感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

2019年感泣亭例会

2019年12月11日 | 
11月10日の行われました。
青木由弥子さん、上手宰さん、渡邊啓史さんが正孝の最後の詩集「十二月感泣集」について、話題をていきょうしてくださり、話が深まりました。
101歳になられた山崎剛太郎さんもしゅつせきされあ、正孝の思い出を語ってくださいました。
最後に女優梶三和子さんによる正孝の詩「一瞬」の朗読で、和気藹々のうちに終了しました。
来年の例会は2020年11月8日(日)の予定です。
なお、感泣亭秋報十四が発行されました。
送料込千円でお分けします。







感泣亭別会 4月14日

2019年04月08日 | 
 
津村信夫、秀夫そして、谷崎潤一郎
 
感泣亭別会 4月14日(日)
津村秀夫・信夫そして谷崎潤一郎
話してくださる方髙畠弥生さん午後1時30分~(感泣亭にて)髙畠弥生さんは、秀夫氏のご息女。当日は、お父様の秀夫氏、そして信夫氏について思う存分話していただきます。また、隣家が谷崎家だったと言う関係から、谷崎家と深い交際があり、作家の生の姿にふれて育たれました。そのあたりのお話も伺う予定です。どうぞご出席ください。興味がある方は小山までご連絡ください。

比留間一成さんを偲ぶ会

2019年03月03日 | 
     
     
     
     

 

33日、東大駒場のセミナーハウスで、比留間一成さんを偲ぶ会が営まれた。比留間さんは、昨年3月4日になくなられた。それから1年である。

比留間さんは、正孝と親しかった詩人で私の教育活動の師でもあった。第一回の感泣亭例会から代表を務めてくださり、感泣亭を支えてくださったのは比留間先生であった。

会には、60人を超える方々が出席され、思い出を語り合い、またスライドで比留間さんの一生を辿った。女優の梶三和子さんの比留間さんの詩の朗読は、参加者の心を打った。

会に合わせて比留間一成の詩集が編まれた。題して 新編 おくりもの。

ご希望の方は、土曜美術出版販売までご連絡ください。


盆景記

2013年01月12日 | 

小山正孝全詩集の発行に向けての作業を少しずつ続けている。
今日も、外はいい天気のようだが、「風毛と雨血」の散文詩のチェックをしていた。
これは、小山正孝の思考のあり方というものを如実に表しているし、おもしろい。

少し長いが読んでみていただきたい。

 

盆景記

屈辱感といふ言葉で表現すればぴつたりするやうな目にあふことが多くなつた。老人になつたといふことはさういふことだつたのか。少年の頃には、老人はさういふものではないと思つてゐたのに。いや、さう言つたのでは嘘になるかもしれない。少年の頃には、また、青年の頃には、「老人」といふものを実感として感じることがないのは当然だが、ある虚像だけは持つてゐたと言ふべきか。このあひだ、私は一冊の本を買ひそこねた。いつでも買へると思つたことと、老人らしい分別から、自分の残年と本の関係を考へて、「ここまで手を出してみても、とてももう見当がつかない。それに必要なら手に入る」ときめてかかつたのだ。九段下の地下鉄から神保町に向つて歩いて右側の小さい貿易商の店先にたくさん並べられてあつた本だ。「中国的盆景・盆栽」といふ、台湾商務印書館印行の新書版だ。百五十円の金額をどうして、惜しんだのか。そのことが、私にとつては、老人的屈辱感と結びついて考へられるのだ。
「盆景といふ名称に就いては種々議論のある所で、此の種のものに盆景、盆石、水石、盆山、盆庭、盆画、假山、箱庭、鉢山、其他種々複雑した名称が尠くない。併しその起源は同じであつてその発達に従ひ種々の名称を附したもので明かに区別することは甚だ困難である。今諸書に現はれたものを少しく紹介して見よう。
《考餘槃事》盆景以几案可置為佳 其次則列之庭榭中物也 最古雅者如天目之松 高可盆尺云々
 《金石縁伝》五間静室魚池草花 盆山假山十分幽雅
 《雲臥記談》(雪竇持禅師假山詩)数拳幽石疊嵯峨 池水泓然一寸波 欲識山川無限意  目前簫灑不消多
 盆景が極めて古い歴史を有するにかかはらず、鉢植の盆景は次第に退化して遂に鉢山となり箱庭となり、芸術趣味として何等見るべきものなきに至つた」
 かうしたことが「中国的盆景・盆栽」でどう扱はれてゐるかを知りたかつた。米元章珍蔵の奇石「研山」には華蓋峰、月巖、翠巒、龍池、上洞等の諸勝を備へ、雨降らんとすれぽ龍池潤ふといふ云ひ伝へがあるが、自然の形勝を石に見ることは愛石家のあひだでは、現在もさかんである。石を用ひて風景をつくりあげる方法は、それはそれとして、「自分が作らうと思ふ景色が石の形に制せられる為に思つたものが出来ない」といふことがある。また胸中の山水を出現させる面よりも、山水を胸中に入れる面が、やや強いのではないだらうか。
 やはり盆景は、すべてを造りあげるところに魅力がある。自然の草木は自然に借りるとしても、「まきごけ」を山にふりかけ、「ぽか土」を道としてまいて、見つめるとき、「まきごけ」は水気を吸つて遠山の木木のやうに、生き生きとした美しい緑色になり、「ぽか土」はしつとりぬれた曲つた田舎道に変様して、そこを歩いてみたくなる。背中に薪の束を負つた男の小さい瀬戸の人形を置くと、彼のくるぶしの動きだけでなく、彼の足裏の感触までが伝はつてくるやうだ。「そこで私共の先生で只今は故人になりましたが和泉智川といふ人が俗にケトと申す土で盆景を作る事を研究致しました。このケトは泥炭の一種で東京附近には無尽蔵にあります。例へば溜池であるとか或は日暮里、田端、王子辺の地下三、四尺を掘りますと出て参ります。道路改修の際などにはよく見受けます。その土で山或は石等を作る法を研究され、それが非常に面白く出来るのであります。つまり自分の頭で考へて居る風景でも、或は現在そこにある自然の景色、山嶽であらうが渓流であらうが思ふがまゝの景色をすぐそこに眼の前に顕出することが出来るのでありますから盆景がこゝに始めて芸術化されたといつて差支へないと思ひます」
 私の行くジヤズ喫茶はなま演奏があつて、一年目位にメンバーの交代はあるが、そこにゐれば大体の流行は知れる。店内はうす暗く、天井は高く、いくつかのスポットによつて空間の光線処理が見事になされてゐる。仕切りの高さは坐つた人の肩より少し上位で、顔だけが互に見渡せるようになつてゐる。白衣のボーイは早い足どりで注文を取りに来る。銀色の盆を左手の三つ指で捧げて、コツプの水の表面張力の限度を心得てゐるかのやうに、ゆれてもこぼすこともなく、さつと、灰皿とコツプを客のテーブルの上に置く。座席の間を往来する女客は、胸のふくらみはもとより、腹のふくらみかげんは微妙なやはらかさを衣服の中につつみ、もものあたりのスカートの感じは果実の上のセロフアンといふ感じである。私は紳士であるから、トイレに立つ時など、右手をテーブルにかすかについて立ち上り、トイレで手を水道の水にぬらせるだけのことはする。席に帰つてうつむきかげんに坐つて、煙草を一本口に持つて行く。年長である感じを自覚して演じてゐるのだ。しかし、それからおもむろに、私が周囲を見廻した時の屈辱。仕切りの上に並べられたやうな顔は、男女ともに、若い。髪のふさふさしてゐるのが、何ともいへない力で私をふさぎの虫にする。違和感がある。年齢を思ひ知らされる。彼等のあひだの交流とは隔絶されてゐる自分。嫉妬心がむらむらと湧いてくる。二人つれの、この世もこの喫茶店も目に入らず、二人だけの目と口と腕との世界が確立してゐるのを見ると、そんなものは朝露の如しだと、言葉を投げかけてやりたくなる。こつちを向け、と命令したくなる。私の子供よりも若い世代なのに、大人ぶつたりしてゐる。私が彼等の年頃に見て来た老人像は、たとへば乃木大将(ひげがはえてゐる)とか、東郷元帥(ひげがはえてゐる)とか、伊能忠敬(すこし猫背だが日本国の測量をした)とか、杉田玄白(青すぢが顔中に強く出てゐる)夏目漱石(しつかり胸をはつてゐる)正岡子規(あの頭でつかち。森鶴外も同じ)とかであつた。彼等の肖像画は実際には、現在の私よりもつと年少の頃のものが多いし、もつと年少にして世を去つてゐる。それにしても、立派な老人像として私の目にはうつつてゐた。東洋史の教科書の英雄たち(始皇帝、老子、関羽、李白、太宗、……馬占山)は、鉛筆でひげをなぞることによつて、さらになかなかの面魂となるのであつた。宣統帝の肖像さへが、子供の姿ながら、両側に垂らした腕によつて、ひげを生やしてみると中学生であつた私には、老人くさく見えはじめた。西洋史の方のシーザーやソクラテス達は若々しくて、この方は血なまぐさく、芝居じみて、大人の威圧感を持つてゐて歯が立たなかつた。赤鉛筆で顔全体にうつすらと斜線をひくことによつて自分の父親の世代の代表者のやうに見えた。つまり、老人とは見えなかつた。教科書に出る程の人物だから東洋の老人達にみすぼらしさがなかつたといふのではない。見方によつてはみすぼらしいのもあつた。本居宣長のやせこけた顔や、菅原道真の衣類を支げ持つたのなどは、さういふ風に見えたが、それぞれの歌や詩によつて裏打ちされてゐて、ひとくせありさうな様子の老人と見えた。それなのに何といふことだ。かうして、私自身が五十歳を越した姿を見せてゐるのに、板じきりの上の若い顔は、無視といふ態度しかとつてゐない。屈辱感といふのは、それより私自身の脱落感と言はうか、何と言つてよいか。私には中間にある尊敬されるべき壮年の時代とか、功成しとげた老成の時といふものが、私の所だけは脱落してゐるのではないか。脱落して、少年からすぐ老年につながつてしまつたといふ風な、非常に不満足であり、意外であり、腹立たしい有様なのだ。横の席の男の掌に、少女はやはらかい手をのせ、その爪は真珠色に塗られ、あたたかい体温をよせあつて、彼等は無言で高い天井のあたりにうつろな目をやつてゐる。私には、彼等の交す会話がにくらしい程、びんびんひびいてくる。私の腰のあたりだつて、妙にうづくではないか。
 ある日、そこで私は一つの思ひつきをした。ジヤズメンの似顔が、厚い唇をくう楽器にあてたり、音を捉へるやうなしぐさで空を見つめたりしてゐる十数枚の油絵にかこまれて、天井のスピーカーからドラムがひびいてゐる中で、そこの装飾を空想することにしたのだ。厚い二枚のガラスにはさまれた空間を、喫茶室を二分するやうに立てる。その空間に巨大な盆景を、両面から見えるやうに作る。緑色の山脈はジヤズの鳴りひびく室内にそびえ立つ。スポットは回転しながら、また変色しながらその風景をなめるやうに移動する。山脈から落ちる瀧は各所で水しぶきをあげ、瀧壷の側にうしろ手にそれを見上げる人物。橋が下流にはかかり、酒旗をひるがへす店。竿をかつぐ人。工夫して盆景をつくりかへてみることで、さらにいろいろと面白いことが出来るであらう。
 「ケトは東京附近では無尽蔵でありますが、どこにもあるといふ訳ではない。関西辺の花崗岩地帯の所ではないのであります。」引用してきた文章は私の父の潭水著「盆景の作り方」からである。潭水の生涯の念願は、自分の思ふ通りの風景を盆景に、いつでも、どこでも、誰でも出来るものにしたいといふことであつた。そのために新聞紙をつかつて盆景をつくることを発明したりした。「箆(へら)」一本で世界中を旅行したいといふのが口ぐせであつた。喫茶店の空間に盆景をつくりあげることは、私には観念的な作業で可能であり、それは、すぐに変化させて、別の盆景にすることも出来た。私は、やや、心を静めてそこを出て、改めて、実際家であつた潭水のことを考へてみようと思つた。百五十円のコーヒー代を支払ひ、その翌日には、九段の貿易商の店に行つたのだ。もう午前の日射しも強くなつたこの頃、北向きのその店は閉ざされて一枚の半紙がガラス戸の上にはつてあつた。電車通りの向ひ側の店には強い日があたり、店先きの品物が色どりあざやかに輝いて見えた。「こんど、どうしても都合によつて店を閉めなければなりません。現在の商品は、すべて半値でおわけします。」と書いてある。しかし、ガラス戸はいくら力を押してあけようとしてもあからない。吝商と嫉妬についての話である。




第9回感泣亭例会

2012年11月12日 | 

11日、9回目となる感泣亭例会が行われました。今年は、中原区木月に出来上がった「スペース感泣亭」が会場。狭い会場ですが20人以上の方が集いました。

メインスピーカーは、渡邊啓史さん。

感泣亭秋報7に掲載されている「灰色の抒情」を下敷きに、小山正孝の詩を読み解く 提案をされました。
「夏」と「倒さの草」の二つの詩を比較し、その共通点と相違点を一語一語を読み解きながらの提案。この提案を基に、正孝詩の読み方について、様々な方向から、活発な意見が出され、深められました。とても刺激的な会になりました。
その後は懇親会。和気藹々の雰囲気の中で、参加者のそれぞれの活動や、渡邊さんの提案についての意見が更に出されるなど、楽しい会になりました。
最後に、女優の梶三和子さんによる詩「手負い」が朗読され、その余韻に浸りながら閉会しました。

 


明日、第九回感泣亭例会

2012年11月10日 | 

明日、第九回の感泣亭例会が行われます。

これまで、感泣亭例会は、いろいろな場所で行われてきましたが、今年は、狭いながらも、スペース感泣亭が完成し、この場所で行うことができるようになりました。

小山正孝没後十年ということもあり、「小山正孝の読み解き方」をテーマに行われます。感泣亭秋報もできあがり、印刷をしてくださる弘前のやまと印刷から届きましたが、今年は、力作がそろい、100ページを超す冊子になってしまいました。

 第九回感泣亭例会

 時 11月11日(日) 午後2時~5時

 場所 感泣亭 東急東横線元住吉下車7分

 テーマ 「小山正孝の読み解き方」 雪つぶてを中心に

 会費 二千円 

 連絡先 oyamamasami@gmail.com  

 

 


山の奥

2012年05月24日 | 

 山の奥

僕の胸の中にはもう一人の僕がゐます

彼の胸の中にも なほ 別の僕がゐます

山の奥には青い岩石の山がそびえ立ち

はるか彼方に滝が流れ 白いしぶきをあげてゐます

緑の葉の上を日がすべり落ちて

すべての木はがつちりと根をはつてゐます

風が吹くと木の葉がゆれてゐます

僕が滝に近づかうと思ひはじめた時

僕の中のもう一人の僕も同じ思ひだつたのです

僕の胸の中にゐる別の僕もさう思つたのか

もう ずつと先の道を行くのが見えます

しかも一人ではありません

無数の僕が いろいろな方面への道を行くのが見えます

誰が誰だかわからない たくさんの僕が現はれてゐるのです

強い風が吹き あつと思つた瞬間

土けむりがあがり すべての木が傾き

山の奥にそびえ立つてゐたあの青い岩石の山が裂けて

  前に崩れはじめました

滝は白い細い乱れた糸のようになつて流れはじめました

僕が自分をたぐり寄せようとしても

無数の彼等は ある者は血まみれになり

ある者は 岩と岩とにはさまれて 手足をあげたままで ゐます

小さい口を天に向けてあいたままの者もゐます

困つたことになつたと 僕はもう一人の僕と顔を見合はせます

山の奥が ふたたび静けさをとりもどすのはいつのことだらう

無惨な自分について それまで

僕は考へつづけなければならないらしい

 

 


東京四季の会

2012年05月23日 | 

感泣亭の工事がほぼ終わりました。外装が若干残っていますが、内部は使えるようになりました。とてもすてきな空間に仕上がっています。

半分屋内、半分野外を思わせるような自然な空間になりました。
設計を担当した佐野さんには深く感謝したいと思います。

この空間を使って、先日は「東京四季」の会が行われました。

私も参加させていただきましたが、和気藹々としたとても雰囲気のよい会でした。

感泣亭ではこれから様々な催しを考えています。また根多くの方々にこの空間を活用していただきたいと願っています。

感泣亭に関する問い合わせは、 oyamamasami@gmail.com にお願いします。


中村真一郎の会

2012年04月10日 | 

先日、中村真一郎の会のご案内をいただいた。
今年は,発足から7年になる。
あわせて、「中村真一郎青春日記」が水声社から発売になるらしい。

 4月28日(土) 午後3時30分~ 総会

           午後3時45分~ 講演会

    記念講演 「中村真一郎 青春日記」について   池内輝雄先生

            消えた文人の面影            辻井 喬先生

    懇親パーティ  午後5時半~ サロン燦 

    会場 明治大学駿河台校舎 リバティ・タワー11階 1116教室

    懇親会は、タワー23階です。

   問い合わせ先は、事務局 03-5689-8410 水声社内