皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

伝習録

2021年10月14日 12時42分59秒 | 思想・哲学

朱子学にしろ、陽明学にしろ、儒学というものは支配する側にとって都合の良い学問である。孔子その人自体、自ら国々を遊説して回ったのは、どこかの国で自らの思想を現実政治に活かしたかった爲だろう。
それは取りも直さず、国の中でそれなりに地位を占め、民を、いや王侯さえも自らの思想に染め、指導したいという夢があったのだろう。
説教臭いと言われても、個人の道徳律としての儒学はそれなりに人としての道を指し示して納得することが多々ある。
しかし、仁義礼智信孝悌といった語などは、どれをとっても「逆らうな」「従順であれ」という要素が含まれる。これほど支配する側にとって都合のいい考えはないではないか。


それでもなお、私は王陽明の伝習録の中の次のこの一節に、悔しいけれど惹かれてしまうのだ。
この一説、情けないことに何度も筆写してしまった

「先生曰く、人生の大病は、只是れ一の傲の字なり。子と爲りて傲なれば、必ず不孝、臣と爲りて傲なれば、必ず不忠、父と爲りて、傲なれば必ず不慈、友と爲りて、傲なれば必ず不信なり。
故に象と丹朱と倶に不肖なるも、亦只だ一の傲の字、便ち此の生を結果し了ればなり。諸君常に此れを體することを要す。
人心は本是れ天然の理にして、精精明明、纎介の染着無し。只だ是れ一の無我のみ。胸中切に有る可からず。有れば即ち傲なり。
古先聖人の許多の好處も、也只だ是れ無我のみ。無我になれば自ら能く謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆惡の魁なり。」


「先生曰、人生大病、只是一傲字、爲子而傲、必不孝、爲臣而傲、必不忠、爲父而傲、必不慈、爲友而傲、必不信、
故象與丹朱倶不肖、亦只一傲字、便結果了此生、諸君常要體此、人心本是天然之理、精精明明、無纎介染着、只是一無我而已、胸中切不可有、有卽傲也、
古先聖人許多好處、也只是無我而已、無我自能謙、謙者衆善之基、傲者衆惡之魁」

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