最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

終戦記念日に想う

2005年08月15日 | 川柳
 「六十年昔この日が終戦日」
 昭和二十年八月十五日、私は鹿児島の国分航空基地で神風特別
攻撃隊の乾龍隊の一番機として出撃の待機中でした。
 「日本が負けたらしいいという噂」
 玉音放送がはっきり聞き取れず、戦局が極めてきびしいから一
層努力するようにのこと、いや負けたのだといろいろの解釈。
 「国破れ山河ありとはこのことか」
 命が助かったといった実感は不思議に起きなかった。生きる使
命を失った目には、以前と変わらぬ山河の存在があった。
 「国破れ廃墟の続く空を飛ぶ」
 搭乗員は飛行可能の航空機を使い、急遽帰国せよとの命令があ
り、国分から大分、そして鳴尾まで、焼け跡の上も飛んだ。
 「祖母が脚かかえ生きてる脚がある」
 まさかこんなに早く、生きて帰ってくるとは思わなかったよう
で、脚を抱いて幽霊でないかを確かめ、私の名を呼び続けた。
 「近所にも隠せ復員したことを」
 朝鮮の元山空では、搭乗員総員に集合がかけられ、飛行場で
全員が機銃掃射されたとの噂もあり、家にこもったままだった。
 「終戦日もそうだったろう蝉時雨」
 自然の輪廻は戦争とは関係なく繰り替えされていたはずである、
だが、原爆投下の跡地には数十年間、草木も生えぬと言われた。
 「蝉の骸に出会う八月十五日」
 朝のウオーキングコース大淵公園で油蝉の骸が転がっていた。
何年間も土の中にいた蝉の一生が特攻戦死の運命と重なった。
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