小山正孝については、ホームページ感泣亭を見てほしい。
このブログは、小山正孝と感泣亭の活動についてのあれこれを日記風に語ろうというものだ。
感泣亭についての連絡が何かあれば、小山正見 moyama@nifty.com へいただきたい。
感泣亭の名前は、丸山薫賞となった正孝の 「十二月感泣集」という詩集によるが、彼自身が自らの書斎を「感泣亭」と呼んでいたことに由来する。
さて、感泣亭は毎年一度11月の第二日曜日に 小山正孝を語る「感泣亭例会」を開催している。また、春、夏、冬の3回、正孝の書斎で感泣亭別会という集いを行い、正孝の詩を読むと互いの文学的な活動を交流しあっている。
今度の感泣亭別会(春会)は、4月17日に行われる。
感泣亭別会 日時 4月17日(日)午後2時~午後5時
場所 感泣亭(東急東横線 元住吉下車)
テーマ 詩「山居乱信」について
関心のある方は、moyama@nifty.com に連絡願いたい。
詩・「山居乱信」をここにあげておく。
実は、「山居乱信」という同名の詩が5編あり、詩集「山居乱信」に収録されている。
(1986年5月10日発行)。この詩は、その冒頭にかかげられたものである。
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山居乱信
1
僕の家は破れ家だが
窓ガラスは透明にみがいてある
西日が射しこんで来てゐた
僕は家の者にともなくつぶやいた
「外は風が強く吹いてゐるみたいだね」
無言なので ふりかへると
光が家の者の頬を染めてゐた
2
室の壁には鏡がはめこんであつて
両側から僕たちの姿を無限に映し出してゐた
うすみどりの衣服の裾がはつきりと折れて見える
鼓動が乱れてしづけさの中では異常に高まつて感じられた
(ここは野原ではないから 僕たちは虫ではない)
「虫だつたらどんなによかったらう」
複眼だから 多数の草の葉
たくさんの君の姿 数かぎりない心の屈折
長い足と羽で跳躍して
自分たちにもわからない場所に行つてしまふことも出来るし
(虫の声が聞えて来る)
「僕たちは虫ではないものね」
いまは ただしづかに目を閉じてゐることにしよう
3
障子を細目にあけると
前面に 山と空のあはひはさだかではないが
通つてきた坂道が辿れる
「何をごらんになつてゐるの」
蛍光燈の行列が遠く白く斜めに高まつてゐる
橋を渡つた時には互ひにすねてもみあつた
僕のポケツトから万年筆が飛び跳ねた
闇の中でさかんにゆれてゐる若葉その上に落ちて行つた
頭上の蛍光燈は氷菓子のやうに白く水つぽかつた
「ここから見ると蛍光燈が針の行列のやうに見えるわ」
互ひのこころも平安になることが出来た
自動車のテールランプがどんどん下つて行く
見届けることをしないで障子を閉めた
「僕は万年筆を失つたけれど君を得た」
あの時あれは小刀のやうに谷間に落ちて行つた
4
「日がみじかくなつて来たといふのでせうか」
家の者が言つた
煙草を手にしながらしばらくのあひだ僕は答へなかつた
あるかなきかわからなくなつた日射し
机や 灰皿や
僕の眼は色々な物体を追つてゐた
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では、また。