『幽体離脱入門』
大澤義孝 アールズ出版 2009/10/26
<あなたも幽体離脱はできる!>
・では、誰でも幽体離脱できるのでしょうか。
この質問は「誰でも自転車に乗ることができるか?」とか、「誰でも泳ぐことができるか?」というのと似ています。途中で諦めてしまった人はできないままでしょう。
臨死体験や不規則な睡眠によって偶発的に起きることなどから、人は基本的には幽体離脱の能力を持っているといえます。ただし、幽体離脱を一度もしたことがない人が寝ているうちに偶然に離脱することはまずありません。
・筆者の経験から、根気よく練習を続ければ、たいがいの人ができるようになります。幽体離脱ができるようになる前、私は霊能力などというものとは無縁でした。
<成功の鍵は、練習の習慣をつけること>
<アストラル界はどんな世界か?>
・アストラル界が、物質界とは異なる異界として存在しているのかどうかといえば、それはあると言うしかないものです。物質世界が存在するように、アストラル界も存在します。なぜそんな世界が存在しているのかは、わかりません。物質界だってその点はわからないわけですから(笑)。アストラル界では自分自身の心の中が映しだされているようにも思えるし、そうとは思えないものも映し出されます。古来よりアストラル界は「鏡の世界」と呼ばれています。「その人の心が映し出される鏡の世界だ」と。
・夢の世界と現実の生活は、奇妙なシンクロニシティを見せることがあります。二つの世界は地続きといえるかどうかは微妙ですが、どこかでつながっているようです。
幽体離脱の視点から、アストラル界の特徴を紹介します。
○物質界より時空間の制約が少ない
空を飛べたり、瞬間移動ができたり、壁をすり抜けたりできます。
○時間の流れ方が異常
非常に長時間離脱していたとしても、戻ってみるとせいぜい5分程度だったり、一瞬のことでも30分くらい経過していたりします。
○他者がいる
これは大きな謎で、自分が知る人のみならず、まったく知らない人まで登場し会話が成立します。彼らとの会話はどこかテレパシックに行われます。時には宇宙人のような得体の知れない存在と出会うこともあり、秘密の知識を教わったり、契約をもちかけられたりするようなこともあります。
○意思や念じる力が効力を持つ
「空を飛びたい」「誰かに会いに行きたい」「こんなものを出現させたい」と思うと、それが外界に現れます。しかしかならずしも思ったとおりにいくわけではありません。
○主体と客体が明確に分離されていない
アストラル界では、「あそこに行きたい」と思うと、瞬時にその場所に移動することができます。
○自分の記憶が再現されているような、そうではないような世界
しかしアストラル界が、自分とはまったく無縁な見知らぬ世界なのかといえば、見なれた町の光景を見るわけですから、なにかしら自分とつながりをもったものを見ているとも言えます。自分の記憶と、そうとは言えない二つの事象が混ざり合っているように思えます。
<アストラル界は映像的>
心に思ったりするだけで、別の場所に移動したり、変身してしまったりするのがアストラル界です。
○引力がある
空を飛ぶとき、飛ぼうと意図し続けないと、高度が下がってしまいます。
○アストラル界は意外と狭い?
「アストラル界にも天井がある」と言った知人がいます。
○水の中にいるような圧を感じる
幽界の空間はどこか水中を思わせるものがあります。空を飛ぶときも、水中をダイビングしているような浮遊感があります。
○天候
筆者の経験では、ほとんど快晴で真っ青な空が広がっていることが多いです。
○動物
ユニコーンやべヒモスといった幻獣の類がウヨウヨしていると思われるかもしれませんが、そのような生き物に遭遇することはまれです。
○植物
花は妙に色が鮮やかで、華々しいほどの色彩を放っていることが多いです。
<アストラル体の感覚>
アストラル体(幽体)になったときも、視覚・聴覚・臭覚・味覚・皮膚感覚・その他、だいたいすべてが備わっているように思えます。
○触覚
触覚のリアリティはなかなか強いものがあり、手に持った品物の質感はリアルそのものです。
○聴覚
聴覚はかすかな音から耳をつんざくような大きな音まで様々です。
○味覚
味覚を始めて試したときはちょっと驚きでした。味があるとは思っていなかったのですが、しっかりあります。
○臭覚
普通の夢で匂いを感じた報告は非常に少ないそうですが、幽体には臭覚もあります。
○声
アストラル体も声を出すことができます。
○視覚
離脱が安定した状態なら視覚は非常に鮮明ですが、時にはぼんやりとスリガラスを通して見たような世界になるときもあります。
○呼吸
アストラル体でも呼吸していることを自覚できます。
<まずは幽体離脱の理論を理解しよう!>
<なぜ、幽体離脱は起こるのか>
・バトラーの魔術ではその現象をエーテル体とかアストラル体といった述語を使って説明しますが、この語は多数の神秘思想家や宗教家によって乱用されてきました。各語の意味づけや関連づけも、使用者の間でかなり食い違いが見られます。
<肉体は、生命の働きが宿っている「物質体」>
・人間が持つ4つの体としては、魂体、アストラル体、エーテル体、物質体があります。
<「エーテル体」は、物質体を生命体として生かし続ける生命の体>
・これから述べるエーテルは、19世紀以前の物理学で考えられていたエーテルとは無関係です。遠方の恒星の光が真空中を伝わり地球に届くことから、かつて、宇宙空間には光を伝達する未知の物質が充満していると考えられており、それをエーテルと呼んでいたのですが、特殊相対性理論の登場などによってこの観念は使われなくなりました。
精神の領域でエーテルを想定するのは、私たちの不可視の精神が物質に干渉するために、なんらかの媒介物質があるに違いないという推測と、それを裏づけるような身体経験に基づいています。物理学にせよ神秘学にせよ、エーテルはあるのかないのか不明瞭な物質に与えられる名前のようで、外から観察したエーテルは、とにかく存在のあいまいな物質なのです。
エーテル体は物質体を肉体たらしめ、生命体として生かし続ける生命の体です。
<人はエーテル体からしか物質界を知覚できない>
・人は心の中に映し出されたイメージを見ています。このイメージを(幻像)と呼ぶことにします。(幻像)は見えるだけでなく、その像に触れたり、動かしたり働きかけることができ、視覚以外の感覚も含まれています。
・エーテル体をバーチャルリアリティ装置のたとえで説明しましたが、たとえはどこか不完全なところがあるものです。補完すると、人はエーテル(物質)しか知覚できないのです。エーテルで構成されたエーテル体があり、エーテル体はエーテル界に存在します。
エーテル体を通じて、人はエーテル界にアクセスします。エーテル界を構成するエーテル(物質)は一切の物質に浸透しています。エーテル体の動きに物質体は付き従います。
・人が肉体から見て物質界と呼ぶ世界は、実はエーテル界のことです。エーテル体で知覚される(幻像)は、肉体から見た世界そのものですが、これから述べる、液体的な身体感覚や気やオーラなど、あまり気づかれずにいる(幻像)が含まれます。
<エーテル体は液体のような体>
・周天法などの呼吸法を行うと、自分の体がふわふわと揺れ動いたり、波打ったりするような感覚や、体を流れる暖かい気のエネルギーを感じることになるでしょう。揺れているのは物質体ではなくエーテル体です。強力なエネルギーが流れ込んできたとき、それは膨らみ、網状の繊維構造があることにも気づくでしょう。
・エーテル体は雲や蒸気、あるいは液体のように、流動的な性質を持っていて、また自我からの働きかけによって、姿形を変えたり、一カ所に集中して密度を高めたりできます。気功師が「気を集める」などと表現しますが、「気を集めよう」と意念を集中すれば、それが可能なのです。
<エーテル体は「気」の体>
・エーテル体は「気の体」とも呼ばれます。内的な感覚から見れば先述したようなものですが、「気」はしばしば外的にも認められる性質があります。
雰囲気や気配、空気感のようなものとして知覚されたり、オーラのような光や形として知覚されたりもします。
<アストラル界は目覚めた状態でも見えることがある>
・夢や幽体離脱ではアストラル体はアストラル界を知覚します。しかし目覚めているときでもアストラル界がなくなってしまったわけではありません。肉体からの印象があまりにも強く、アストラル界の印象がかき消されているだけなのです。
アストラル界は「星の世界」という意味です。星は、昼間は太陽の光にかき消され見えなくなっていますが、なくなったわけではありません。肉体の眠りという、夜が訪れると、それは見えてくるのです。ある種の条件下では、アストラル界のイメージと物質界のイメージが合成されて、通常では見えないものが見え、それに触れたような感覚すら生じます。
<魂体(自我)は知情意と感覚>
・幽体離脱は幽体が抜けるというよりは「自我」が離脱しているのです。
・「魂」というと、ヒトダマや幽霊を連想するかもしれませんが、「体」と区別するための識別子です。
<「四つの体」のまとめ>
① 人の意識は、その内に再現された外界の(幻像)を見ている。
② 肉体で目覚めているときは「物質界の(幻像)」を見ている。
③ 夢や体脱したときは「アストラル界の(幻像)」を見ている。
④ その(幻像)のスクリーンがエーテル体。
⑤ その(幻像)を知覚し認識しているものが「魂体(自我)」。
⑥ その(幻像)を投射/感受しているのがアストラル体で、それは魂体の「感覚」機能。
⑦ 夢や体脱時に見る自分の幽体は(幻像)で、それはアストラルエーテル体。
⑧ アストラル体は(幻像)の中にはなく、その外にアストラル体がある。
<幽体離脱を引き起こせる理由>
・幽体離脱の技法は簡単なものです。光体(自分と等身大の似姿)を上空にイメージし、その光体に自分が乗り移っているように、ありありと視覚化し想像します。そして眠りにつくと、うまくいけば幽体離脱が起きます。
・光体の姿をありありと視覚化するのはアストラル体の力です。
エーテル物質は、人の意念によってイメージしたとおりのカタチに化ける性質があり、周天法で強められ集められたエーテル物質は、アストラル体によって視覚化された光体の鋳型に流れ込みます。光体はあくまでも鋳型にすぎません。
エーテル物質で自分の似姿を作る際は、自分のエーテル体内にそれを作ります。エーテル体は肉体より広範囲に広がっているので、物質体から少し離した場所に、似姿を置きます。そこに魂体を避難させておくのです。
魂体には引力のようなものがあり、アストラル体はそれに引き寄せられる性質があります。眠りに入ると、エーテル体とアストラル体の結合は弱くなります。普通ならここで気絶してしまいます。エーテル体には睡眠とともに自我の炎を吹き消してしまう仕組みがあるようです。各体が同じ座標点にあるとそうなるのです。
<W・E・バトラーの「魔法修行」>
・21歳のある春の日、私はW・E・バトラーの「魔法修行」という本を手に入れた。これは西洋魔術の実践本で魔術師になるための初歩の訓練について書かれた本だ。
魔術師といって手品師のことではなく、オカルティストと呼ばれる人々のことだ。日本に禅や密教があるように、西洋にもそういう精神修養の道がある。
・私は、本に書かれていることを実践してみることにした。この本には「幽体離脱」とは書かれていないのだが、それを意図的に行う技法が書かれている。
この本によれば…
「イメージによって精妙な物質でできたアストラルボディを作り上げ、その体に自分の意識を投射することで、その体に乗り移り、自分の肉体を離れてアストラル界を旅できる」
ということが書かれていた。この術を西洋魔術ではアストラルプロジェクションと呼ぶ、今から思うと「よくそんなことを真に受けられたな」と思うのだけれど、若かったので信じやすかったのかもしれない(笑)。
けれども幸か不幸か私にとってそれはウソとはならなかった。とはいえ、書かれていることを何度も読み返しながら忠実に実践したが、なかなかその術は成功しなかった。
・次の日、「もしかしたら」という淡い期待を抱いて、前日とできるだけ同じ条件を整え同じ時間に起きて、再び半眠状態に身を置いて、幽体離脱の技法を試みた。
しばらくすると、たいした前触れもなく、私は自分の頭の側からスルッと抜け出した。初めは真っ黒だったが、少したつと視界が開けた。昨日、部屋の中で自意識を保ちながらつっ立っていたのと同様、私は自分の部屋の光景を見ていた。
そして意図的に幽体離脱に成功したことを確信した。
・獲得した能力は決してマグレではなかった。その日からしばらくの間、この超越的能力を獲得したことが嬉しくて、毎日うきうきしながら過ごした。毎日のように肉体を離れて、初めて知ったアストラル界の探検に出かけた。
幽体離脱していく世界のことを幽界もしくはアストラル界と呼ぶ。一見同じに見えるので、現実の世界と間違えてしまう人もいるのだが、西洋魔術では別の世界と見なしていて、物質次元を超えた高次世界だとされている。
アストラル界の現実は物質界の現実とはだいぶ異なっている。
・やがてアストラル界では空を飛べることにも気がついた。コツが必要だが、うまく意識をコントロールすると空も飛べるのだ。日常生活(物質界)でできることは、アストラル界でもコントロールすると空も飛べるのだ。日常生活(物質界)でできることは、アストラル界でも同様にできる。だが、生身で空を飛ぶことは物質界では絶対にできない。空高くから小さくなった町の屋根をながめながら私はすいすいと飛行した。
・私はものすごく面白い遊びを手に入れた。やがていろいろな生き物がその世界には住んでいることがわかった。普通の動物をはじめ、幻獣のように変わった形の生き物もいたりする。絵に描かれたそれではなく、現実に目の前にリアルなそれが出現する。
人間と同じような人々がいることも知った。また人間とはちょっと違う、別の進化系に属している人型の種族もいる。宇宙人がいるとすれば、彼らのようなものかもしれないと思ったりする。
・アストラル界に咲き乱れる花や植物は、地上で見るそれよりもはるかに美しく、ものすごく生命力が溢れていて、鮮やかなオーラを発散していた。
・この道の探究に乗り出して、今年はちょうど20年目に当たります。「どんなことでも20年続ければものになる」。などと言われますが、やっと1冊の本にまとめることができました。
<宇宙人が来た日>
・私の宇宙人は幽体離脱や夢の中に出てくる宇宙人のことです。ですが、夢でも宇宙人に会うことは、そんなに多くはないように思います。
当時のメンバー間では、「宇宙人とは、アストラル界に降りて来ることはできるが、物質次元にまで降りられない、天使のような生命体」という考え方が共通認識としてあったのです。アストラル界は人の想念の世界のことですから、その中に寄生する生命体と考えることもできます。
こういう分野に興味がまったくない人は、夢で宇宙人に会ったと聞いても、「それは夢でしょ」と一笑して終わりですが、研究会の中では「そのような珍しいシンボルにはなにか意味があるし、アストラル界の住人がいても不思議はない」程度には考えていたのです。
なぜ私がこのような宇宙人を特別視するかというと、彼らはある程度の長い時間をかけて、現実世界に干渉してくるように思えるからです。幽体離脱で、ある宇宙人と出会ったのですが、その前後から1年ほどかけて異変が始まったのでした。
<宇宙人のおばさんがウマイ話を持ってきた>
・怖い夢で目が覚めたとき冷や汗をかいていた。まだ身体はだるかったし眠かったので、再び寝ようとした。
すると、突然振動が始まった。幽体離脱して、視覚が働き出したら、私は自分の部屋の中にいた。人の気配を感じて目を向けると、銀色のぴったりスーツという、いかにもというスタイルの宇宙人が床に正座している。顔はどこにでもいそうな普通のおばさんだった。金髪でも美人でもなんでもない。
彼女は「私はセムジャーゼといいます」と名乗った。
・勝手に手術したりせず、ちゃんと意思確認をするところが律儀な宇宙人です。
セムジャーゼはUFOに興味を持つ人たちの間では、プレアデス系宇宙人という話になっているのですが、UFOにはあまり興味がなくて詳しいことは知りませんでした。
<宇宙人は天使の役割>
・X氏は言った。「セムジャーゼはおそらく本人ではないだろうが、それに近いところの存在だろう。彼女の顔は公開されておらず、年齢的にはおまえが見たのと一致している。セムジャーゼは小天使だ。私は、20歳くらいのときにそのような存在と会った。それは頭を整髪する理髪師として現れた。
小天使は大天使と違い、人間の「気」から物質レベルにまで干渉することができる。頭をいじくるということは、つまりサハスララチャクラを開くということで、周天法を行うことと関係している。
サハスララは自力で開くことはできない。それは1オクターブ上の世界の住人の助けが必要だ。それは大天使だったりグル(導師)だったりする。
サハスララが開くプロセスは、大天使の前に小天使がやって来る。
一度開くプロセスが始まると、小天使はしばらく滞在し、半年ほどかけて仕事を終える。私の場合、その期間、頭が万力で締め付けられ、上のほうに引っ張られる感触が続き、青い光のリングが体の周りを回っているのが見えていた。
セムジャーゼはおまえの霊統と関係している。
・私はセムジャーゼにOKすることに決めました。別にもう一度幽体離脱して彼女に会う必要があるとは思いませんでした。どのみちセムジャーゼは私のアストラル界にいるのだし、そのように自分が決意を固めれば充分でしょう。
もちろんUFOに拉致されて手術されるなんて考えているわけではなく、「気」やアストラル界での話ということは理解していました。セムジャーゼが出てきた後、私はだんだん妖しい世界に突入していきます。
『あの世の存在に活かされる生き方』
パット・クビス&マーク・メイシー 徳間書店 1999/7
<新しい世界で生きるということ>
・霊たちのほとんどは、自分たちがこの新しい場所に「渡ってきた」ことを理解しているのですが、ここにどうやってたどり着いたのかを思い出せる者はいませんでした。
「この新しい場所」とは、地球が所属する太陽系にはないマルドゥクという星のことです。この惑星はひとつの太陽の周りを公転していて、そのほかにさらに二つの太陽に照らされています。ここは決して真っ暗になることはありません。マルドゥクの円周は約12万7000キロメートルで、ここには地球の月よりも大きな月があります。エターナティ川という名の、最深1万7000キロメートル、いちばん広いところで幅3700キロメートルになる大河が惑星全体をぐるりと囲んで流れていて、この川のほとりには600憶もの人々が暮らしています。
・この星の風景は絶えず変遷しているわけではなく、なかにはまったく変わらないものもあります。また、街があり、学校や大学もあります。
今日、アストラル界についてのこのような描写は珍しいものではなく、多くの人々が臨死体験や体外離脱を経験し、そのときのようすを個人的に家族や親しい友人に話したり、あるいは記事や本、講義などで公に発表しています。
<低次のアストラル界 地獄や煉獄という概念のもととなった世界>
・低次のアストラル界は暗く、陰惨な世界です。一部の人々は死後、自分が持つ低振動の思考や行動によってこの世界に引き寄せられます。この領域は物理的世界の近くに存在し、混沌としています。霊界には時間も、空間も、引力もなく、この低次の世界に陥った存在たちは、混沌とした状態のなかで生きることになります。そしてときには、地球の時間で言えば数年から数世紀もの間、この困惑に満ちた現実のなかで暮らすのです。なかには自分が死んだことに気づいていない者さえいます。
・アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信ができ、心の弱い人たちが悪い行いをするようにささやくのです。その人たちはそれぞれが自分自身の思考だと思い込んでしまいます。たとえば、死んだアルコール中毒患者、麻薬常用者、殺人者、またその他の凶悪犯罪人の霊は、地球上の自分と似たような性質を持った人間や意志の弱い人間に引き寄せられ、かつて自分たちが働いてきた悪事へと誘い込もうとします。このような否定的な心的存在たちは、とりついた人間の否定的な思考や態度、行動を煽り立てます。
<アストラル界中層>
・私たちのほとんどが地球での教育―私たちの人格や忍耐力を向上させるための試練を与えてくれる学校―の後のリハビリテーションを行うための快適な領域です。
タイムストリームや他のITC研究者グループから地球に送られてくるメッセージや画像はすべて、このアストラル界中層からのものです。彼らは、地球上のものに似たコンサートホール、博物館、病院、学校、家などについて描写しています。そしてその周りには、木や花、山々、野原、河川などの自然があり、このような景色は地球のものと似ていますが、ただただ息をのむほどに美しいということです。
第三界とは、わたしたちがさらに高次の世界に進むか、それとも経験を積むために再び地球に生まれ変わるかを決めるまで過ごす、一時的な場所です。
<さらに高次のアストラル界>
・さらに高次のアストラル界は、キリスト教徒が「天国」、スピリチュアリストが「常夏の国」と呼んでいる素晴らしい場所です。他界におけるITC実験の研究仲間の多くはこの高次の世界に暮らしていて、ITC(トランスコミュニケーション)の活動に参加するために自分の振動数を下げて第三界に「降りて」くるのです。
・心因界は、世俗的な欲望や葛藤とは無縁の神聖な霊感の領域です。ここにいる存在たちはテレパシーを使ってメッセージを送り、地球上の多くの芸術家や発明家にひらめきを与えています。心因界の振動を持つ「光の存在」たちは、インスピレーションや手引きを与えてITCのプロジェクトを援助しています。
<天国と地獄>
・ほとんどの人によって天国だと考えられている世界は、アストラル界高層にあります。神秘家や霊能者はこの世界を「常夏の国」と呼んでいます。
この常夏の国では、人々は私たちと同じように暮らし、その姿は若かったころのように見えます。ここには素晴らしい大学やデザインセンター、きれいな花や植物が茂る美しい風景があり、まさに天国を思わせる鳥たち、犬猫などの動物のほかに、こちら側の世界には見られない種類の動物たちがいます。またこの世には存在しない色がたくさんあり、初めてこのアストラル世界を訪れた人たちはそのまばゆさに目がくらんでしまうほどです。
・医者であり、リッチモンド全科診療専門学校の前学長だったジョージ・リッチ-博士は、1943年にアストラル界を訪ねる経験をしました。リッチーは巨大な半球形の建物に案内され、そこで存在たちが何かの製造作業をしているところを見ましたが、当時はそれが何かわかりませんでした。それがわかったのは十数年後で、ライフ誌に掲載された米国第2の原子力潜水艦の写真が、何年も前に彼が見た、アストラル界の存在たちが造っていたのと同じものだったのです。
・他界から通信してくる者たちは、多くのアイデアはまずアストラル界で生まれ、それが現世の発明家に与えられると告げています。発明家が研究開発に一心不乱に取り組んでいるとき、彼らはしばしば自分にテレパシーを送ってくる目に見えない仲間とともに作業をしていることが多いのです。発明家の多くは、まるで見えない何者かが自分の傍らにいるようだと言っています。
多くの発明家たちが、貴重な情報を夢のなかで受け取ったという経験を語っています。他界の科学者たちにとって、人間が夢を見ている間というのは通信にもってこいの時間なのです。
・わたし(パット・クビス)はカリフォルニア州のコスタ・メサにあるオレンジコースト大学で教授として23年間教えていましたが、実はアストラル界の大学でも教壇に立っていたのです。わたしは自分をよく知る友人に向かってときおり、「こんなに疲れているわけよね。一日中ここのキャンパスで働いて、それからアストラル界でもやっているんだから」と冗談を言ったものでした。興味深いことは、アストラル界の大学のキャンパスは、あらゆる点においてコスタ・メサの大学と同じくらい「現実的」であったことです。ただ、アストラル界のキャンパスの構内と建物は地上のものとはまったく異なっていて、オレンジコーストよりもずっと大きなものでした。
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