KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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トリノ五輪について、ちょっと一言 vol.5(ファイナル)

2006年03月03日 | その他のスポーツ
ちょっと一言と言いながら、5回もやってしまった。

「なんぞう、オリンピック、メダルが取れます言うもんやけん、夜も遅うまでテレビ見よったのに、全然取れんやないけ。」
「ほうよほうよ、日本の選手の方がいよいよアホネンじゃが。」
「わしゃあ、睡眠不足でがいに体調が悪いわい。」
「わしゃ、会社に遅刻したげえ。減給ものじゃ。」
「そんなんまだええわい。わしなんか居眠り運転して事故ったぞな。」
「どないするぞな?訴えちゃろか?」

手前がニコチン中毒になったのも、JTがたばこを販売するせいだとして、JTを訴えた人間がついに日本にも現われたくらいである。次の次の五輪くらいには、メディアやJOCや選手たちが訴訟沙汰に巻き込まれるかもしれない。

それにしても、スノーボードのハーフパイプ。もとより、あまり興味も知識もなかったのだが、過去の五輪において、ここまで敗北したことに対して非難を浴びた種目があっただろうか?一応、建前では、
「五輪は参加する事に意義がある。」
という事になっているのだから、あまりひどい事は言われなかったのだが。僕の知る限りでは、
「無風状態なら、標準記録を突破していた。」
という基準で出場し、ダントツの最下位に終わったモントリオール五輪のボートのエイトか、メダル・ラッシュを期待しながら果たせなかったアトランタ五輪の女子競泳陣くらいではあるまいか?

選手の取材への対応やストリート・ファッションそのまんまのユニフォームも「五輪代表らしからぬ」として、
「正式種目に加えた事自体が誤り。」
とまで言われる有様である。某週刊誌では「メロメロ・ニッポン」と、今回の日本代表全体の不振の象徴扱いである。

今となっては、「Number」誌の五輪直前特集号、苦笑なしでは見られない。
「彼らは五輪で強くなる。」
って、五輪本番でベストが出せるということか?
マラソンだって、五輪本番で自己ベストを出した選手というのは円谷さんが最後だぞ。世界選手権でも、'91東京での山下佐知子さんが最後じゃないか。

そう言えば、この雑誌は、2年前の名古屋国際女子マラソンについては完全に無視していたな。代わりに、女子の代表選考に対する批判記事を載せていたな。その筆者はその後、マラソンよりもキタジマ君やスエツグ君を飯のタネに変えたようだし、今回も
「男子だけでメダル5個」
と大風呂敷記事を書いているじゃないか。

ハーフ・パイプについての予想記事を見ると、アメリカのプロ選手は、
「初めての五輪の重圧で本領を発揮できない。」
のだとさ。どうしてかな。日本のスポーツ・メディアはヘンにプロの実力(日本の選手もプロ契約をしているが。)を過小評価することがあるな。

実際に彼らからしてみれば、「五輪の魔物」など、賞金やスポンサー料等の何百万ドルのかかったプレッシャーに比べたら、なんでもなかったのかもしれない。

話はずれるが、同じ町内に、高校、大学と野球部で活躍し、今も地元の高校の指導をしている人がいるが、その人と町内会の飲み会で隣りに座った時に、
「野球も、サッカーの天皇杯みたいに、プロと高校生が戦うトーナメントをやったらどうでしょう?」
と言うと、一笑に伏された。

「高校生が大怪我しますよ。プロの力をなめたらいかんですよ。」

JOCが「少数精鋭主義」を打ち出せば、選手を派遣しない種目も増えるだろう。各競技団体の関係者にとっては気が気ではあるまい。

アテネ五輪の女子マラソンをめぐる議論にうんざりし、苦し紛れに思いついたのが、
「代表選考を国民投票にしたらどんなやねん。」というプランだった。公的資金で選手派遣する以上、国民の意向を重視すべきじゃないのかという、ある種の皮肉を込めた提案だったのだが、マジで実施したらどうかという興味は尽きない。
冬季五輪の種目について、納税者である国民の皆様に、
「あなたが一番見たい種目」
を投票してもらい、上位の種目を集中的に強化する、というプランはどうだろうか?

今なら、女子フィギアと女子カーリングがダントツの票を集め、ハーフパイプは低迷しかねない。巻き返しのために、何をすべきか。
「天才少女」メロちゃんには、同様に「天才少女」と言われながら、五輪でメダルを逃しても人気の落ちない愛ちゃんや、『氷上の「がんばっていきまっしょい」』と化しているカーリング娘。たちを見習わせればいいと思う。

そしてやっぱり、愛媛県立上浮穴高校在学中の渡部耕大君に、トリノ代表になってもらいたかったなと思う。
「瀬戸内の風がトリノに吹き荒れた。」
と言われていただろうか?
四国にスキー場があることさえ知らない人たちには、ジャマイカのボブスレー代表選手やケニアのクロカン・スキー選手のように思われていたかもしれない。たとえ予選落ちでも、「愛媛初の冬季五輪代表選手」として、
「参加することに意義があった。」
と、中高年層にも「さわやか」と支持が得られただろう。代表選考を国民投票にすると、競技能力よりも見た目やプロフィールから受ける好感度が、かなりポイントとなるだろう。

現実に「少数精鋭主義」が打ち出され、日本人選手の出ない種目が増えると、民放は視聴率欲しさに日本出場種目ばかりを中継したがり、仕方なく、NHKはアルペンのダウンヒルやアイス・ホッケー(今や、日本においては、Jリーグ開幕前のサッカーのごとき状態だ。)など、日本の出ない「花形種目」ばかり放映するようになるだろう。だいたい、日本選手の実力を「粉飾」するのは、中継するテレビ局が視聴率稼ぎのために煽った、というのが本当のところだったのではないか?
今になって言われている、「日本の敗因」。ほとんどが大会前から分かっていたことばかりのように思える。

本当に、こうしたビッグ・イベントでは、今のスポーツ・マスコミのダメな部分がくっきり浮き彫りになる。また、4ヶ月後、似たようなおバカなふるまいが繰り返されるのかなあ。



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