感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

盆景記

2013年01月12日 | 

小山正孝全詩集の発行に向けての作業を少しずつ続けている。
今日も、外はいい天気のようだが、「風毛と雨血」の散文詩のチェックをしていた。
これは、小山正孝の思考のあり方というものを如実に表しているし、おもしろい。

少し長いが読んでみていただきたい。

 

盆景記

屈辱感といふ言葉で表現すればぴつたりするやうな目にあふことが多くなつた。老人になつたといふことはさういふことだつたのか。少年の頃には、老人はさういふものではないと思つてゐたのに。いや、さう言つたのでは嘘になるかもしれない。少年の頃には、また、青年の頃には、「老人」といふものを実感として感じることがないのは当然だが、ある虚像だけは持つてゐたと言ふべきか。このあひだ、私は一冊の本を買ひそこねた。いつでも買へると思つたことと、老人らしい分別から、自分の残年と本の関係を考へて、「ここまで手を出してみても、とてももう見当がつかない。それに必要なら手に入る」ときめてかかつたのだ。九段下の地下鉄から神保町に向つて歩いて右側の小さい貿易商の店先にたくさん並べられてあつた本だ。「中国的盆景・盆栽」といふ、台湾商務印書館印行の新書版だ。百五十円の金額をどうして、惜しんだのか。そのことが、私にとつては、老人的屈辱感と結びついて考へられるのだ。
「盆景といふ名称に就いては種々議論のある所で、此の種のものに盆景、盆石、水石、盆山、盆庭、盆画、假山、箱庭、鉢山、其他種々複雑した名称が尠くない。併しその起源は同じであつてその発達に従ひ種々の名称を附したもので明かに区別することは甚だ困難である。今諸書に現はれたものを少しく紹介して見よう。
《考餘槃事》盆景以几案可置為佳 其次則列之庭榭中物也 最古雅者如天目之松 高可盆尺云々
 《金石縁伝》五間静室魚池草花 盆山假山十分幽雅
 《雲臥記談》(雪竇持禅師假山詩)数拳幽石疊嵯峨 池水泓然一寸波 欲識山川無限意  目前簫灑不消多
 盆景が極めて古い歴史を有するにかかはらず、鉢植の盆景は次第に退化して遂に鉢山となり箱庭となり、芸術趣味として何等見るべきものなきに至つた」
 かうしたことが「中国的盆景・盆栽」でどう扱はれてゐるかを知りたかつた。米元章珍蔵の奇石「研山」には華蓋峰、月巖、翠巒、龍池、上洞等の諸勝を備へ、雨降らんとすれぽ龍池潤ふといふ云ひ伝へがあるが、自然の形勝を石に見ることは愛石家のあひだでは、現在もさかんである。石を用ひて風景をつくりあげる方法は、それはそれとして、「自分が作らうと思ふ景色が石の形に制せられる為に思つたものが出来ない」といふことがある。また胸中の山水を出現させる面よりも、山水を胸中に入れる面が、やや強いのではないだらうか。
 やはり盆景は、すべてを造りあげるところに魅力がある。自然の草木は自然に借りるとしても、「まきごけ」を山にふりかけ、「ぽか土」を道としてまいて、見つめるとき、「まきごけ」は水気を吸つて遠山の木木のやうに、生き生きとした美しい緑色になり、「ぽか土」はしつとりぬれた曲つた田舎道に変様して、そこを歩いてみたくなる。背中に薪の束を負つた男の小さい瀬戸の人形を置くと、彼のくるぶしの動きだけでなく、彼の足裏の感触までが伝はつてくるやうだ。「そこで私共の先生で只今は故人になりましたが和泉智川といふ人が俗にケトと申す土で盆景を作る事を研究致しました。このケトは泥炭の一種で東京附近には無尽蔵にあります。例へば溜池であるとか或は日暮里、田端、王子辺の地下三、四尺を掘りますと出て参ります。道路改修の際などにはよく見受けます。その土で山或は石等を作る法を研究され、それが非常に面白く出来るのであります。つまり自分の頭で考へて居る風景でも、或は現在そこにある自然の景色、山嶽であらうが渓流であらうが思ふがまゝの景色をすぐそこに眼の前に顕出することが出来るのでありますから盆景がこゝに始めて芸術化されたといつて差支へないと思ひます」
 私の行くジヤズ喫茶はなま演奏があつて、一年目位にメンバーの交代はあるが、そこにゐれば大体の流行は知れる。店内はうす暗く、天井は高く、いくつかのスポットによつて空間の光線処理が見事になされてゐる。仕切りの高さは坐つた人の肩より少し上位で、顔だけが互に見渡せるようになつてゐる。白衣のボーイは早い足どりで注文を取りに来る。銀色の盆を左手の三つ指で捧げて、コツプの水の表面張力の限度を心得てゐるかのやうに、ゆれてもこぼすこともなく、さつと、灰皿とコツプを客のテーブルの上に置く。座席の間を往来する女客は、胸のふくらみはもとより、腹のふくらみかげんは微妙なやはらかさを衣服の中につつみ、もものあたりのスカートの感じは果実の上のセロフアンといふ感じである。私は紳士であるから、トイレに立つ時など、右手をテーブルにかすかについて立ち上り、トイレで手を水道の水にぬらせるだけのことはする。席に帰つてうつむきかげんに坐つて、煙草を一本口に持つて行く。年長である感じを自覚して演じてゐるのだ。しかし、それからおもむろに、私が周囲を見廻した時の屈辱。仕切りの上に並べられたやうな顔は、男女ともに、若い。髪のふさふさしてゐるのが、何ともいへない力で私をふさぎの虫にする。違和感がある。年齢を思ひ知らされる。彼等のあひだの交流とは隔絶されてゐる自分。嫉妬心がむらむらと湧いてくる。二人つれの、この世もこの喫茶店も目に入らず、二人だけの目と口と腕との世界が確立してゐるのを見ると、そんなものは朝露の如しだと、言葉を投げかけてやりたくなる。こつちを向け、と命令したくなる。私の子供よりも若い世代なのに、大人ぶつたりしてゐる。私が彼等の年頃に見て来た老人像は、たとへば乃木大将(ひげがはえてゐる)とか、東郷元帥(ひげがはえてゐる)とか、伊能忠敬(すこし猫背だが日本国の測量をした)とか、杉田玄白(青すぢが顔中に強く出てゐる)夏目漱石(しつかり胸をはつてゐる)正岡子規(あの頭でつかち。森鶴外も同じ)とかであつた。彼等の肖像画は実際には、現在の私よりもつと年少の頃のものが多いし、もつと年少にして世を去つてゐる。それにしても、立派な老人像として私の目にはうつつてゐた。東洋史の教科書の英雄たち(始皇帝、老子、関羽、李白、太宗、……馬占山)は、鉛筆でひげをなぞることによつて、さらになかなかの面魂となるのであつた。宣統帝の肖像さへが、子供の姿ながら、両側に垂らした腕によつて、ひげを生やしてみると中学生であつた私には、老人くさく見えはじめた。西洋史の方のシーザーやソクラテス達は若々しくて、この方は血なまぐさく、芝居じみて、大人の威圧感を持つてゐて歯が立たなかつた。赤鉛筆で顔全体にうつすらと斜線をひくことによつて自分の父親の世代の代表者のやうに見えた。つまり、老人とは見えなかつた。教科書に出る程の人物だから東洋の老人達にみすぼらしさがなかつたといふのではない。見方によつてはみすぼらしいのもあつた。本居宣長のやせこけた顔や、菅原道真の衣類を支げ持つたのなどは、さういふ風に見えたが、それぞれの歌や詩によつて裏打ちされてゐて、ひとくせありさうな様子の老人と見えた。それなのに何といふことだ。かうして、私自身が五十歳を越した姿を見せてゐるのに、板じきりの上の若い顔は、無視といふ態度しかとつてゐない。屈辱感といふのは、それより私自身の脱落感と言はうか、何と言つてよいか。私には中間にある尊敬されるべき壮年の時代とか、功成しとげた老成の時といふものが、私の所だけは脱落してゐるのではないか。脱落して、少年からすぐ老年につながつてしまつたといふ風な、非常に不満足であり、意外であり、腹立たしい有様なのだ。横の席の男の掌に、少女はやはらかい手をのせ、その爪は真珠色に塗られ、あたたかい体温をよせあつて、彼等は無言で高い天井のあたりにうつろな目をやつてゐる。私には、彼等の交す会話がにくらしい程、びんびんひびいてくる。私の腰のあたりだつて、妙にうづくではないか。
 ある日、そこで私は一つの思ひつきをした。ジヤズメンの似顔が、厚い唇をくう楽器にあてたり、音を捉へるやうなしぐさで空を見つめたりしてゐる十数枚の油絵にかこまれて、天井のスピーカーからドラムがひびいてゐる中で、そこの装飾を空想することにしたのだ。厚い二枚のガラスにはさまれた空間を、喫茶室を二分するやうに立てる。その空間に巨大な盆景を、両面から見えるやうに作る。緑色の山脈はジヤズの鳴りひびく室内にそびえ立つ。スポットは回転しながら、また変色しながらその風景をなめるやうに移動する。山脈から落ちる瀧は各所で水しぶきをあげ、瀧壷の側にうしろ手にそれを見上げる人物。橋が下流にはかかり、酒旗をひるがへす店。竿をかつぐ人。工夫して盆景をつくりかへてみることで、さらにいろいろと面白いことが出来るであらう。
 「ケトは東京附近では無尽蔵でありますが、どこにもあるといふ訳ではない。関西辺の花崗岩地帯の所ではないのであります。」引用してきた文章は私の父の潭水著「盆景の作り方」からである。潭水の生涯の念願は、自分の思ふ通りの風景を盆景に、いつでも、どこでも、誰でも出来るものにしたいといふことであつた。そのために新聞紙をつかつて盆景をつくることを発明したりした。「箆(へら)」一本で世界中を旅行したいといふのが口ぐせであつた。喫茶店の空間に盆景をつくりあげることは、私には観念的な作業で可能であり、それは、すぐに変化させて、別の盆景にすることも出来た。私は、やや、心を静めてそこを出て、改めて、実際家であつた潭水のことを考へてみようと思つた。百五十円のコーヒー代を支払ひ、その翌日には、九段の貿易商の店に行つたのだ。もう午前の日射しも強くなつたこの頃、北向きのその店は閉ざされて一枚の半紙がガラス戸の上にはつてあつた。電車通りの向ひ側の店には強い日があたり、店先きの品物が色どりあざやかに輝いて見えた。「こんど、どうしても都合によつて店を閉めなければなりません。現在の商品は、すべて半値でおわけします。」と書いてある。しかし、ガラス戸はいくら力を押してあけようとしてもあからない。吝商と嫉妬についての話である。




福永武彦を語る 2009-2012

2013年01月10日 | 日記


聖徳大学の近藤先生からこの本が送られてきた。この本は、2009年から12年まで科学研究費補助金プロジェクトとして、「昭和文学の結節点として福永武彦」研究のまとめの一環である。
その研究の中の座談会や講演、インタビューの部分を一冊にしたのがこの本である。
私としては、近藤先生の福永武彦音楽論が収録されていない点に不満があるが、池澤夏樹の座談会での発言等興味深く読んだ。焦点をしぼって、よくまとめられた本である。


詩 ある花によせて

2013年01月08日 | 日記

小山正孝全詩集を出版することが今年のひとつの目標である。
そこで、正孝の作品をワープロで打っている。データ化すれば、出版に近づくからだ。
それを出版まで寝かせておくのももったいない話だ。
このブログの中でも、そうしてデータ化した作品の一部を紹介していくことにしたい。

これは、発表された作品ではないが、正孝の中学時代からの親友の山崎郷太郎さんのはがきに記さていた「詩」である。
確か、何回目かの感泣亭例会の際にお持ちくださったものだ。山崎さんは、資料が頭の中にも、戸棚にも実に良く整理されて入っいる。恐るべき方だ。


 


ある花によせて    よみびとしらず  (小山正孝)

お前は夜に笑ひ 午前にねむり
午後に化粧する
お前をなぞらへるに
天使 宝石 ルビー 花
もえる声
もえる恋
口にいくたびか ためいきを いつわりにもらす
みたされたものと
ふみにじられたお前と
日にいくたびか別離のあいさつ
日がたてば弱ることもある
お前のからだ お前のこころ
都会の一部にそびえ立つ塔
はねかへす鋼鉄の塔
もえる肉体をひやすために
都会のさびしい生活の夢をお前にささげて
帰つて行く男たち
ああ 夜に笑ふものよ
あかるく輝くものよ
そびえ立つ 人格のない素晴しい空しいものよ