「六十年昔この日が終戦日」
昭和二十年八月十五日、私は鹿児島の国分航空基地で神風特別
攻撃隊の乾龍隊の一番機として出撃の待機中でした。
「日本が負けたらしいいという噂」
玉音放送がはっきり聞き取れず、戦局が極めてきびしいから一
層努力するようにのこと、いや負けたのだといろいろの解釈。
「国破れ山河ありとはこのことか」
命が助かったといった実感は不思議に起きなかった。生きる使
命を失った目には、以前と変わらぬ山河の存在があった。
「国破れ廃墟の続く空を飛ぶ」
搭乗員は飛行可能の航空機を使い、急遽帰国せよとの命令があ
り、国分から大分、そして鳴尾まで、焼け跡の上も飛んだ。
「祖母が脚かかえ生きてる脚がある」
まさかこんなに早く、生きて帰ってくるとは思わなかったよう
で、脚を抱いて幽霊でないかを確かめ、私の名を呼び続けた。
「近所にも隠せ復員したことを」
朝鮮の元山空では、搭乗員総員に集合がかけられ、飛行場で
全員が機銃掃射されたとの噂もあり、家にこもったままだった。
「終戦日もそうだったろう蝉時雨」
自然の輪廻は戦争とは関係なく繰り替えされていたはずである、
だが、原爆投下の跡地には数十年間、草木も生えぬと言われた。
「蝉の骸に出会う八月十五日」
朝のウオーキングコース大淵公園で油蝉の骸が転がっていた。
何年間も土の中にいた蝉の一生が特攻戦死の運命と重なった。
昭和二十年八月十五日、私は鹿児島の国分航空基地で神風特別
攻撃隊の乾龍隊の一番機として出撃の待機中でした。
「日本が負けたらしいいという噂」
玉音放送がはっきり聞き取れず、戦局が極めてきびしいから一
層努力するようにのこと、いや負けたのだといろいろの解釈。
「国破れ山河ありとはこのことか」
命が助かったといった実感は不思議に起きなかった。生きる使
命を失った目には、以前と変わらぬ山河の存在があった。
「国破れ廃墟の続く空を飛ぶ」
搭乗員は飛行可能の航空機を使い、急遽帰国せよとの命令があ
り、国分から大分、そして鳴尾まで、焼け跡の上も飛んだ。
「祖母が脚かかえ生きてる脚がある」
まさかこんなに早く、生きて帰ってくるとは思わなかったよう
で、脚を抱いて幽霊でないかを確かめ、私の名を呼び続けた。
「近所にも隠せ復員したことを」
朝鮮の元山空では、搭乗員総員に集合がかけられ、飛行場で
全員が機銃掃射されたとの噂もあり、家にこもったままだった。
「終戦日もそうだったろう蝉時雨」
自然の輪廻は戦争とは関係なく繰り替えされていたはずである、
だが、原爆投下の跡地には数十年間、草木も生えぬと言われた。
「蝉の骸に出会う八月十五日」
朝のウオーキングコース大淵公園で油蝉の骸が転がっていた。
何年間も土の中にいた蝉の一生が特攻戦死の運命と重なった。
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