなど、啓発活動に力を入れている。
シカゴ市公衆衛生局コミッショナーという仕事
今回の大規模キャンペーンを統括しているシカゴ市公衆衛生局コミッショナー(局長)のシューケア博士にインタビューして、まず、お聞きしたのは、日本では耳慣れない「コミッショナー」とは、どういうポジションであるかということ。
シカゴ市の場合、4年任期の市長が市民によって選出され、公衆衛生局のコミッショナーは市長から直接任命され、基本政策の策定から市民の健康に関する具体的な課題……たとえば、結核予防から、夏の暑い時期の熱波対策、厳寒期の吹雪にどう備えるか、精神面、新たな流行性疾患などへの対策、市民の健康を守るための啓蒙教育のプラニングなど、かなり幅広い内容の監督義務を負っているそうだ。
いわゆる「ポリティカル・アポインティー(政治任用)」の専門家ポジションで、直属の上司は市長、部下はシカゴ市に勤める地方公務員たちで、彼らを監督する責任を担っている。日本でいうと、地方自治体での政治任用による「参与」に近い立場と思われるが、単なるアドバイザーではなく、有給の専任職として、毎日実際に部局を統括している。
今回のキャンペーンはどのようにデザインされたのか
シカゴ市の十代の出産件数は、過去11年で33%減少しており、これは、全米平均の20%の減少率よりも好成績である。とはいえ、もともとシカゴの十代の若者による望まれない出産件数は他都市と比較して突出して高かったので、まだまだ継続的な啓蒙活動が求められているという。
シューケア博士がコミッショナーを務める現在のCDPHでは、十代での望まない妊娠の予防という課題と取り組むには、できる限り、当事者としての自覚を持ってもらいたい十代の若者たちの参加を促すことが重要だと考えている。そこで、キャンペーンの企画立案の段階から議論にティーンエージャーの男女を加え、どんなコンセプトなら興味が持てるか、どんなイメージなら抵抗感が無く効果的かなど、意見交換を重ねてきたという。
その結果選ばれたのが、今回の「身ごもって、臨月に近い少年」のイメージと「こんなことになるなんて思っていなかった (UNEXPECTED)?」というキャンペーン・コピーだった。若者たちは、妊娠した少年のイメージを選ぶことで「十代の妊娠における男のコの責任」を、一番伝えたいメッセージとして位置づけた。
ボランティアが運営する非営利の広告代理店
議論に参加した若者たちとCDPHは、この5年間の集中的な啓蒙活動で十代の望まれない妊娠を抑制することに成功したウィスコンシン州ミルウォーキー市の事例に注目し、そこでのキャンペーンで使われている「妊娠した少年たち」のイメージを独自に解釈して使うことを決めた。
ミルウォーキー市のキャンペーンを担当したのは「サーブ・マーケティング(Serve Marketing)」という、全米唯一の、100%ボランティアによって運営される、非営利の、公共広告を専門とする広告代理店で、シカゴ市のキャンペーンでもこの代理店を利用することになった。
サーブ・マーケティングの創設者、ゲリー・ミューラー氏は、カンヌ国際広告祭でのライオン、クリオなど、栄誉ある賞を総なめにした経歴の持ち主で、彼の作品はしばしば広告・マーケティングの教科書にも登場するほど著名なクリエイティブ・ディレクターである。ミューラー氏は、ウィスコンシン州ミルウォーキー市を拠点に、サーブ・マーケティングを通じて地域の課題と取り組むNPOが社会的なメッセージを発信することを支援している。最も力を入れているのは健康に関する教育と啓発活動で、十代の望まれない妊娠をどう解決するかは、一貫して取り組んでいるテーマだ。
CDPHのメインのウェブサイトは部局内でデザイン・運営しているが、今回のような、特別なキャンペーンには外部パートナーと共同でヴィジュアル・デザインを決めていくという。ポスターに起用されたモデルの少年たちのキャスティング、極めてリアルな「妊娠した少年たち」の膨らんだお腹のフォトショップ、最終的なコピーライティングなどは、すべてサーブ・マーケティングのディレクションによるものだ。
「妊娠した少年」のポスターへの反響は意外なほどポジティブ
十代での望まない妊娠を防ごうというシカゴ市のキャンペーンで、「妊娠した少年」のイメージを屋外広告に使うことは、当然ながら様々な議論を呼び起こす。
シューケア博士は「部局内のスタッフから、こんなアプローチは不適切だという批判的なメールをもらったりもしていますが、全体としては、驚くほどポジティブに受け止められています。十代のコたちの反応を含め、ソーシャル・メディア上での議論は、私自身、絶えずモニターしているのですが、心配していたキリスト教系団体や保守層からも、目立った批判は出ていません」と述べ、キャンペーンのイメージに妊娠した少年の姿を起用したことで、女のコを持つ親たちだけでなく、男のコの親たちが「この問題について、息子と話し合うきっかけができた」というコメントが寄せられていることを「成果の一つ」としている。
このキャンペーンがシカゴ市内だけでなく、全米、さらには海外メディアからも大きな注目を集めていることは、「議論の喚起という点で、すでにある程度の成功を収めたとも言えますが、究極的なゴールは、あくまでもシカゴ市における十代の妊娠・出産の件数を減らすこと。屋外広告はあと2週間ほどで終了しますが、それ以外の地道な啓蒙活動はこれからも継続的に行い、来年以後の報告書で、実際に成果が数値として現れてくれることを期待しています」とシューケア博士はいう。
そして、「十代の妊娠・出産を減らし、若者がきちんと教育を受けて、安定した職業につくことは、シカゴ市の医療費や社会福祉費の支出を抑制することに直結するので、エマニュエル市長もこのキャンペーンには理解を示し、全面的に支援してくれています。ティーンエージャーが、貧困の連鎖に陥らないようにするためには、徹底した教育と啓蒙が必要なので、たとえショッキングだという指摘を受けても、私たちはアグレッシブなアプローチを変えるつもりはありません」と、力強く締めくくった。
※
ベシャラ・シューケア(Bechara Choucair)氏プロフィール
シカゴ市公衆衛生局(CDPH)コミッショナー。医学博士。
2009年11月25日、「公衆衛生局を21世紀に相応しく再編して欲しい」という前シカゴ市長・リチャード・M・デイリー氏の要請を受けてコミッショナーに。2011年に就任したラーム・エマニュエル現市長の下でも同職に留まる。シューケア博士はレバノンのベイルート生まれで、1997年、アメリカへ移住後は、テキサス、イリノイなどの大学病院で家庭医学、子供医療、地域医療の臨床経験を積んだほか、2009年にはテキサス大学でヘルスケア・マネジメントの修士号も取得している。ソーシャル・メディアのアクティブ・ユーザーでもある。