KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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日本選手権雑感vol.3~ムラコソの末裔はどこへ?

2005年06月16日 | その他のスポーツ
選考基準をめぐって紛糾した世界選手権の男子10000mの代表についてだが、結局、三津谷祐の代表入りが取り消され、7月11日までに、大森輝和との比較によって、再選考されるという結論で収束した。

この件について、僕自身の意見を語るつもりだった。けど、もうやめたやめた。


400mのトラックを25周走って順位を競う10000mという種目の魅力を作家の村上春樹氏がシドニー五輪の観戦記の中で、実に秀逸な文章で語っている。

「一万メートルって面白いですよね。マラソンはたしかに華やかではあるけれど、一万には独自の切れ味がある。残酷で、クールで、無口で、スリリングだ。実力の差は歴然と出る。しかしそれにも増して戦略がものを言う。静かに静かに、人々は切り結ぶ。」
「それは儀式のようにさえ見える。人々は黙々と、ほとんど機械的に走りつづける。ストライドの長さも、スピードも、同じフィルムを繰り返しているみたいに延々と一定である。しかしそこにはもちろん不穏な予感が含まれている。突然、爆発がやってくる。人々の間を魔術的な閃光が走る。あと三周、あるいは二周。何かがランナーたちに乗り移る。素晴らしい瞬間だ。そして彼らは矢のようにトラックを疾走し始める。」
(「Sydney!」より)

この種目で、日本人の男子選手は過去に一度もメダルを獲得してはいない。しかし、メダリストをしのぐほど称賛されたランナーが過去にはいた。1936年のベルリン五輪の代表選手だった村社講平さんである。

ベルリン五輪で最初の決勝種目となった、男子10000mには36人のランナーが参加。村社さんはスタートから200m付近で先頭に立ち、快調なペースで飛ばした。速いペースに集団の数は減り、残ったのは「陸上長距離王国」フィンランドの3人の選手。身長162cmの村社さんは後続のフィンランド選手の肩にも満たない。そんな彼が果敢に先頭を引っ張る姿に、ドイツ人の観客も熱狂し、貴賓席のナチス・ドイツの総統、アドルフ・ヒトラーも身体を震わせていた。

このレースの映像を最近、見ることができた。衛星放送で放映された時に録画したまま、放ったらかしにしていた、ベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」をやっと再生したのだった。
伝説のレースは、噂に違わぬものだった。
69年前のレースでありながら、僕の涙腺は緩んでしまった。

15周目にフィンランド勢はトップの座を奪う。しかし、ラスト3周で再び村社さんはトップを奪い返した!

しかし、そこまでだった。残り1000mで再逆転され、村社さんは4位。メダルはフィンランド勢が独占した。トップと4位との差は9秒6。

しかし、村社さんの走りは国内外で、メダリストと同等、あるいはそれ以上の称賛を浴びた。2日後の5000mも同様のレース展開で4位入賞。14分30秒0というタイムも当時の五輪タイ記録。ちなみに、10000mのゴールタイムの30分25秒0ともども、以後20年間破られなかった日本新記録だったのだ。

当時の彼の人気を示すこんなエピソードがある。ドイツから日本まで「ベルリン・ムラコソ」と書いただけで神戸の自宅まで手紙が届いたというし、彼の結婚はニューヨーク・タイムスの一面で報じられたのだという。

村社さんから数えて28年目の東京五輪の10000mで6位に入賞したのは、その大会のマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉さんだった。彼が日本人で初めて10000mを28分台で走ったランナーであることは意外と知られていないのではあるまいか?(そして、彼の記録を最初に破ったのが、今回の騒動の責任者である現在の強化委員長であることも。)

もし、日本が1980年のモスクワ五輪に参加していたら、瀬古利彦さんと宗兄弟が表彰台を独占していたのではないか?いまだにファンの間では語り草となる仮説である。その瀬古さんが、10000mで27分42秒17の日本新記録を出したレースで、10000mの「幻のモスクワ五輪代表」だった、伊藤国光さん、喜多秀喜さんも自己新記録を残しているのだ。このレース、日本がモスクワ五輪への出場ボイコットを決めた直後の欧州遠征で出場したDNガラン国際陸上だったのだが、もし、日本がモスクワ五輪に出場していたら、伊藤さんと喜多さんも上位に入賞していたかもしれない。少なくとも、その可能性は高かったと言えるだろう。
まったく、五輪のボイコットなど百害あって一利無しだ。

'90年代以降、この種目はケニアとエチオピアに上位を独占されるようになったが、シドニー五輪での高岡寿成の7位入賞は、あるいは「最後の輝き」だったのだろうか?(彼は5000mでも決勝に進出したが、これは村社さんから数えて64年ぶりのことだった。)彼がマラソンに本格参戦以後、日本人男子の凋落は目を覆うばかりだ。'02年の釜山アジア大会では、メダルも逃すし、翌年の世界選手権、アテネ五輪では代表選手を1人しか派遣できず、トップとは一周以上差をつけられてしまった。

今回の日本選手権、優勝タイムは28分9秒89。昭和の記録か?代表選考の優先順位をどうこう問う以前の問題だと思う。

村社さんの生誕100周年にあたる今年、彼とメダルを争ったランナーたちの母国で行われる世界選手権に、派遣するランナーが、この程度のレベルでいいのか!!??

もし、日本選手権に高岡が出ていたら、と考えてしまう。彼だけが標準記録を突破し、代表入りという可能性も低くなかったと思う。マラソンでのメダル獲得を彼には大いに期待しているのだが、「長距離王国」の人々に、村社さんから日本人ランナーがここまで進化したことをトラックで見せたかった、とも思うのだ。


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