奈良県に行って来ました♪
小学校3年生以来です。
阿吽像、破れた網の隙間から、いい写真が撮れました☆
西洋の彫刻よりもまさる独特の迫力がありました。
多聞天、凄い☆☆☆
私が見たこちらの東大寺の戒壇堂(奈良市)の「多聞天」は国宝指定品。
仏教の四天王の一つに数えられる武神であり、四天王としてだけでなく「独尊」として信仰の対象にもなっていて、日本では四天王の一尊として安置する場合は「多聞天」、独尊像として安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例。
「毘沙門天」はインド、中央アジア、中国、日本だけでなくそれ以外の広い地域でも信仰されている。
インドにおいては「財宝神」、中国に伝わる過程で「武神」としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる「武神・守護神」とされるようになった。
「七福神の一尊」でもあり、勝負事に利益ありとして崇められている。
色んな「毘沙門天」を、ググってみましたが、こちらの東大寺の像が一番カッコイイなぁ♡
広目天
コワいけど、命がけで海を渡ってきた僧侶で、失明をしてしまったとかなんとか、、、そういう人の像らしいです。
東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺
ユネスコ世界遺産
東大寺大仏殿の広い前庭。
建立当時 世界各国からの使節団を迎える壮大な音楽イベントが催されていたそうです。
奈良は国際都市だったんですね☆
私が見たこちらの東大寺(奈良市)の南大門の「阿吽像」は、「国宝」で、全国に色々ある阿吽像の中で現存する一番大きな「阿吽像」であり、1203年に「運慶」が制作の総指揮をとり、高さ8メートルの阿吽像(2躯)をたった2ヶ月で創ったとのこと(兵火で焼失した東大寺復興のため)。
平成に「阿吽像」の解体修理の時に発見された「像内納入文書」から裏付けられられました。
「阿吽像」、「金剛力士像」、色んな呼び名がありますが、一般には「仁王像」の名で親しまれています。
手には「金剛杵(こんごうしょ) という仏敵を退散させる武器」を持っている。
「阿」は怒りの表情を顕わにし、「吽」は怒りを内に秘めた表情に表す。
寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神。
平安時代の貴族の趣向は「滑らかで穏やかな曲線や彫の造形」だった中、運慶のゴツゴツとした男らしい造形美の阿吽像は高評価を受け、これまでの仏師には見られないほどの大きな出世をしたとのこと。
平安時代の貴族の趣向は「滑らかで穏やかな曲線や彫の造形」だった中、運慶のゴツゴツとした男らしい造形美の阿吽像は高評価を受け、これまでの仏師には見られないほどの大きな出世をしたとのこと。
平安時代の貴族の趣向は「滑らかで穏やかな曲線や彫の造形」だった中、運慶のゴツゴツとした男らしい造形美の阿吽像は高評価を受け、これまでの仏師には見られないほどの大きな出世をしたとのこと。
運慶は平安時代~鎌倉時代に奈良を拠点に活躍した仏師。父もまた仏師。
こちらは「阿」像。
「阿」は怒りの表情を顕わにし、「吽」は怒りを内に秘めた表情に表す。
寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神。
東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺
ユネスコ世界遺産
奈良の大仏
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)
史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。
宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。
疫病、大地震、飢饉、乱勃発などの社会不安にさらされた時代に、こうした社会不安を取り除き、国を安定させたいという願のもと、聖武天皇の発願で745年に制作開始、7年後に完成された。
東大寺の大仏、のべ260万人が工事に関わったとされ、関西大学の宮本勝浩教授らが平安時代の『東大寺要録』を元に行った試算によると、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出された。
鹿、可愛かったです。
お昼寝タイムにお邪魔しました(笑)
お昼寝タイムにお邪魔しました(笑)
穏やかなまなざしでした♡
☆mikoto☆
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