石画記
石画記
僕は人を殺すつもりだ。毎朝、さういふことを考へて目をさます。自分がまだその事を果さないのは、怠惰な自分であるからだ。また今日一日を怠惰な自分ですごすのだな、と自分に言ひきかせてシヤツを着て、やつと、床の上に立ちあがるのだ。全く、僕は怠惰な人間である。コーヒーを飲んで、ジヤズを聞いて、夜をむかへる。
いつか、古本屋で本を見てゐたら、一人の老人がやつて来て、十数冊のエロ雑誌を売らうとしてゐた。
「かういふものがそばにあるといけないんでね」
と言つて、口の中をもぐもぐさせてゐた。あれは入れ歯を口の中で外したり入れたりしてゐたのだ。口さきをしぼるやうにして値ぶみを待つてゐた。僕は、自分が、ああいふ風にはなりたくないと思つた。あと数年もすれば、ああいふ風になりかねない。ただ、一つだけ希望がある。それは、例の石画だ。
僕は結局はのたれ死をするのだらうが、もしかして、うまくいくと、あの石画が僕のバックボーンを支へてくれるかもしれない。いや、あるひは、僕の怠惰がなほつて、計画通りに殺つてしまふかな。さうなれば大したものだ。僕の人生は変るだらう。光輝に満ち、生き甲斐のある戦闘的な、花のやうな生涯を送ることになるだらう。
何故殺したのか。どうやつて殺したのか。現在はどんな心境か。悔いは無いのか。神を信じるか。平凡な人間としては経験し得ないであらう暗黒がおそひかかると同時に、それをはねのけて僕は生きようとするであらう。僕が殺すつもりの人間こそ、僕に僕の生を見出さしめるであらう。
石画は、モザイコのことだが、中国に流入し、そこで「絹寿五百年紙寿千年」をこえ、風景画の真韻をつたへるものとして愛された。僕はその中国の石画を見たことはない。僕のいふ「例の石画」は、ビルの地下の喫茶店にかかげられてゐるもので、中国の石画を指してゐるのではない。もし、阮元の「石画記」の石画だと思つて、題につられて読みすすんできた方とは、この辺で袂を別つよりいたし方ない。僕も、「石画記」は好きなのだ。それに、僕の持つてゐるその本は、「昭和四十三年一月琳琅閣古書目録227阮元自筆鈔本石画記五巻『頤性老人阮元』記及印記有富岡鉄斎旧蔵長文識語 四冊 六五、○○○」(これはどなたの手に入るのだらうか) といふ程のものではないが、蝸牛庵の印のあるもので、貧書生たる僕はそれなりに大事にしてゐる。茂吉の歌にもあるので、この本については、茂吉との対話の際にも言及されたものであらう。僕はさう信じてゐる。
僕の例の石画は大きいものだ。大理石の一寸角の石を、高サ六尺、幅十尺、に積んで、壁に密着させてある。周囲はアルミの枠でしつかりとかこんである。石色は白、茶、鼠、黒、赤、緑。上方に風の流れの如きものあり、右方の片隅に太陽。太陽の下は緑色の草原。左方に竪琴をかなでる裸体の女性が、約四尺の高サで描かれてゐる。女性は、岩に腰をかけ、後方に黒髪をなびかせ、ややうつむいて、左手で竪琴を支へ持ち、右手で、いまや弦をかきならし、音は風に逆らふものの如く、強くひびきはじめようとしてゐる。僕は石画を見上げながら、いつも、その女性の表情の変化によつて、僕の心の状態をも変化させてしまふのだ。
「今日は、やさしかった」
僕は床に入って、さうつぶやく。その日はその女性が、うつむいた目で、僕の方に向いてかすかに笑ひかけてくれたのだ。
「今日は、叱られたな」
申しおくれたが、僕は五十歳はもう大分前にすぎてゐて、自分では、ひいき目に、初老だ、と思つてゐる人間である。今日は、叱られたな、といふのは、僕が女性のお尻のあたりの大理石に、一寸、手をのばして触れてみた日になんか、寝入り際に、さうつぶやくのだ。
黒い大理石の破片の集合が楽器をかたどり、近づいてよく見ると、弦の一本一本、角型の大理石の上に傷つけてひいてある。はじめて彼女にあつた時、感動してゐる僕の前で、彼女はいろいろな表情をした。僕は、石の女が、どうして、あんなに豊かな表情の変化を示すのか不思議だつた。なんのことはない。大分離れた反対側の天井の所にスポツトがあつて、色ガラスがいくつかついた丸いものがその前でゆつくり廻つてゐた。そこから射す光が石画を照し、色の変化につれて、彼女の表情も変化して見えるのだつた。
白い光の時、つめたい表清をした。赤の時には豊満な肉体を示すと同時に、笑ひかけるのだ。青い光の時には、ただよふ天女のやうに、ある瞬間、動きをとめて、じつと僕の目を見つめてゐるのだ。
「石画記」に出てゐる石画は、わりに小さいもので、高サ、幅、二尺が限度である。たまにはそれより大きいものもあるが、小さいものの方が多い。「華嶽秋晴図」に、「僧巨然雨脚図」に、「暁色月色図」に、色々な光をあてるやうなことをしたものであらうか。石画をたてかけて眺めるだけでなく、光をゆらせたり、ちがつた色の光をあてることで、美しい石の反射から風景の思ひもかけない変化をたのしんだりしたものであらうか。僕はきつと、したと思ふ。すると、石画の持主は 貧書生のやきもちまじりの想像の話ばかりで恐縮だがi膝の上の桃のやうなものの頬のほてりにも、変幻かぎりなき光をあて、石画の中の風景と見比べながら。ああ、その上、肉体的なもののあたたかみの変化。手をのばして、美しい色の石の感触をもたのしんで、罪悪感もなく、夜をすごしたことであらう。
僕はまだ何もしてゐない。人を殺してもゐない。それなのに、人を殺してしまひさうな自分の追ひつめられた日常から、口惜しまぎれに、かへつて、僕の生の存在はそこにこそ花ひらくであらう、などと述べたりした。
ある日突然に、その女が、せめて、一夜、僕の為に石画から抜け出て、僕の膝の上であの音をかなでてくれないものかなと願ふ。勇気が出るかもしれない。怠惰な自分は、心を改めて、科挙のために、自分を鞭うつことをするかもしれない。
中国の石画をゆつくりと眺める機会を、いつか持てる日もあらう。この方がやや確率は高さうだ。