皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

秋の夜長は...虫の声

2010年09月29日 20時01分11秒 | ペット

あれ 鼻息が うるさいぞ



ふんがぁ ふんがぁ ふんがぁがぁ


あれ 鼻息が 変わったぞ



すぅすぅ すぅすぅ すぅすすすぅ


秋の夜長は退屈だ

ああ 眠そうな きなこ君



ジョージ・オーウェルの小説

2010年09月27日 18時38分17秒 | 音楽・映画

以前何気なくYouTubeを見ていましたら、昔耳にしたことのあるGeorge Orwellの小説「1984」の映画化されていたものが何パーツかに分割されてアップされていました。George Orwellの作品では「Animal Farm」と、この「1984」が特に著名です。


私は、中学3年か高校1年の頃だったと思うのですが、英語の教科書だったか、副読書だったかで、「Animal Farm」の一節を読んだ記憶があります。当時何ら政治的な関心があるはずもなく、特にどうという事もなく、ただ字句の意味を追って訳すだけでした。ただ、内容に関して「ひとつ支配者を追い払っても、結局は別の支配者に変わるだけだ」という意味を言われたことと、George Orwellには別に「1984」という作品があり、これは全体主義の恐怖を描いたものとして優れた作品であると言われたことが印象に残っている。


この映画、すでにVHSで発売されていますが、もうレンタル落ちの中古しかないようです。DVDはImport版ではあるようですがリージョンコードの問題があります。主演のJohn Hurtはエイリアンで最初にエイリアンの子供に腹を食い破られる宇宙船の乗組員で出演していた俳優ですね。Richard Burtonも準主役のようで出演しています。「Animal Farm」の方はVHSで2002年に発売されているようです。アニメ版はDVDが発売されるようです。実写版の方はVHSでImport版があるようです。日本語字幕付きは価格が高くなっているようです。



「屈辱の日」追記~日中友好の禍

2010年09月26日 07時21分39秒 | 思想・哲学

中国がさらに謝罪と賠償を求めてきたという。バカバカしくも腹立たしい。
盗人猛々しいとはこのことだ


私は、日中友好条約は、経済界・産業界の思惑による要請を受けた、田中角栄の功名心の為せる負の遺産と考えている。今回の対応にも、もとより現内閣の閣僚の事なかれ主義の媚中根性が根幹にはあるだろうが、陰に陽にその要請が働いているのではないかと考えるのは穿ちすぎだろうか。経済人・産業人と言っても元より商人である。本質的に利益の為なら国でも人でも売りかねないのが商人根性である。


その首枷足枷の禍が次々と出てきている。
事あれば、無理難題、言い掛かりを付け、如何なる理不尽な理由でもでっち上げて我々日本人を人質として扱う国に工場を作ったりして進出する企業の気が知れない。利なのであろう。マスコミを筆頭として中国・朝鮮に媚び諂ってまで何故付き合わねばならぬか。東欧、東南アジア、中東など日本人が力を発揮し、真に対等な友好を深め得る場所は世界にいくらでもあるではないか。


共産主義独裁国家と真っ当に付き合うことなど土台無理な話なのである。その上、中華思想で東夷とみなす国に一度は負けたのだ。国土を蹂躙された劣等意識と政治的目的の自国に都合の良い歴史歪曲捏造、それを基にした反日教育によって煽り立てられた虚構の恨み、それらが中華思想と相まったその捻じれた複合精神は、中華思想が彼らの頭か消え去り、国民が自由にものを言える民主国家になるまでは無くなる事は無いのだ。そんな国と真っ当な交際をしようとすること自体愚かである。


朝鮮もまた然り、小中華思想で下に見る国に一度は支配されたのだ。従属した劣等意識と政治的目的の自国に都合の良い歴史歪曲捏造、それを基にした反日教育によって煽り立てられた虚構の恨み、それらが小中華思想と相まって捻じれた複合精神も同様である。


中国からその中華思想と共産主義と反日教育が無くならない限り、韓国からその小中華思想と反日教育が無くならない限り、北朝鮮から独裁と反日教育がなくならない限り、無理難題、言いがかりは尽きぬのである。今の彼らが日本と仲良くするという事は、無理難題、言いがかりを日本に聞き入れさせるという事だ。


仲良くする必要はないのだ、喧嘩をする必要もないのだ。ただ、我とわが身を守る準備と心構えをしておくべきなのだ。


どちらが困るか歴史に証明させる覚悟を我々は持つべきである。


いみじくもチャーチルは言った。


「民主(資本)主義は人類の知る最低のシステムだが、これまで実験されたシステムの中では最高である」


そして我々はその体制の中にいる。



屈辱の日

2010年09月25日 14時51分50秒 | 思想・哲学

日本国民たる者、平成22年9月24日は「日本腰抜け外交屈辱の日」として、時の政府の人間どもの名と共に、心に刻まねばならぬ日だ。


又もや、日本は中国の恫喝と脅迫に戦々恐々と屈したのだ。日本外交は気息奄々として死に瀕している。日の丸は棹折られ旗引き裂かれ燃やし落とされたのだ。


国民と国家は貨幣の両面である。どちらが表でも裏でもない。
国民が恥辱を受けることは国家が恥辱を受けることである。国家が恥辱を受けることは国民が恥辱を受けることである。
国民が賞賛を得ることは国家が賞賛を得ることである。国家が賞賛を得ることは国民が賞賛を得ることである。
国民の矜持は国家の矜持である。国家の矜持は国民の矜持である。
国民の尊厳は国家の尊厳である。国家の尊厳は国民の尊厳である。


何度も言う


「正道を踏み國を以って斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん。」
(西郷南洲遺訓)


老残の身に力なく唯憤然たる自嘲あるのみ。




日の本の祖国を思うわが胸にこの屈辱の炎燃え立つ



友人知人とは

2010年09月22日 19時38分15秒 | 随想

人は、札びらを切って財力を誇りたい、周りに人を集めて顔の広さを誇りたい、美貌を誇りたい、家柄を誇りたい、出身校を誇りたい、学力を誇りたい、誇りたいことは尽きぬのである。「どうだ」とばかりに偉ぶりたい、「まいったか」とばかりに他人を恐れ入らせたい、持ちがいいのである。


如何なる人間が友人知人であるか、それが、自分が如何なる人間であるかを象徴するのであろう。友人知人の多さを知らず知らずに誇っているものがいる。ましてや有名人に知人友人がいれば更に鼻高々である。


まてまて、それは現在の自分の社会的地位や生活状況に応じた刹那的な者ではないのか、砂糖に群がる蟻のような、沈没する船から真っ先に逃げ出す鼠のような友人知人ばかりではないのか。環境はいつ転変するかわからぬ、逆境苦境になってどれだけの友人知人が自らの周りにいてくれるか、お前にはわかっているのか。


振り返って考えてみよう
お前には、請われれば理由を問わず、己を犠牲にしても、金を貸して忘れてしまえる友がいるか、そして又、請うて理由を問われず、己を犠牲にしても、金を貸してくれて忘れてくれる友がいるか。そんな友のみが友であるというなら、友などいない人間の方が多いのだ。友人の数の多寡など意味がないのである。そう考える時、自分は人の友たり得るか、私も自信がないのである。


友人知人を希うのは、孤独寂寥に耐える強さがないのである、自分に自信がないのである。人間は、時として独りの寂しさに耐えねばならぬ。



パグ犬きなこの写真日記

日記No.2……2010年3月~

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