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わたしも水俣へ

2006-03-17 | 真実の世界
 今朝、水俣から帰ってきました。とても緊張しながら出発したのですが、たどり着いた海の静かさに、肩をぽんぽん叩かれたような気になりました。「そんなに肩肘張らんでもいいよ」と。水俣に限らず、人を訪ねるときはいつもそうなんだけれど、「わたしは何をしたら良いんだろう、相手はわたしに何を期待しているんだろう」って考えあぐねることがよくあります。それはやっぱり、その人が大好きで、親しくなりたくて、会えてよかったって思って欲しいから。だけど今回は同じ場所にいて、同じ時間を過ごして、相手の声が自分を震わせるのをじっと聞いていました。



 相手に何かをしてあげるというのは達成感は深いけれど、場合によっては「こちらの気が済むだけ」という一方通行になりかねないと、ふと思いました。本当にこころを慰めたり、誠意を伝えたり、相手と出会うには隣に座って他者の声にただただ自分を響かせることかなと。そして、そんなこと考えてる自分が一番そういう出会いに渇いてるんだとも。



 話はすこしずれるかもしれませんが、子どものときから将来の夢は「人と一緒に生きること」です。短大時代にキャリアプランを何度も書かされ、そのたびに自分の底から湧いてくる言葉はこれでした。一人っ子だったからかな。自分はとても自由で元気に満ちているけれど、一人で好き勝手に生きてそれだけで終わったら意味ないなと。



 水俣の海は静かで甘夏は黄色くって、健やかな時間を過ごしてきました。帰ってきたわたしは何かと出会って変わったというよりはますます誰とも違う自分を思い知らされたような気になっています。帰ってきたばかりで、えらいいろんなことを考えたのでまとまりのない文章だけれど、小出しにしていくつもりなので、お付き合いどうぞよろしく。

1 コメント

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Unknown (さゆりん)
2006-03-18 08:50:15
 ご同行できて感謝です。水俣の色は何色でしたか?行く前は、水銀汚染の色、公害にあえいだ悲しみの色でしょうか。あの海と山、空と土、そして甘夏の色が、「怨のはた(おんのはた)」の黒に染まったことを考えています。しかし、星は、空が黒ければ黒いほど光り輝いて見えるもの。水俣で星を仰ぐことには特別の意味があるのではないかな。

 水着になるのが嫌だとか、泳げないとかいわないで、今度は、暑い季節に行きたいですね。私たちが受けたものをたくさんの人々に分かち合えればと思います。
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