メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

公開半年と一週間

2010年05月29日 13時01分27秒 | 日記
 昨日は、DVD特典映像用の撮影だとか、これから行われるイベントの打ち合わせだとか、さまざまに忙しい一日になりました。
 世田谷で行われた撮影関係が一段落つくともう午後8時を過ぎています。ですが、これからまた山本さんと打ち合わせがあります。
 山本和宏宣伝プロデューサーは、劇場公開以来の宣伝の仕事が一段落していったん契約満期を迎えていたのですが、最近ではDVDの特典や封入ブックレットを作る仕事でまた戻ってきてくれています。東の方から来る山本さんと、南の方から来るわれわれが落ち合うのに都合が良いのは、去年移転するまでマッドハウスがそこにあった荻窪です。映画『マイマイ新子と千年の魔法』の生まれ故郷。
「夕食を食べながらにしましょうか・・・・・・」
「ああ、じゃあ、牛タン麦とろ」
「駅前の『ねぎし』ですか」

 テーブルに着くと、山本さんは何か思い出したようです。
「前にもこうやって『ねぎし』で牛タンごいっしょしましたよね。新宿の方のお店でしたけど」
「うん」
「あれは、新宿ピカデリーの上映最終日でしたよね」

 2009年12月17日。公開から4週間の当初予定通り、新宿ピカデリーでの上映が終了する最後の回。
「ひょっとしたらこんな良い上映環境で自分たちのこの映画を見る機会もなかなか訪れないかもしれない」
 などと思ってしまって映画館へ出かけると、ほかのスタッフたちも同じ思いでそこに揃っていました。最近のように舞台挨拶にしゃしゃり出ることもなく、ごくふつうに観客席に座っておきながら、でも上映が終わると出口で一堂並んで出て来るみなさんにお礼をしたのでした。
 そのあと、何か食べに行きましょうか、などとみんなで揃って食べたのが、この同じ牛タン料理のチェーン店だったのでした。

 その少し前12月6日に第九回文学フリマで行った『マイマイ新子』のイベントはすでに満席になっていましたし、その時点で廣田恵介さんの続映を求める署名も始まろうとしていました。新宿ピカデリー最終回も、朝9時スタートなのにもかかわらず、9割がたお客さんが入っていました。そして、翌々日の19日からはラピュタ阿佐ヶ谷でレイトショーがはじまることになっていました。
「ラピュタではせっかくお越しくださる方々に、感謝の意を込めて来場者プレゼントやりたいんですけど、何がいいですかねえ」
 食事しながらそんなことをいう山本さんに、
「絵素材を加工したカードだったら作れるけど。はい、もうデザインの方は出来てる」
 と、持参したサンプルを手渡したのが、ラピュタ阿佐ヶ谷と九条シネ・ヌーボーで配ることになったアートカードの始まりでした。「アートカード」という名はこの場で山本さんが命名しました。
「問題がひとつ」
「なんでしょう?」
「これ、カラー・プリンターで画用紙に出力して作るんだけど、A4版の画用紙でないとプリントアウトできない。画用紙をA4版サイズに裁断する手作業がたいへん」
「そういうことなら・・・・・・裁断した奴が画材屋に売ってんじゃないですかねえ」
 その足で新宿の画材屋にでかけ、「ピッタシじゃん!」という画用紙を見つけ、持ちきれないくらい買って持ち帰ったのでした。
 12月19日からの8日間、お客さんが満席だったら帰りに一杯やろうなどと約束して、結局8日阿佐ヶ谷の酒場に入り浸ることになり、だけどそこで毎日遅くまで翌日以降の来場者サービスの作戦会議を行うことになりました。

「その出発点がここと同じ牛タンのお店だったんですよね」
「うん」
「・・・・・・あさっても来週の土曜もよろしくお願いします」
「こちらこそ。まだまだよろしくお願いします」

 公開後丸半年を経過して、こんなふうでいられるのも、この映画を陰になり日向になり支えてくださったたくさんの方々のおかげです。
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