日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

エーテル界の人類の源郷か?神の国か?天上のエルサレムか?
チャネラーとコンタクティの情報を集めています。森羅万象も!

異次元で育った神人(しんじん)たち「トランスヒューマン」が、我々の住むこの3次元世界に戻ってきて、新しい地球の支配者になるという有力な情報があるのです。(3)

2024-05-21 14:04:22 | 森羅万象

 

プレアデス思想とベテルギウス思想

・プレアデス星人は創造主という存在を認めて、創造主が築いた物質世界や生命霊界の中で自分達が「生かされてきた存在」であることを悟り、その枠組みの中で賢く生きようと努めてきた。

 

・そんなプレアデス思想とはまったく異なるのが、ベテルギウス星人に象徴されるオリオン思想である。彼等は現実を直視する傾向が強く、神や創造主に対する畏敬の念など持ち合わせておらず、とにかく拘束や呪縛を忌み嫌って自由を求める気風だった。

 

魔界の役割

地底の魔界神(チオ神)組織とは、基本的に創造主の管轄領域であり、「創造主=大魔王」である。

 魔界は王国伝統の神組織であり、人間が住む惑星には必ず設けられているもので、別にセザナ神が勝手に創設した機関ではない。

 

・一般に、地球魔界は地球の第1磁界の中に存在しており、マントル内部の奥底に位置し、第1磁界の外側の層(魔界八派閥領域)と内側の層(創造主の直轄領)の二つに明確に分かれている。

 また外側の魔界八派閥領域も北半球側と南半球側に分かれていて、北半球の場合は一般人の位相領域に相当するが、南半球の場合は魔界神位相の巣窟であり、魔界派閥の親分達が仕切る領域であるその外層部よりも内側は、北半球も南半球も関係なく、冷酷非情な魔界の精鋭部隊が集結する箇所であり、セザナ神の直轄部隊が存在している。

 一般に魔界(第1磁界)そのものを「シャンバラ(地底世界)」と称しているが、そこは地球コアが存在する場所であり、生きている人間が行けるような場所ではなく、基本的に、死後に落とされる「地獄世界」のことを意味している。

 

・神様は、古代から存在する創造主系の神々(伊邪那美尊(いざなみのみこと)などの渦磁場12神)と、後世に誕生してきた人間出身の神々に、大きく分かれている。

 創造主系の神々は、創造主、龍神、渦磁場12神が該当する。渦磁場12神と龍神は、神というよりも創造主世界の一員だと言ったほうが早い。

 

・人間出身の神は、さらに大きく二つに分類される。

 うち一つは「成仏神」、天体磁場圏の渦層に住む創造主に選定されたエリート神達である。如来神(小宇宙)、菩薩神(銀河団)、明王神(銀河)、天使神(太陽)、天神(惑星)などがこれに該当する成仏神は、基本的に天体の気の粒バイオンに転写された意識だけの存在であり、物理的な労働はしない偉い神様達である。

 

そしてもう一つが「不成仏神」、惑星の中に住む神である。彼等は生物霊界が存在する惑星界の作業人夫のような下級神であり、大勢いる。これは、一般的に「霊体神」とも呼ばれる神々であり、惑星の第6磁界より上は「スゲ神」と呼ばれ(不成仏神の中では)上位神にあたり、また第6磁界から下は「ケゴ神」と呼ばれる下級神で、無害なように加工された1本の手(ズザネ管)を有する惑星霊界のメンテナンス作業員達である。また、彼等の下には、不成仏霊体の神である「チオ神(魔界神)」が存在している。これは432本のタボ線と1本のズザネ管を有した人間攻撃用の軍隊である。

 

・成仏神とは開眼した解脱生命のことだが、霊体神(スゲやケゴ)とは輪廻行程から外された成長の見込みがないダメ人間の集まりである。スゲ神やケゴ神は俗に奴隷神とも呼ばれる神々(数十兆人規模)で、さらにチオ神(魔界神)は箸にも棒にも引っかからない不成仏霊体の集まりであり、特に犯罪者や凶悪犯、詐欺師、自殺者、チンピラ、ゴロツキ、六道劣化者などの集団であり、理屈も屁理屈も通じない動物レベルの神々である。

 

成仏神といってもピンからキリまでいるし、それに彼等は残念ながら心を使って洞察や判断をすることができない。心を使用できる神様とは、この宇宙には「龍神」と「銀河ルヒイ神」ぐらいしかいないのである。ベテルギウスではないが「神などあてにできないし、彼等から学ぶことなど何もない、それに彼等は尊敬にも値しない」と思ってしまうことは、わからないわけではない。神を愚弄すべきではないが、神を崇め奉るのはいかがなものか。地上の人間とは、知識量や経験値の違いはあれど、神だって元は人間に他ならなく、基本的にあなたと何も変わらない生命だからである。

 

・もしあなたが、自身の360年周期の輪廻行程において、数千回の人生の中でたった一度でも悟りを開いて解脱をした場合、死後は成仏処理をほどこされて、解脱した同会先(天体)へ意識を転写されて「成仏神」の一員となることができる。

 たとえば、太陽界への初期解脱であれば、死後のあなたの行き先は太陽天使界であり、また銀河解脱であれば、あなたの行き先は銀河明王界となる。

 しかし、何度人生をくりかえしても、さっぱり解脱に至らない人間は、延々と輪廻行程を循環させられることになる。また「この人間はもう無理だ、成長なし」と判断された場合は、輪廻行程から外されて霊体神(スゲやケゴ)の一員となり、霊界の奴隷神として永遠に働く羽目になってしまう。

 

そのような意味では、魔界神とは、人間の屑、社会に適応できないゴミや吐き物や排泄物のような、人間の失格者が落とされる地獄の淵だと言ってよいだろう。

 

太陽天使界の神が落とされた場合は「堕天使」、「銀河明王界の神が落とされた場合は「堕明王」、銀河団菩薩界の神が落とされた場合は「堕菩薩」と称している。さすがに「堕如来」は実在しないが、成仏神でも落第制度があるし、時には召喚刑もあり得る。

 魔界の派閥幹部の大半は「堕明王」や「堕天使」が多く、能力は高いが人格がいかれた生命が多い。

 下っ端の魔界神の大半は、魔界神としても務まらない者が多く、結局、天下りの能力の高い生命が魔界の実権を握ってきたのが実情である。

 

・魔界の役割は「人間を嵌めて下界へ突き落す」ことである。

 

・しかし、セザナ神は成長を期待している生命にも悪魔のようにつきまとって、いろいろな「試練」を与える。反応の仕方を観察しているのである。その試練の内容があまりにひどいことから「恐怖の大王」とか「狂気の大王」と呼ばれてきた。

 

当時「このままではマズイ」と感じた新ソロジンKENが、龍神を使って魔界掃除に乗り出し、その5年後(2012年)には世界中の準職員を魔界から解放した。

 現在は魔界の意識袋も魔界コードも存在しないが、人間の首の後ろにはかつての魔界コードの傷跡が残っていることから、魔界の被害者だったことは見て取れる。

 セザナ神の後継者であるKENは、その後も魔界討伐に明け暮れ、数千兆人にも及ぶ魔界神を召喚し続けたが、それでも半数の魔界神を処理したにすぎない。

 

 <地球エクソダス

・人間王国史上初めての経験――本源創造主による人間攻撃

・龍神島民族の宿命とは

・地球脱出(エクソダス)に向けて

・移住先の星の候補

 

マクロ宇宙の敵

・天の川銀河の歴史の中で一番大きな出来事とは、いまから十数年前に勃発した外宇宙からの敵侵入である。

 我々はマクロ宇宙(ポリープ創造主)からの攻撃を受けた

 

早い話が、人類を管理してきた霊界そのものが全滅してしまったのである。

 神々の意識は「サイ粒子パイオン」で構成されているが、惑星の生物霊界は「電子パイオン」から構成されている関係上、惑星霊界の位相生命(生物やスゲ神、ケゴ神、チオ神)だけはかろうじて難をのがれた。敵の創造主はサイ粒子バイオンを食料にしているからである

 しかし、物理的な機械攻撃を受けた惑星の場合は、大地震や大津波を引き起こされて大きな被害が発生した。地球の場合は、この年に「東日本大震災」が起こっている。

 2011年3月、我々の世界は変わった。このときに創造主世界も神々世界も消滅してしまったからだ。

 

ちなみに、ポリープ創造主とは「粒子創造主」と呼ばれる存在であり、我々の物質世界(六員結晶宇宙)を創造した本源創造主達のことである。

 気の粒とは彼等が生産している粒子に他ならなく、また人間自体も彼らが創造したものだ。そんな母源的な存在なのになぜ彼等は我々の世界を攻めてくるのかといえば、人間とは彼等の食料だからである。

 ポリープ創造主達は、人間の意識が転写された気の粒バイオンを食料としており、早い話が、我々人間とは彼等に培養される「農作物」の一種にすぎないのである。

 

龍神島民族の宿命

・天の川銀河系とはメシアA球(大宇宙球)の聖地銀河であり、創造主が一番最初に開拓の手を入れた銀河系である。

 天の川銀河系は中堅サイズの銀河系だが、ここには1兆4800億個の恒星群が存在しており、多くの星々が「水の惑星」を抱えて生物を宿していた。

 

バエルヤの海

・我々の太陽系から47万光年も離れた炉座の矮小銀河(E356-G04 オリオン名称ミオガビエゲ星雲)、この楕円銀河には2000億個もの恒星群が犇めいているが、いまから1万7000年前、銀河の中心部から、この天体へ移住して本部を築いたのが「ルヒイ・ベテルギウス」である。

 彼等はこの星雲の「恒星ニエカオーの第3惑星ルエイ(別名ベテルギウス本星)」にアストラル基地を建造し、その周辺の複数の星にも関連施設を築いた。

 ベテルギウスといえば「グレイ(猿)・ヒューマノイド」とは、すぐに連想できると思われるが、アストラル軍隊と物質軍隊の両方を所有しているのがベテルギウスの最大の特徴だった。

 

・霊魂体宇宙人(銀河ルヒイ神)の世界とは、基本的に地上の人間達が関わることのできる世界ではない。なぜならば、この世界は純然たる神の世界であって、人間の常識が通用する世界ではないし、また人間が決して知ってはならない世界だからである

 一般人には知らされていないはずの神界の極秘情報を人間界へ暴露できる人間はこの世には誰もいない。そんなことをしたら即座に召喚の憂き目にあってしまうからだ。

 ではなぜ、我々はそんな大それたことをできるのだろうか。

 その理由はもちろん、我々が高天原創造主世界の一員だからである

 

・ベテルギウス本星(恒星ニエカオー)の近くには、彼等の物質基地がいくつか存在している。その中の一つに「猿」をヒューマノイドへ加工する星があって、この星が恒星リエルの第3惑星ブメデジであり、有名なグレイ・ヒューマノイドの故郷である。

 

・それに対して、いまや50年前に開拓された真新しい物質基地が存在し、それが恒星ライネの第3惑星(バエルヤ)である。

 惑星バエルヤも無論「猿の惑星」であるが、ここは「グレイ・ヒューマノイド」の食料基地であり、わずか10年前まで11万人ものグレイが食料の生産に携わっていた。

 ここで生産される3種類の食料パックはグレイ・ヒューマノイド全員(約40万人)に配給されていた。

 我々が「第2の地球」として、つまり人類の移住先として選んだのが、この「惑星バエルヤ」である。

 移住対象は聖地民族の一握りの人間生命であるが、とりあえず「創造主ヒューマノイド」も含めて300万人の人間を日本国から移住させる計画で動いている。

 

  

 

『日本怪異妖怪事典  中国』

寺西政洋(著)、朝里樹(監修)、笠間書院 2023/2/25

 

 

 

<ヒバゴン>

・広島県の比婆山連峰にて目撃された謎の類人猿。1970年代に話題となり、現在も日本の未確認動物(UMA)の代表格として有名。

 昭和45年(1970)7月、西城町油木(現・庄原市)の比婆山麓付近で怪物の目撃が相次いだ。身長約160センチ、体は毛に覆われ、顔面は逆三角形、猿にしては体が大きすぎ、ゴリラにそっくりだともいう。

 庄原警察署もパトロールを実施、付近の小中学校は集団下校をするなどの騒ぎとなり、住民のもとには取材陣が押しかけた。西城町役場は混乱を避けるため類人猿相談係を設置し、マスコミ対応の窓口とした。その後、工事現場で長さ約30センチの足跡が発見されるも、正体は特定できなかった。昭和49年(1974)頃までは近隣市町でも目撃証言が相次ぎ、庄原市濁川では怪物が写真に収められた。怪物にはヒバゴンの愛称が定着し、たびたびマスコミにも取り上げられた。児童向けメディアにおいても、ヒマラヤ山脈の雪男を念頭において「日本にもいる雪男?」と紹介されるなど、充分な存在感があった。しかし約5年を経て情報や問合せは減少。

 昭和50年にはヒバゴン騒動終息宣言が出され、類人猿係も廃止された。だが、その後もヒバゴンはキャラクターとして命脈を保ち、現在も地域のマスコットとして多用されている。

 

ヤマゴン

昭和55年(1980)に広島県福山市山野町で目撃された謎の生物。

 10月、地域住民の男性が山野町田原の県道にて、筋骨隆々のゴリラ似の怪物を目撃。顔は黒く、全身は灰褐色の毛に覆われていたという。怪物は目撃者と1分ほどにらみ合って立ち去った。正体が判明せず、怪物にはヒバゴンの再来よろしくヤマゴンの愛称が与えられた。その後も足跡が発見され、消息の途絶えていたヒバゴン自身が移住したものとの説も唱えられた。

 上迫錠二は1982年に山野峡探索を実施、ヤマゴンのものかもしれない足跡や貝の食べかす、糞を発見したという。

 

クイゴン

・昭和57年(1982)、広島県御調郡久井町(現・三原市)で目撃された怪生物。ヒバゴン、ヤマゴンに続く広島県第三の怪類人猿として知られる。

 久井町在住の10歳と7歳の兄弟が自宅近くの山道で遭遇したもので、茶褐色の体毛に覆われた体長2メートルほどの猿のようだったという。また、尻に尾やタコ(毛のない部分)はなく、左手に石斧、右手に石を握っていた。兄弟が恐怖で固まっていると、怪物は「ホー、ホー」と叫んで崖上に跳び上がり、山中に消えたという。

 

 

飛鉢(ひはつ)

・広島県三原市糸崎町に伝わる。

 鉢ヶ峰の堂は天竺から来た法道上人が開いたといわれる。この僧が祈りをこめると鉄の鉢(はち)が飛行して海上に行き、船を巡って米を乞うて回ったという。ある船人が邪心を抱いて鉢に鰯を入れたところ、鉢は海底に沈み、船までもが沈没したという。法道上人は千手空鉢の法を会得し、天龍・鬼神を従え、鉢を飛ばして供物を得ていたとされる。

 

異星人のボディーガード

昭和49年(1974)11月、岡山県岡山市の女子高・岡山就実高校2年生の美術部員が目撃したというもの

 ある夜、4人の部員がデッサンを終えた頃、変則的な軌道で飛ぶ星のような円盤が現れた。その後、部員の一人が自転車で下校中、不審な自動車が尾行してきた。車は時折ゴーンと謎の機械音を発し、蝋の上を滑るような奇妙な走り方だった。帰宅して家の中に入ろうとしたとき、車内の人物が身を乗り出すように彼女を見てきた。それは坊主頭で、目の窪みには眼球がなく、口もなく、顔にあるのは鼻だけだった。肌はサンオイルでも塗ったようにヌメッとしており、生ゴムのような質感だったという。女子生徒はこの時こそ怪人物が異星人だとは思っていなかったが、それから1ヶ月間ほどUFOのようなものにつけられたという

 

岡山上空の飛行物体

 ・昭和33年(1958)、岡山市の岡山就実高校の教師が見た未確認飛行物体。

 天文部の生徒たちからUFOの目撃情報を聞いた教師のH氏は、その内容を整理して『空飛ぶ円盤情報』に寄稿した。その後「またUFOが見たい」と思って空を仰いでいると、深夜、ボーッとした青白い発光体が空に現れた。それは直線的な軌道を描き、数秒で消えてしまったが、「本物のUFOなら、今一度」と念じて空を見続けていると、別の位置に再び現れたという。

 UFOに関心ある者がUFO遭遇体験をする=UFOは観測者の意思に反応するものという考え方が読み取れる事例のひとつ

 

尾道のUFO

・広島県尾道市で目撃されたという未確認飛行物体。

 昭和49年(1974)10月11日早朝、尾道市栗原町のある男子高校生が胸騒ぎを覚えて起床すると、千光寺山上空に長さ約40メートルで黒褐色の葉巻型の物体が浮いていた。それが北西に消えると、今度は北西から帽子のような形の物体が飛来した。無音のままゆっくり飛行しているところを撮影していると、それもまた北西の空に消えた。「えらいものを見たのう!」と恐怖に駆られたが、8日後には友人と共に再び同様の飛行物体を目撃したという。この時期の尾道では未確認飛行物体の目撃が相次いでおり、ある会社員は千光寺山頂上付近を飛ぶオレンジ色の発光体を見たという。このUFO騒動には中国新聞ほか報道各社も関心を寄せたという。

 

温羅(うら)>

吉備津彦命(きびつひこのみこと)に退治された鬼。岡山県の伝説でも特に有名なものとして語り継がれ、桃太郎の鬼退治譚の原型ともいわれる。

 第10代・崇神(すじん)天皇の時代。百済から来た温羅という鬼が吉備国の新山(吉備郡阿曽村。現・総社市)に鬼の城を造り、そこを拠点に暴虐の限りを尽くしていた。四道将軍の一人として西道に派遣された吉備津彦命は吉備の中山に宮を建て、片岡山には石橋を築いて決戦に供えた。あるとき臣下の楽楽森舎人(ききもりとねり)が温羅の配下を殺したのを契機に、ついに鬼との大合戦が始まった。

 

・負傷した温羅は鯉に変じて川へ逃げたが、鵜に変じた吉備津彦命に咥(くわ)え上げられ、とどめを刺された。温羅の猛威は死してなお残り、その始末が吉備津神社の鳴釜(なるかま)神事の由来となる。

 

コロポックル

日本の先住民族として想定された存在。アイヌの伝承にあるコロポックルを発想の根幹として、本州にも現在の日本人とは異なる民族が生活していたと考えたもの。石器・土器や貝塚は彼らの遺物と推定された。坪井正五郎が主張して議論を起こしたが、現在では顧みられることのない言説となっている。

 

明治末から大正頃に編纂された地誌類には、このような先史時代の民族への言及が時折みられる。岡山県では『吉備叢書』(明治30年)の序文に「有史以前には日本最古の民族たるコロポックル住せり」「彼らの古吉備国に蔓延せしは殆ど疑いなきが如し」といった文言がある。吉備地方が古くから繁栄し、遺跡から古代人の痕跡が発見されていることからこのような認識に至ったようだ。

 

すいとん

・岡山県真庭郡八束村(やつかそん)(現・真庭市)に伝わる。蒜山(ひるぜん)高原に出るという妖怪。

 一本足でスイー、トンと知らぬ間に近づき、人間を引き裂いて食べるという。人間の考えを悟ることもでき、薪採りに来ていた蒜山の人々の前に現れた際は「お前らの考えていることは筒抜けに分かっている」と威嚇したが、不意に焚火の竹が爆(は)ぜると仰天して「雷を自由にする人間には敵わない」と逃走したという。

 

・稲田和子編『鳥取の民話』では鳥取県側の民話として「さとりとすいとん」が収録され、蒜山に棲む一つ目の一本足の「さとり」としてすいとんが登場している。

 戦後、蒜山の観光地化に伴い、スイトンはトーテムポールを思わせる造形の木造や郷土玩具のモチーフになり人気を博した。

 

・串田孫一による民芸品付属の説明書では「粋呑」と表記されている。心を読めるため悪いことを考える人間がいれば察知して現れ、引き裂いて食べてしまうとされている。その活躍のおかげで蒜山には悪人はいないのだという。

 

猅々(ひひ)

・松尾芭蕉を主人公に据えた怪談集『芭蕉翁行脚怪談袋』には、芭蕉が山中で猅々(狒々)に遭遇する話がある。

 芭蕉が備前国岡山(岡山県)を目指して森山の麓を進んでいたとき、愛用の頭巾を谷の下に落としてしまった。谷に下り、頭巾を取ろうとしていると、長い体毛を垂らした大猿が現れた。その眼は朱を注いだように赤く、身の丈は一丈ほどあった。芭蕉は驚いたが、大きくとも猿には違いないのだから、さほど恐れるべきでもないと考え直して谷を脱出した。そして、俳諧の道も「思いこみで物事を推し量れば大きな過ちとなる」という教訓を得た。話を聞いた岡山の俳人・真田玄藤は、それは猿が千年、万年を経て通力を得た猅々だと語った。猅々は風を呼び雨を降らせることができるが、毛が傷むのを嫌がって悪天候の日には出てこない。ゆえに猅々から逃げるのは陽が翳(かげ)った時が良いという。

 

 

猿神(さるがみ)>

岡山県津山市の中山神社に祀られる神。

『今昔物語集』巻26「美作国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めたる事」では人身御供を求める神とされる。この話は「猿神退治」型の説話の例として知られる。

 美作国には中参(ちゅうざん)(中山神社)・高野(こうや)(高野神社)という神があり、前者は猿、後者は蛇だという。人々は中山の神へ年に一度生贄を捧げていた。ある年の祭日、ひとりの少女が来年の生贄に選ばれた。東方から美作に来た猟師は事情を知ると、彼女の身代わりとして神前に出た。やがて身の丈7、8尺の大猿が、無数の猿を引き連れて現れた。猟師は犬を放して猿たちを襲わせ、自身も刀で大猿を追い詰めると「神ならば我を殺せ」と威圧したすると神社の宮司に猿が憑き、今後は生贄を求めないと言って許しを乞うた。猟師はあくまで報いを与えるつもりだったが、猿が誓言を立てたので許してやった。それ以来。生贄の因習は絶え、人々は平穏に暮らし、猟師も助けた娘と結婚して末永く共に暮らしたという。

 中山神社は8世紀初頭の創建とされ、現在も牛の守護神として人々の信仰を集めている。

 

狒々(ひひ)>

山中の獰猛な怪獣。猿の大きなもの、猿が劫を経たものなどと理解され、各種の伝説や昔話に登場する

 たとえば、鳥取県倉吉市には次のような話が伝わる。昔、貧乏な鉄砲撃ちがいて、借金取りから逃れるために山中の洞穴に隠れた。その穴を抜けると「泣き村」という所に行き着いたが、そこでは娘を神様の生贄に捧げる習わしがあった。鉄砲撃ちが身代わりになって山へ入ると、奥から大きな怪物が現れた。銃弾を浴びた怪物は悲鳴を上げて逃げ、その血痕を辿っていくと、岩の下で大きな「ひひ」が死んでいた。こうして鉄砲撃ちは化物を退治し、助けた娘と夫婦になったと思ったが、実は全て夢にすぎなかったという。この話はいわゆる夢オチになっているが、狒々退治の主筋は「猿神退治」の基本形に忠実である

 岡山県御津郡では、備前様(池田新太郎少将)が江戸へ向かう途中、随行していた岡山紙屋町のジンゲンダ様なる人物が木曽の町で人身御供をとる狒々猿を退治し、土地の者から備前様以上に敬われたという話が伝わる。

 

第六天の悪魔王>

神楽の演目「八幡」に登場する魔王

 悪魔王は中天竺他化自在天の主で、日本に飛来して人民を滅ぼそうとする。九州の宇佐八幡宮の祭神・八幡麻呂(応神天皇)は、異国の悪魔王が人々を殺害していると聞き、神通の弓・方便の矢でこれを退治する。

「第六天」とは、仏教における欲界(欲望に囚われた衆生が住む世界)六天の最上位(他化自在天)で、仏道修行の妨げをなす悪魔の王が棲む場所とされる。「八幡」の舞は一神対一鬼の対決の様子を見せる、神楽における鬼退治の舞の基本形とみなされている。島根県石見・出雲の諸神楽にみられる塵輪(じんりん)の舞も、物語の構造や演技の構成は八幡が原型と考えられている。

 

目裂金剛王(めさきこんごうおう)

・岡山県苫田郡郷村下原(現・鏡野町下原)に伝わる。

 昔、下原の目崎城に目裂金剛王なる者がいた。身の丈一丈あまり、四臂八足で身は鉄のように堅く、毛髪は針のように鋭い。性質は暴戻(ぼうれい)にして淫僻で、美貌の婦女を略奪しては妻妾にしていた。国司の軍勢は討伐を試みたが成功せず、高野神社に戦勝を祈願して再戦を挑んだ。鉄甲を着けた金剛王には弓矢も効かなかったが、突然現れた朱馬に目を噛まれ、倒れたすきに斬られて死んだ。その後、祟りをなす金剛王の霊を祠に祀ったのが女志良世神社(珍敷(めずらしき)神社)の始まりだという。

 

桃太郎(ももたろう)>

・昔話「桃太郎」の主人公。川より「どんぶらこ」と流れてきた桃から誕生して爺と婆に育てられると、きび団子を与えた犬・猿・雉をお供にして鬼が島の悪い鬼たちを退治し、故郷に宝物を持ち帰る英雄。

 日本中で語られている有名な昔話だが、俗に岡山県、香川県高松市鬼無町、愛知県犬山市が三大伝承地とされている。岡山を有力な桃太郎伝説の地とするのは、原型と目される温羅(うら)退治の伝説があること、きび団子(吉備団子)発祥の地であることが理由に挙げられる。温羅との関連は昭和5年(1930)に難波金之助が『桃太郎の史実』で指摘したもので、以後岡山では地域のシンボルとして桃太郎が積極的に活用されている。現在では桃も岡山の名産品として知られているが、これは明治後半頃から県内での栽培が拡大したものである。

 

・JR岡山駅の駅前広場には昭和46年(1971)に岡本錦朋作の桃太郎像が設置され、今日に至るまで地元の人々に親しまれている。桃太郎の前身とされる吉備津彦命を祀る吉備津彦神社にも、中山森造による桃太郎のセメント像が設置されている。平成30年(2018)には、文化庁が認定する「日本遺産」として「「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま」の関連文化財が選出された。2006年から岡山県のマスコットとして活躍している「ももっち」も、桃太郎がモデルのキャラクターである。

 現在一般的に知られているのは桃太郎が鬼退治をする型の話だが、これは明治期に国定教科書の教材となって内容が画一化した結果ともいわれ、元は地域ごとに異なった型で語られていたと考えられている。

 

うきき

岡山県勝田郡勝田町梶並(かじなみ)(現・美作(みまさか)市)の語り手による桃太郎の昔話に登場するもの。桃太郎の実母とされる。

 1000年に一度甲羅を干しに出る海亀が、浜で人間の女の子を産んだ。その子はお婆さんに拾われ、ウキキと名付けられ育てられた。並の人間より早く、良い娘に成長したウキキは、山影中納言の奥女中となった。聡明な彼女は中納言の寵愛を受け懐妊したが、本妻に嫉妬され、不義の疑いをかけられ家を追放された。ウキキは大仙山の仙人に助けられて男児を出産し、阿弥陀様のような神様となった。後に中納言が山を訪ねてくると、ウキキは男の子を桃に入れて川へ放り投げ、その子がいずれ鬼を退治し、宝物を中納言に進ぜると予言して去ったという。

 『今昔物語集』には中納言藤原山蔭が助けた大海亀から報恩を受ける話があり、本話の原型と推察される。

 

金神(こんじん)

陰陽道における方位の神の一種。金神が巡る方位を冒すと苛烈な祟りがあると信じられ、近世末期頃から各地で金神除けの祈禱が盛んに行われた。年ごとに方位を回るため「まわり金神」とも呼ばれる。『簠簋内伝

(ほきないでん)』は、金神とは巨旦(こたん)大王の精魂で、その七魄(はく)が人間世界を遊行し、衆生を殺戮するものと説く。

 

座敷わらし

特定の家に宿り、その家に繁栄や幸福をもたらすとされる子供姿の妖怪または霊。元来は岩手県を中心に東北地方一帯に伝承されるものだったが、柳田國男、佐々木喜善らによる報告、これらを元にした二次資料への記載や創作物への登用(キャラクター化)を経て、全国的な知名度を得るに至った。これにより座敷わらし概念は外来種的に日本中へ波及し、各地の「家に出る童形の妖怪」が座敷わらしと同一視され、東北以外でも座敷わらしの体験談が聞かれるようになった。また、招福の性質から商業およびスピリチュアル方面での需要も高いのか、今日では座敷わらしがいると称する施設は各地方に点在している。

 

・佐々木喜善は友人が周防国(山口県)で体験した怪異をザシキワラシに類する事例のひとつとして紹介している。それは某氏が山口市の高等学校にいた頃のこと。夜、下宿でドイツ語の書物を枕元に置いて寝ていると、夜半に一人の童が出てきて本をペラペラ捲って遊んでいた。やがて童は寝ている友人の懐や裾に潜りこんで脇などをくすぐったので、たまらず目を開けると、暗中にもかかわらず天窓板が一枚一枚節穴に至るまで明瞭に見えたという。

 

・岡山県和気郡和気町日笠下出身の女性(1926年生)は、幼い頃に父から「我が家には座敷童子が住んでいた」と聞かされたという。父は座敷童子がチョコチョコと座敷から出て去っていくのを目撃し、家運の衰えを察したという。津山市のあるアパートにもいたずらっこの座敷童がいたといい、住民の看護婦さんは怖いとも思わず一緒に暮らしていたという。

 

・広島県三次市甲奴町小童(こうぬちょうひち)の飲食店「手打ちそば山菜料理わらべ」(2022年閉店)の店舗は古民家を改装したもので、座敷わらしが宿っているという。開店準備中の時期、澤口則子店主はどこからともなく聞こえる囁き声を耳にしたといい、開業後も人の歩く足音が聞こえたり電灯が消えたりと、奇妙なことが続いたという。店がテレビで紹介されると、「スピリチュアルの先生」が「ここは座敷童がいますね」と判定。それ以来、願いを叶えてほしい、一目見てみたいといった訪問客が増えたという。不思議な現象がよく起こる「座敷童の部屋」には、客から差し入れられた玩具やお菓子が所狭しと並んでいる。

 

日招き(ひまねき)

・沈みゆく夕日を扇子で招き返し、日暮れまでの時間を延ばして目的を達する呪術。

 中国地方を舞台とする例では、平清盛による音戸の瀬戸(広島県呉市の海峡)開削の伝説が有名。安芸(あき)守だった清盛は、航路の便を図って音戸瀬戸の開削事業に着手した。しかし工事は停滞し、予定日の夕方になっても終わりそうになかった。そこで清盛は扇で沈みかけている太陽を招き返して、その日のうちに作業を終了させたという。

 

・鳥取県の湖山長者も、『因幡志(いなばし)』『因幡民談記』などに記述があり、古くからこの種の伝説の主人公として広く知られている。

 

猿猴(えんこう)>

・水辺の妖怪。人を捕まえて尻や内臓を抜いたり、牛馬を水中に引きこんだりする。「猿猴」の本来の字義はテナガザルだが、中国地方一帯では河童にあたる存在の呼称として通用している。一般的に想像される河童と同じく、頭に皿があり、留まっている水がこぼれると力を失うとされる場合も多い。人間や神仏によって懲罰されることも多々ある。

 

血取り

・異人などが人の生き血を取ると考えられたもの。明治6年(1873)から各地で徴兵令などに反対する民衆運動(血税一揆)が起きたが、これらの発端にも血取りの風聞が関わっていた。これは前年の太政官告諭にある「西人之を称して血税といふ。その生血を以て国に報ずるの謂なり」という文言から、西洋人が生血を取りに来るとの誤解が生じたものである。

 

・北条県(現・岡山県東部)では、アメリカに連行される、石高1000につき女1人・牛1匹を異人へ引き渡されるなどの噂にまで発展し、津山の県庁が強く否定するも県民の疑念は拭えなかった。貞永寺村の卯太郎という者は「10歳から40歳までの人の生き血を絞るために白衣の者が来る」と噂を流して住民の不安を煽り、実際に白衣を着た人物の徘徊を見せて暴動を誘発し、大規模な一揆に発展させたという

 

・鳥取県会見郡でも、異人は人間の生き血を飲む、徴兵で生き血を絞り外国に売るといった噂が流れていた。鉱山局が雇った外国人が検査に訪れた時は血を取るための調査と思いこみ、人々は門札を外して家族構成を隠したという。古市村(現・米子市)の農民の妻が不審な二人組を目撃すると、村人たちは血取りが来たと大騒ぎして半鐘を鳴らした。混乱は村から村へ急拡大、竹槍を持ち出す者、通行人に暴力をふるう者まで出た。集合した農民は1万人規模となり、戸長宅への襲撃などが始まった。

 

・明治6年7月の『東京日日新聞』では、岸田銀二が備前児島の他の浦を訪れた際、同地の住民が血取りの流言を信じて避難・武装していた様子が報じられている人々は朝廷が唐人に騙され、日本人の種を絶やすために、若い男の血を抜いて弱くし、女は外国にやってしまうものと信じていた。邑久(おく)郡では多くの者が血を取られた、美作(みまさか)では夜中に役人と唐人が家々を検め、娘を連れ去ったなどと具体的な噂まで飛び交い、政府への疑念が増大していたという。


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