皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

劇的ということ

2010年10月30日 14時22分57秒 | 随想

化学反応において触媒が必要な時がある。ある物質にそれを加えることによって往々にして劇的な変化を齎す。物質自体が熱を帯びねば触媒が作用しない場合もあるし、熱を帯びていなくても作用する場合がある。

 

人が、人や出来事に出会って劇的に変化が起こる時、それは触媒の様な働きをしたことになる。自身が熱を帯びていなくてはならない場合もあろうし、そうでなくて起こる場合もあろう。触媒が特定の物質に対いてしか作用しないように、人も事も特定の人にしか作用しないのであろう。

 

大凡の人間がそうした機会に恵まれぬまま人生を終える中で、そうした触媒と触れ得て、劇的に変化した自分として以後の人生を生きた者は、その生が如何なる生として終ろうとも、幸せな人生であったと、真に言えるのではないか。

 

人は戦争などで否応なしに波乱の人生を送らされることはあり得る。しかし劇的な人生はまた別物である。劇的な人生を送るためには通常の精神では不可能である。異常な精神を以ってして初めて可能となり得るのである。即ち論語のような人を穏やかで従順な人間にしようとする思想からは送られ得ない。

 

激動する世は一般の人には耐えがたいのであるが、ある種の人間はそれを望むのである。
平穏な世は一般の人には望ましいのであるが、ある種の人間はそれを壊したいのである。
激動を望む人間には平穏は耐えがたく、平穏を望む人間には争乱は耐えがたいのである。

 

人生の色と音を思う時そんな風に考えてしまう。

 

 


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