閉ぢこめられた雨の日に
ガラス戸の外では並木がけぶつてゐる
ガラス戸の中では音楽が
しづかに曲をかなでてゐる
お前の涙を
私は手に感じ
ぼんやりと
雨脚を見つめてゐる
千の言葉よりも
お前のすすり泣く聲の方が
千の言葉よりも
お前のゆれるからだを支へてゐる方が
私の氣持を亂れさす
眞實はあの雨のやうに私をぬらす
『ノートD』より
閉ぢこめられた雨の日に
ガラス戸の外では並木がけぶつてゐる
ガラス戸の中では音楽が
しづかに曲をかなでてゐる
お前の涙を
私は手に感じ
ぼんやりと
雨脚を見つめてゐる
千の言葉よりも
お前のすすり泣く聲の方が
千の言葉よりも
お前のゆれるからだを支へてゐる方が
私の氣持を亂れさす
眞實はあの雨のやうに私をぬらす
『ノートD』より
昨年の6月に「鷹」の永島靖子さんらにご指導いただいた田園調布の宝来公園を吟行した第一回句会から約1年。
第3回目の句会を元住吉の感泣亭で行った。この句会には、俳誌「梓」の編集長の高橋博夫さんも遠く埼玉から参加して下さった。
様々な分野で活躍しているメンバーだが、俳句は皆素人。
コンセプトは、俳句を楽しむ。
おしゃべりが実に楽しい3時間となった。
次の感泣亭句会は、9月14日(水)に行う予定である。
下諏訪の諏訪湖博物館で、4月28日~6月12日まで「特別展 盆景 ~伝統的見立ての世界~」が行われてます。
なお、5月15日には、杉原景月氏の講演及び盆景作成の実演が行われました。
詳しくは、下記をご覧下さい。
小さなお盆の中に風景を作る盆景は、正孝の詩の一つのルーツになっていると考えられる。 正孝の父、小山譚水は盆景協会創設の立役者であり、神泉流の家元でもあった。
里中智沙さんの個人誌 「獅子座」を紹介したい。
里中さんは、不思議な詩を書く人だ。
私には、昼の詩というより「夜の詩」というイメージである。
感泣亭秋報に毎年詩を書いていただいてる。
その里中さんの「獅子座」がすでに17号になる。
詩だけでなく、映画評もあるのが独特だ。
「ノルウェーの森」と「十三人刺客」が紹介されている。
里中さんの文章を読むと、出来と不出来の両方でこれらの映画が見たくなるから不思議だ。
ちなみに、彼女は映画館派らしい。ながら・・・ではなく、何事にも集中する人なのだ。
「東京四季」が百号を迎えた。
この記念号、巻頭に杉山平一さんの「百号を迎えて」が、この東京四季の出自を簡潔に述べている。
戦前の「四季」の抒情を引き継ぐべく、戦後も数次にわたって「四季」復刊への試みが行われた。
丸山薫が主宰する第六次四季を最後に、四季の名前は消える。
その後を継いだ「文学館」も数冊で終わり、その後、若い詩人が東京では「詩」、関西では、「季」を立ち上げた。
その「詩」が「東京四季」となり、今日まで続いているのである。主宰の畠中哲夫さんは亡くなられたが、ご令嬢の晶子さんも同人となり、ますます意気軒昂である。
瀧本寛子さんが、東京四季1百年の歩みを書いておられる。杉山平一や神保光太郎などと並んで、小山正孝や常子も顔を連ねた写真もある。
二百号にむけて東京四季が何を目指すのか。注目していきたい。