感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

山居乱信 その2

2010年04月07日 | 日記

昨年、「暮らしの手帖」が正孝のこの「山居乱信」に目をつけ、「朗読の時間」にとりあげた。


その続きが、この「山居乱信」の詩である。


 


  山居乱信 


 1


僕の家は破れ家だが


窓ガラスは透明にみがいてある


夕刻から雪がふりはじめた


「そろそろ電気をつけませうか」


家の者が聞く


片手を振つて僕は


「しばらくかうしてゐよう」


と答へた 


 2


僕は椅子にもたれて


机の上のテープレコーダーの方に手を伸ばしてポタンを押した


しぱらくの時間


「何も音がしないわ」


「いいんだ」


夏の夕日 波の音


風の音をテーブは現はしはじめた


僕は録音した時のことを思ひ浮かべた


かすかな砂の上の足音


少しひきずるやうな足音


それは短かい時間流されてゐたが


擦過音がして 今度は別の海の波の音


はげしく砂が吹きつける


ドドーン ドドーン


「あの時ずいぶん荒れてゐたのね」


家の者が言ふ


 「ほら犬の吠き声も入つてゐるだらう」


岩石の多い浜だつたので


波がひく時 水は青く深く沈んだ


僕はテープを止めた


窓の外の雪は ずいぶんはげしい


垂直に落ちるのは夫々が白い糸


もつれるやうにぶつかつて雪は一本の線


もし もう少しテープをつづけたら大変だ


また静かなはじめの海岸の録音が出て来て


すすり泣く女の声がきこえるのだ 


 3


僕は椅子にもたれて


机の上のテープレコダーの方に手を伸ばしてボタンを押した


静かな音楽が流れはじめた


 「この曲はいつおいれになりました」


 「いつだつたかなあ 相当前だな」


ぷつんと切れてしづかになつた


急に けたたましい蝉の声が室内になりひびいた


みーん みーん


不思議な顔をしてゐる家の者をさげすむやうにして 僕


 は耳をすました


僕は一人で砂利道を歩いてゐた 砂利を踏む僕の足音が


 入つてゐる


僕が聞くと 僕にはかすかなもつれるやうなもう一つの


 足音がきこえてくるのだ


「ずいぶん啼くものね」


窓の外の雪は ずいぶんはげしい


垂直に落ちるのは夫々が白い糸


もつれるやうにぶつかつて雪は一本の線


あの時の唇の色


豊かな緑の木立


室内に満ち満ちてゐる蝉の声


捲き戻してもう一度きくことにしよう 


 4


今は 道に立つだけでその家でどのチヤンネルを見てい


 るのかがわかるといふ


僕には僕の破れ家に面した道に誰かが一人立ちつくして


 ゐるのがわかる


雪を浴びながら 瞳を凝らしてこちらを見つめてゐるこ


 とがわかる


さあ 電気をつけようではないか