2月14日日曜日、つづき。
一昨日映画祭オープニングが行われたアンギアンの映画館へ移動。
映画館のロビーでは、子どもたちを対象に粘土アニメのワークショップが開かれていたり、アニク・ル=レイさんが自作の絵本のサイン会を開いていたり。
ここで、『マイマイ新子と千年の魔法』上映終了後の質疑応答を行いました。子どもたちの顔、彼らを連れてきた親御さんたちの顔、それぞれが印象的です。
そしてまた次の上映会場であるサン・トワーン・ロモーヌ市(Saint-Ouen l'Aumone)の映画館へ。『アリーテ姫』上映後の質疑応答、および、その次に始まる『マイマイ新子と千年の魔法』の紹介。
上映開始前に一応時代設定などを説明しておこうと思ったのですが、座席に二人だけいた子ども客には難しいかもしれない、と思ったので、
「お子さんたちにわかりやすくいうなら、まだテレビがなかった頃のお話なのです」
と、いってみたところ、子どもたちは目をまん丸にしていました。子どもたちにとっては、
「テレビが存在していない」
というのは驚愕すべき、ひょっとすると、怯えるべき世界であるようなのです。
そして、再び上映後の質疑応答。
『アリーテ姫』と『マイマイ新子と千年の魔法』を続けて見た観客の方が、
「確かに同じ作家の作家性を確認できた」
などといってくださいます。
そろそろ午後9時近いので、先ほど目を丸くしていた子どもたちが親に連れられて帰り支度を始めています。あわてて缶バッジを引っ張り出して、おわたししました。
「ドウモアリガト」
小学生の女の子たちが日本語で答えてくれました。
質疑応答は、イマジュ・パル・イマージュではずっとイーブさんが司会を勤めてくださってます。もう何度目かになるので、さすがに以心伝心になってきて、「あの話を観客にしてあげてください」などと話題を振ってきてくれる関係になってきています。
「新子の家の周りの麦畑は、家が立ち並んで消滅しました。貴伊子の社宅は数年前の台風で壊れ、立て直されてしまっています」
と、紹介していると、
「工場は? 工場はどうなってしまったの?」
と尋ねてくる方もありました。
「工場は数年前に閉鎖され、今は別の企業になっています。一部の土地はショッピングセンターになっています
と、答えると、この女性は、
「ああ・・・・・・」
と、ため息をついていました。何か工場に思うところがあったのでしょうか。
子どもたちにとってはテレビの有る無しが、大人たちにとっては失われてゆく何かが、日本のわれわれとフランスの観客を結ぶ共通認識となりやすいのかもしれません。
しかし、この映画は、失われたものへの郷愁にふけるためのものではありません。
「埋立地はさらに沖へ延びて広がっています。今、その突端に立つとそのとき、千年前に諾子が舟でやってきたまさにあの海の上に自分が立っていることを発見します。あの土地を取り巻く山々の形はいつまでも変わりません」
ね、その感覚はおもしろく、楽しいでしょ、と。
一昨日映画祭オープニングが行われたアンギアンの映画館へ移動。
映画館のロビーでは、子どもたちを対象に粘土アニメのワークショップが開かれていたり、アニク・ル=レイさんが自作の絵本のサイン会を開いていたり。
ここで、『マイマイ新子と千年の魔法』上映終了後の質疑応答を行いました。子どもたちの顔、彼らを連れてきた親御さんたちの顔、それぞれが印象的です。
そしてまた次の上映会場であるサン・トワーン・ロモーヌ市(Saint-Ouen l'Aumone)の映画館へ。『アリーテ姫』上映後の質疑応答、および、その次に始まる『マイマイ新子と千年の魔法』の紹介。
上映開始前に一応時代設定などを説明しておこうと思ったのですが、座席に二人だけいた子ども客には難しいかもしれない、と思ったので、
「お子さんたちにわかりやすくいうなら、まだテレビがなかった頃のお話なのです」
と、いってみたところ、子どもたちは目をまん丸にしていました。子どもたちにとっては、
「テレビが存在していない」
というのは驚愕すべき、ひょっとすると、怯えるべき世界であるようなのです。
そして、再び上映後の質疑応答。
『アリーテ姫』と『マイマイ新子と千年の魔法』を続けて見た観客の方が、
「確かに同じ作家の作家性を確認できた」
などといってくださいます。
そろそろ午後9時近いので、先ほど目を丸くしていた子どもたちが親に連れられて帰り支度を始めています。あわてて缶バッジを引っ張り出して、おわたししました。
「ドウモアリガト」
小学生の女の子たちが日本語で答えてくれました。
質疑応答は、イマジュ・パル・イマージュではずっとイーブさんが司会を勤めてくださってます。もう何度目かになるので、さすがに以心伝心になってきて、「あの話を観客にしてあげてください」などと話題を振ってきてくれる関係になってきています。
「新子の家の周りの麦畑は、家が立ち並んで消滅しました。貴伊子の社宅は数年前の台風で壊れ、立て直されてしまっています」
と、紹介していると、
「工場は? 工場はどうなってしまったの?」
と尋ねてくる方もありました。
「工場は数年前に閉鎖され、今は別の企業になっています。一部の土地はショッピングセンターになっています
と、答えると、この女性は、
「ああ・・・・・・」
と、ため息をついていました。何か工場に思うところがあったのでしょうか。
子どもたちにとってはテレビの有る無しが、大人たちにとっては失われてゆく何かが、日本のわれわれとフランスの観客を結ぶ共通認識となりやすいのかもしれません。
しかし、この映画は、失われたものへの郷愁にふけるためのものではありません。
「埋立地はさらに沖へ延びて広がっています。今、その突端に立つとそのとき、千年前に諾子が舟でやってきたまさにあの海の上に自分が立っていることを発見します。あの土地を取り巻く山々の形はいつまでも変わりません」
ね、その感覚はおもしろく、楽しいでしょ、と。