アフガニスタン通信
Date: Sat, 16 June 2007 17:46
当地(アフガニスタン東部のジャララバード市、パシュトゥン人のいわゆる「トライバルゾーン」の中心地)の状況は、私が感じるかぎりは、いたってのどかで平和そのものです。日本で案じているような「危険」はほとんど感じません。ただし、アフガニスタンとパキスタンとの関係は日々悪化しているらしく、両国国境のカイバー峠もいつ閉鎖されるか分からない情勢のようです。
一方、ペシャワール会が4年前に取り組み始めた灌漑用水路建設はこの3月に第1期工事を終え(13キロが完成)、この6月から第2期工事(さらに7キロ延長する)が本格的に始動しました。日本政府がアメリカ追随の姿勢で対アフガニスタン政策を今後選択していくようなことになれば当地における対日感情も急激に悪化することが予想されますが、そうした先行き不透明な状況の中で用水路工事は現在急ピッチに進行しようとしています。
このところ日中の気温は50度(寒暖計の最高目盛)、井戸から汲んだ冷たい水と仕事を終えた後に食べるスイカが最高においしいです。
-------------------------------------------------------------------------
今春、神奈川県立三浦臨海高校教頭を2年前倒しで退職した梅本霊邦さん(58歳)が、NGOペシャワール会(代表・中村哲)の現地ワーカーとして、この5月からアフガニスタンのジャララバード近郊で灌漑事業の活動に参加している。
9.11に始まった、アメリカの「テロとの戦争」の最初がアフガン攻撃だった。タリバン政権崩壊後、日本政府もカルザイ政権を全面的に支持し、マスコミもアフガンに自由が訪れたという報道があふれた。しかし、ここにきて米軍の統治がイラク同様うまくいっていない。マスコミが殆ど取り上げない中、現地の生の情報を提供したい。なお、本文は梅本さんの私信であり、本誌の原稿用に執筆したものではないが、今回、掲載の許可をいただいた。
-------------------------------------------------------------------------
Date: Thu, 17 May 2007 19:03
ムシケル・ニシタ(No problem)
パシュトゥー語で「問題なし」「平気、平気」の意味です。道具が壊れている、体調が悪いとかなんとか口実を設けて仕事の手を抜こうとするとき、現地の作業員達はかならず「ムシケッレ」(問題あり、具合が悪い)と訴え、こちらが彼等の仕事ぶりにこれで大丈夫かどうか心配すると、きまって「ムシケル・ニシタ」とかなんおとか、いい加減で大雑把なその民族性を発揮します。とりあえず私も今のところ「ムシケル・ニシタ」です。食べ物にも風土にも今のところ順調に適応しつつあります。
当地に来て1週間が過ぎました。私の仕事は総延長13キロの用水路うちの後半の6キロほどの植樹作業です。具体的にはすでに植えられた楊(やなぎ)や桑の木に灌水することと用水路の先端2キロほどを新たに植樹しアフターケア(灌水)することです。この時期、雨がほとんど降らない当地ではクナール河の水位や用水路の水位よりも高いところに植えた樹木の水やりが意外と大仕事です。乾燥が激しいうえに、土中に礫(日本でも川原に沢山転がっている大小の丸石)が非常に多く混ざり、土は粒子がまるで白粉のように細かくて水に溶けやすく、保水力など植物を栽培するにはいろいろ問題があるためです。2人~5人の作業チーム5つが区域を分担し私の担当する6キロの灌水作業を毎日やっています。水揚げポンプが自由に何台も使えるわけではなく(区域の半分は、バケツを使い人の手で2.5メートル下の水面から水を汲み上げる)、灌水の区域が長いこともあって、これが想像以上に重労働です。植樹もただ穴を掘って苗木を植え挿木をすればよしというわけではなく、事前の準備として用水路の石ころだらけの両岸に土嚢を積み、土を入れ整地するという単調で骨の折れる作業がついて回ります。この事前準備に毎日20人以上の現地人労働者が当てられ、灌水作業や苗木の植えつけを併せると30名以上の現地人を同時に動かすことになります。
とりあえず写真を1枚送ります。1時半に仕事が終わり頭(かしら=当地では一般に「エンジニア」と呼ばれる)が1人1人に日当を渡している光景です。みんなうれしそうに見えるでしょう。写真でも分かるように、働く人達の年齢はさまざま、でも一見ふけて見えても私より年上はたぶんひとりもいないはずです。年齢に関係なく日当は1人100アフガニー(240円)です。ちなみに当地ではペプシコーラが1缶20アフガニーします。
Date: Sun, 27 May 2007 22:51
5月20日、日曜日と言っても、当地では通常の営業日です。今日も朝3時半に起き5時に出勤、車で約45分の作業現場に出かけ午後1時半まで第1期工事の最終区の用水路沿いに植樹の事前準備として土嚢を積み、土を盛り整地する一連の作業とすでに植樹した5キロほどの区間の灌水作業を指揮しました。朝から晩の気温は30度~50度の間を行ったり来たりしています。空気が乾燥しているのとクナール河の川面を渡ってくる風が涼しいのとで、日射しは強烈なものの意外にしのぎやすいです。私は相変わらず元気です。
<一昨日の金曜日にジャララバードとその近辺で起きたこと(すべて伝聞です)>
1 《妻に鼻を削ぎ落とされて夫が死ぬという事件があったそうです。》
でも、アフガニスタンにウーマン・リブの兆しか?と言うのは性急かもしれません。当地では女性は適齢期になると外では皆ブルカを被ります。ブルカを被っていないのは14、5歳未満と40歳(?)を過ぎた女性のようです。小さな女の子を見るかぎり、総じて美人が多いなと感じます。ただし、気楽に声をかけたり、手を振ったり、まじまじと見ることは禁物のようです。
日課で井戸に水汲みに行くと、先に水汲みに来ていた女性は私達の姿を見てそそくさと水汲みを済ませ家内に引っ込んでしまいます。後から水汲みに来た女性は、私達が水汲みを終えるまで物陰に隠れて順番を辛抱強く待っています。農作業や水汲みのときにはブルカは、もちろん、どの女性も被っていません。たぶんそのためでしょう、他の男性に顔を見せないようにとても気を使っているように感じます。年頃の女性がブルカを着けずに水汲みをしている場合は、井戸の20メートルほど手前で私達は車を止め水汲みの済むのを待ちます。
2 夜9時頃、私達の宿舎の近くにあるインド領事館前のゴミ箱(ドラム缶)に爆弾が仕掛けられ、発見した警察がこれを爆破処理したため、もの凄い爆発音とともに宿舎の建物も大きく揺れたようです。他の日本人ワーカーは何事かと思って食堂に集まったそうですが、私はその10分前に就寝し熟睡していたため、翌朝その話を聞くまで何も知りませんでした。誰が何の目的で爆弾を仕掛けたかは不明です。インドとパキスタンの関係悪化の兆しではないかとの観測もあるようです。
3 私達がいるナンガルハル州の郡警察のトップが爆弾を仕掛けられて爆死したそうです。カブールの中央政府の要人でもあるということで、土曜日は沿道にふだんよりも多くの警官が重装備で配置され物々しい警備でした。アフガニスタンの各地方では政治的権力をめぐってファミリー間(当地では血縁による結びつきが強いとか)の抗争が絶えないそうで、殺された警察長官は反対勢力からいろいろ恨みを買っていたのでは、との推測です。ただ、彼の実績は高く評価されていて、例えば、かつてここジャジャラバード周辺の道路ではそこここに勝手に検問が設けられ通行料が徴集されていたのが、今ではそれがまったくなくなったとのことです。
土曜日(21日)に第1期工事の終了点の植樹作業をしながら、ひとりですぐ目の前の尾根に登ってみました。自分の仕事の全体像を地理的に把握してみたかったからです。ごつごつした岩山ですが、樹木が一本も生えていないために見通しがよく、登路も自在に選べて、とても気楽に登れました。クナール河を渡ってくる 風が冷たくとても心地よかったです。そのとき撮った写真を送ります。左(北東)から右(南西)にクナール河が流れているのが分かるでしょう。向いの山脈は2千メートルほどで、パキスタンとの国境になっています。この山脈に沿って毎日幾度か軍の小型ヘリと大型ヘリが偵察巡視飛行をしています。
写真の通り水利に恵まれた流域の低地は木々が茂り青々としていますが、乾燥した茶褐色の山肌には樹木は一本も見られません。低地と高地の 色が水利の如何でこれほど違ってしまう景色は日本ではまずないだろうと思います。当地では今が冬蒔きの小麦の収穫期(写真では茶色に見えるのは小麦畑です)で、私が当地入りしたときは「麦秋」という言葉さながらの風景が展開していましたが、この2週間でほとんどの畑では刈り取りが済み、畑のあちこちで機械を使った脱穀作業が行われています。農作業の風景を見るかぎり、当地では農民は男も女も大人も子どももよく働くな、と感心します。
月曜日(22日)には警察の車両が爆破され警察官4人が死亡するという事件がありました。作業現場へ行く途中の村々ではいつになく人集りがあちこちにできていました。が、全体としてさほどの緊迫感はありませんでした。
用水路沿いの幹線道路では毎日ISAFの装甲車とアフガニスタンの警察車両の車列が道路の中央を傍若無人に走り去るのに遭遇します。装甲車のなかは冷房がガンガンに効き、冷えたコーラやビールが飲み放題だそうです。ただし、私にはその真偽のほどは分かりません。