KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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このマラソン本がすごい!vol.1「夢を紡ぐ人々」

2008年06月18日 | このマラソン本がすごい!
かつて作っていたサイトでは「マラソン図書館」と題して、マラソンにまつわる本を紹介するコンテンツを設けていた。北京五輪を2ヶ月後に控えているとはいえ、マラソンに関しては基本的には「シーズン・オフ」である今の時期、ネタ不足を穴埋めさせるために、再開させてみようと思う。


「夢を紡ぐ人々」武田薫著 ランナーズ(1993年)

まず、第一回にはこの本から取り上げよう。月刊「ランナーズ」誌'92年1月号から連載された「この人」という記事を単行本化したもの。トップランナーを陰で支えてきた人たちを紹介したもので、サブタイトルが「マラソンランナーとその伴走者たち」。

連載第一回に登場するのが、中山竹通がダイエー入社前に所属した、富士通長野の監督であり、最終回は、これまでマスコミにはほとんど登場しなかった、瀬古利彦の奥さんである。瀬古の結婚について、あるいは、当時、「一心同体」と言われた、中村監督の紹介と思っている人もいらっしゃるかもしれない(僕もそうだった)が、実は彼女との見合いが、瀬古の恩師に対する最初で最後の反逆(監督の知らないうちに見合いをした。)だったのである。

時期的に、バルセロナ五輪のマラソン代表は全員登場する。谷口浩美、森下広一、小鴨由水は、それぞれ高校時代の陸上部の監督が登場するが、有森裕子の回に登場するのが、今ではすっかり有名人となった、当時はまだ髭のない小出監督。彼が農家の後継ぎを嫌って家出し、順天堂大に入学し、4年間でただ一日だけ練習をさぼったことを今も後悔している、というエピソードは、8年後のシドニー五輪の後で広く知られることとなったが、ランナーとしての小出監督の実績を
「青東駅伝の代表に16回も選ばれていることがランナー小出義雄の誇りではあっても、聞けば聞くほど、そこで一度も区間賞をとっていないことのほうが、この人にはふさわしい勲章のように思えてくる。」
という一文で表すところに思わずうならされる。辛口スポーツライターと称される筆者だが、見果てぬ夢を追い続ける、苦労人タイプの指導者、他に登場する人では、雑誌掲載当時は日産自動車にいた白水監督らには、暖かい視線を注ぐ人でもあるのだ。この本をきっかけに、この人の書いた文章は目が離せなくなった。

しかし、拒食症に苦しむ田村有紀をカムバックさせた、加藤宏純コーチ(現監督)の章では、若い女子競技者に大きな負担を強いる当時の陸上競技界を厳しく批判する「武田節」は健在。

天満屋の武富監督は、バルセロナ五輪の補欠代表篠原太(現コーチ)のコーチとして登場。その章は、
「できるならば、武富豊の会心の笑いを見てみたいものだが・・・」
で結ばれている。篠原のアトランタ五輪出場という夢こそ叶えられなかったが、その篠原とのコンビで、以後3大会連続して女子マラソンの五輪代表を育ててみせた。夢は少し違う形で叶えられた。

人間の運命の不思議さを感じるのが、山下佐知子の章。
「五輪代表選手を育てたい。」
という夢を持ちながら、先輩の勧めで、鳥取大の教官となった指導者の下に、家庭の事情で地元の国立大学でないと進学できなかった、当時、県でもトップクラスの高校生ランナーだった山下が入学し、彼女が彼の、一度はあきらめた夢を叶えてしまう。

今も、五輪が近づくと蒸し返されるのが、女子マラソンの代表選考、特にバルセロナ五輪の代表発表前の松野明美の「わたしを選んで」記者会見だが、彼女の章で登場するのは、その記者会見の仕掛け人である、彼女の後援会の会長である。当時のニコニコドーの岡田監督の、亜細亜大学陸上部時代の同級生だったのだ。彼はもちろん、彼女のために良かれと思って行ったことであるが、僕も今となっては、この記者会見は「汚点」でしかなくなっていると思っている。

五輪代表ランナーだけではない。筆者と同郷の、「山の神」の元祖、大久保初男や、「市民ランナーの母」松田千枝と彼女が走るきっかけを与えた夫、そして、山梨学院大学陸上部の産みの親である秋山勉部長らも登場する。実は、秋山部長は小出監督らとは同時代に箱根駅伝で競っていたランナーであった。同校にケニア人留学生が入学するようになったきっかけも書かれている。ちなみに、彼の娘婿が、同校の上田誠仁監督である。

15年を経た今、ぜひ、続編というべき本を書いて欲しい。ここに登場する人たちのその後、ようやく悲願を叶えた白水監督らもまた書いて欲しいし、新たな「夢の伴走者」の物語も書いて欲しいと思える。(文中敬称略)



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