感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

詩・山居乱信を読む その1

2010年04月17日 | 日記

感泣亭別会のために、詩集「山居乱信」を読んでいる。


私は、このブログを運営しているが、実は詩の読み方がわからない。


小山正孝は、詩に不思議な題の付け方をする。


同じ題名の詩が並ぶのだ。


普通ならば、 その1、その2のように番号ぐらいつける。


付けなければ整理することも出来なくなってしまう。


が、彼は付けない。


詩集「山居乱信」には、17篇の詩が収録されている。


そのうちの5編が「山居乱信」の名付けられた詩なのだ。


一篇を除いて、


「僕の家は破れ屋だが


 窓ガラスは透明にみがいてある」


という書き出しで始まる。


そして、途中に回想が入る二重構造になっている。


この程度のことはわかる。


五篇の時間的な順序がある。


西日が差し込む →夕刊がくる→夕刻から雪が降り始める


→外が暗くなってでんとうがつく→月の光が差し込んでくる


時間的な順序がある。


実際は、最初の「西日が差し込む」の詩が最後に作られている。


発表されたのは、潮流社版の第四次「四季」 (昭和42.12) ~ 17号 (昭和50) 


が潰えた後の「文学館」である。


正孝は、詩集にするときに時間順に並べ替えた。


それは当初から意図だったかもしれないが・・・


過去の様々な波乱をうちに含みながらの平穏な生活。


逆に平穏な生活に隠された過去の様々な波乱


破綻をどうにか避けてきた人生。


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   山居乱信


 1

僕の家は破れ家だが

窓ガラスは透明にみがいてある

夕刻から雪がふりはじめた

「そろそろ電気をつけませうか」

家の者が聞く

片手を振つて僕は

「しばらくかうしてゐよう」

と答へた


 2

僕は椅子にもたれて

机の上のテープレコーダーの方に手を伸ばしてボタンを押した

しぱらくの時間

「何も音がしないわ」

「いいんだ」

夏の夕日 波の音

風の音をテーブは現はしはじめた

僕は録音した時のことを思ひ浮かべた

かすかな砂の上の足音

少しひきずるやうな足音

それは短かい時間流されてゐたが

擦過音がして 今度は別の海の波の音

はげしく砂が吹きつける

ドドーン ドドーン

「あの時ずいぶん荒れてゐたのね」

家の者が言ふ

「ほら犬の吠き声も入つてゐるだらう」

岩石の多い浜だつたので

波がひく時 水は青く深く沈んだ

僕はテープを止めた

窓の外の雪は ずいぶんはげしい

垂直に落ちるのは夫々が白い糸

もつれるやうにぶつかつて雪は一本の線

もし もう少しテープをつづけたら大変だ

また静かなはじめの海岸の録音が出て来て

すすり泣く女の声がきこえるのだ


 3

僕は椅子にもたれて

机の上のテープレコダーの方に手を伸ばしてボタンを押した

静かな音楽が流れはじめた

「この曲はいつおいれになりました」

「いつだつたかなあ 相当前だな」

ぷつんと切れてしづかになつた

急に けたたましい蝉の声が室内になりひびいた

みーん みーん

不思議な顔をしてゐる家の者をさげすむやうにして 僕

 は耳をすました

僕は一人で砂利道を歩いてゐた 砂利を踏む僕の足音が

 入つてゐる

僕が聞くと 僕にはかすかなもつれるやうなもう一つの

 足音がきこえてくるのだ

「ずいぶん啼くものね」

窓の外の雪は ずいぶんはげしい

垂直に落ちるのは夫々が白い糸

もつれるやうにぶつかつて雪は一本の線

あの時の唇の色

豊かな緑の木立

室内に満ち満ちてゐる蝉の声

捲き戻してもう一度きくことにしよう


 4

今は 道に立つだけでその家でどのチヤンネルを見てい

 るのかがわかるといふ

僕には僕の破れ家に面した道に誰かが一人立ちつくして

 ゐるのがわかる

雪を浴びながら 瞳を凝らしてこちらを見つめてゐるこ

 とがわかる

さあ 電気をつけようではないか


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