感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

津村信夫、秀夫、そして谷崎潤一郎のことなど

2019年04月18日 | 日記
414日、今年の感泣亭別会は、津村秀夫氏のご息女、高畠弥生さんを迎えて行われた。弥生さんは津村信夫や秀夫の実像を知る唯一の人物と言っても良い。また、谷崎家と大変親しく、潤一郎や彼をめぐる家族関係など、表に出てこないようなお話も伺うことができた。
この会には、101歳を迎えられた山崎剛太郎氏や谷崎文学と40年付き合ってこられた中央公論の前田氏も出席され、貴重なお話を伺うことができた。
津村信夫や秀夫が生きた特別な空間に触れることができた特別な時間であった。

福永武彦を語る 2009-2012

2013年01月10日 | 日記


聖徳大学の近藤先生からこの本が送られてきた。この本は、2009年から12年まで科学研究費補助金プロジェクトとして、「昭和文学の結節点として福永武彦」研究のまとめの一環である。
その研究の中の座談会や講演、インタビューの部分を一冊にしたのがこの本である。
私としては、近藤先生の福永武彦音楽論が収録されていない点に不満があるが、池澤夏樹の座談会での発言等興味深く読んだ。焦点をしぼって、よくまとめられた本である。


詩 ある花によせて

2013年01月08日 | 日記

小山正孝全詩集を出版することが今年のひとつの目標である。
そこで、正孝の作品をワープロで打っている。データ化すれば、出版に近づくからだ。
それを出版まで寝かせておくのももったいない話だ。
このブログの中でも、そうしてデータ化した作品の一部を紹介していくことにしたい。

これは、発表された作品ではないが、正孝の中学時代からの親友の山崎郷太郎さんのはがきに記さていた「詩」である。
確か、何回目かの感泣亭例会の際にお持ちくださったものだ。山崎さんは、資料が頭の中にも、戸棚にも実に良く整理されて入っいる。恐るべき方だ。


 


ある花によせて    よみびとしらず  (小山正孝)

お前は夜に笑ひ 午前にねむり
午後に化粧する
お前をなぞらへるに
天使 宝石 ルビー 花
もえる声
もえる恋
口にいくたびか ためいきを いつわりにもらす
みたされたものと
ふみにじられたお前と
日にいくたびか別離のあいさつ
日がたてば弱ることもある
お前のからだ お前のこころ
都会の一部にそびえ立つ塔
はねかへす鋼鉄の塔
もえる肉体をひやすために
都会のさびしい生活の夢をお前にささげて
帰つて行く男たち
ああ 夜に笑ふものよ
あかるく輝くものよ
そびえ立つ 人格のない素晴しい空しいものよ


 


 


小山正孝の詩 「道」 詩集『逃げ水』より

2012年08月14日 | 日記

 


この一本の道は夕日にあはあはと白くかがやいてゐる
左側はコンクリートのひややかな倉庫の壁

一人の青年と一人の少女が話しながら歩いてゐる
右側には河がゆつくりと流れてゐる   
二人は長い影をうしろに残しながら
目を日に射られてまぶしさうに
顔は白く美しくほほゑみながら
大股に歩いてゐる
愛についてたのしさうに希望にもえて話してゐる
あと何時聞かたつて夜になつたら
二人はどこかの街角でさやうならを言ふだらう
この道は暗くなり街燈にかうもりがまつはりつくだらう
河はどんより重くしづみこみながら流れるだらう
倉庫はまつ黒い怪物のやうにそびえるだらう
二人は一人づつになるだらう
その一人づつがどんなに今日の愛を保たうと思つても
わけのわからない力がすぐそれをぶちこはしてしまふだらう
たつた一人の心の中で
青年も 少女も
自分の心のきびしい存在に気づいておびえるだらう
この一本の道は夕日にあはあはと白くかがやいてゐる 


                                詩集『逃げ水』より


若杉美智子さんの「風の音」が発行されました

2012年07月04日 | 日記


杉浦明平の研究家 若杉美智子さんの個人誌「風の音」22号が発行されました。
今号では、杉浦明平の世界 その4 として、友人の猪野謙二氏について詳しく述べられている。
一つ一つの文章が読み応えがあり、氏の確かな調査力と文章力に魅惑された。
ご興味のある方は、小山正見 
oyamamasami@gmail.comまでご連絡下さい。


 


 


「小山正孝の詩」 杉山平一(感泣亭秋報三より)

2012年05月27日 | 日記

  以下は、感泣亭秋報にお寄せ下さった杉山平一さんの言葉です。


   小山正孝の詩
                                                                          杉山平一



 小山さんは、弘前高校時代から、早くも「四季」の立原道造さんと交流があったらしい。


 私は「四季」投稿詩人として、選者の三好達治さんより厳しい評言を頂きながら、手練手管の工夫をして投稿を続けていた。
 むかし三好達治さんをお訪ねして、いろいろ詩の話を伺った日、帰り際に、ふと思い出された様に、「杉山君、詩の一番純粋なものは、リーベへの手紙だと思うよ」といわれた。
 やや緊張した面談の終わりの、何気ない言葉ときこえたし、僕には「彼女」はいないし、口惜しいけれども軽く受けとめて、「はあ」と頬笑んで玄関を出た思い出がある。
 「彼女」というものを持たない私には、あこがれの世界だった。女性を前にすると言葉がよく出ず、美人だったりすると、顔をチラッと見るだけで、眩しくてうつむいたり、顔をそむけたりしていた。なんだ少女趣味だと思いつつ、うらやましかった。
 そのころ、学生はドイツ語のエッセンとかゲルとかリーべなどを日常使っていて、高校時代、小林というドイツ語の教授が、少女の「メッチェン」を「たおやめ」と訳したのが評判になって、少年たちを喜ばせていた。
 なんだ少女趣味、バンカラを装うメソメソを嫌悪する気持ちで、私の目は文学よりも理工系の即物的ザハリッヒカイトに傾いていた。

 そのころ登場した立原道造の作品は、目くらましに逢ったようで、途方にくれてしまった。浅間山の小さな噴火を、「ささやかな地異は」といい、「そのかたみに灰をふらした」というなど、言葉の精妙な織物のような表現にはとまどい、ウィットに富んだ短詩「郵便切手とうろこ雲」など、初期の短詩の方に興味をおぼえていた。後年、立原の一四行詩を真似た詩人はみな消えてしまっている。独特の世界だった。
 ただ、あえかな少女への想いのふしぎな言葉の織り込みに、嫉妬の思いにくれるばかりであった。


 立原の死後、「四季」に小山正孝の名があらわれだしたのは、「四季」の半ばごろであった。
 私たち、能美久末夫や太田道夫や塚山勇三らと違って、同人たちの推薦によって選ばれた大木実、中村眞一郎らの中の一人として、小山正孝が登場したのだった。
 そこに私が軽蔑して、而も思いとどかなかった、小山さんのリーベへの世界が、立原と全く違ったかたちで衝撃したのだった。
 小山作品として有名なのは、「雪つぶて」の中の「倒さの草」と「雪つぶて」である。
 「倒さの草」は、夢見る少女趣味を逆さにしたような、一見度肝をぬく設定で、「四季」本来の抒情のかたちとしても、新しくかたちをひらくものであり、同じく「雪つぶて」は、爽快な失恋のうらみつらみの、メソメソとは反対の面白さをもつ作品であり、抒情詩を新しく蘇生させる新作だった。
 六十号以降、「四季」誌上に、「路上」「人に」など、つぎつぎ作品が発表されてきた。
  「目はうつろに 心ははりさけそうだった 私の中に その人が
   とろとろ とけ込んでいるように感じた」(路上)
 やがて詩集「愛しあふ男女」になると、
  「私のくちびるの下で お前のくちびるを」(愛しあふ男女2)
とか、詩集「逃げ水」では        
  「ささやきかける私のくちびるの下で 紅の口びるは おののくだろうか」(青い麦畑の中で)
さらに、
  「私たちに愛というものが 通いはじめるのは いつも
   そのあとからだった かけひのかけられたたように
   私の中に お前が やがては お前の中に 私が
   音たてて 流れるのだ」(いつもそこだけを)


 官能性は深まるにつれ、視線は客観的になり、苦渋をにじませていく。
死後発見された、百数篇に及ぶという十四行詩のソネットでは、
   「はずかしそうに うつむいて
    起き上がった お前のえりに
    私は 朝のくちづけをしよう
    戸のすきまから 銀色の光が」
などの、甘い情感があふれて、とぎれることはない。
 美しい哀婉の情感は、苦しみ、道化の世界をひらいていく。その、苦渋と象徴の果てに到達したのは、詩集「山居乱信」の「タ方の九品仏」であろう。
 小山世界の道化と諧謔の傑作であろう。これだけ終始男女の愛を一途に歌いつづけた詩人を、私は知らない。
 あるとき詩集の題名としては謎めいた「風毛と雨血」「山居乱信」とか「散ル木ノ葉」など、ナゾめいているので、何かをもじっているのですかときくと、「ナニモナイ」とつっぱねられた。
 ともすれば「抒情」の文字は、禁句もしくは軽蔑の意味に使われていたが、小山正孝によって危うく支えられ、抒情詩は蘇生したと思われる。
                (感泣亭秋報三)


杉山平一さんが亡くなりました。心より哀悼の意を表します。

2012年05月22日 | 日記

杉山平一さんが亡くなりました。


昨年、京都で行われた四季派学会には、最後まで出席され、力強い閉会の辞を述べられたことが心に残っています。


また、感泣亭秋報三に「小山正孝の詩について」という一文をお寄せ下さいました。


ご存じのように氏は、現代詩人賞を受賞され、6月2日に表彰されることになっていました。


心より哀悼の意を表します。


訃報(朝日新聞)


 


「風が吹くと木の葉がゆれて」 梶三和子さんの公演

2012年04月29日 | 日記


4月21日、小山正孝の詩をモチーフにした女優梶三和子さんの公演が、銀座 ギャラリー悠玄で行われました。午後1時から、3時半からの2回の公演に合わせて百人を超える方々がおいでになり、梶三和子さんの語る小山正孝の詩の世界に存分にひたることができました。
会場が超満員だったため、会場に入りきれない方もおり、大変に御迷惑をかけました。
この場を借りて、梶さんとスタッフの方々、そしておいでくださった皆様に厚くお礼申し上げます。