エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

我が人生の名場面4・遊園地従業員時代編

2020-02-18 22:42:45 | 日記
我が人生全般の転換点や名場面を振り返るエッセイ第四弾。
今回は、濃すぎた新卒社会人、遊園地従業員時代編。
ここだけでだいぶ長いのですが、それだけ経験を積んだ質・量がハンパ
ないので、感謝をこめて書いておきたいと思います。

なんとか入社できた地元の遊園地は、初日から暗雲が立ち込めていました。
大卒と高卒合同で行われた研修では、高卒組が寝るわ遊ぶわ騒ぐわ…あげく、
休憩中に堂々とタバコを吸っている始末。
人事の人いわく「禁止するとトイレで吸うから。前にボヤ騒ぎになった
ことがあって」とのこと。ええ! だからって、違法行為野放しかよ。
研修の間じゅう、高卒生の態度はあまりにひどく、これは学歴云々の
問題ではなく、あえて選んで「不真面目な高校生」を就職させたとしか
思えませんでした。
これからこんな人たちと一緒に仕事するのか…。しかも人事の人が平気で
違法スルー…。絶対まともな会社じゃない。
「こんな会社」にしか就職できなかった自分を呪いました。

しかし、結果として、この会社で社会人生活を出発させたのは人生において
大きなプラスとなりました。逆説的な意味でなく、本当に。
半年間は遊園地の各部署を回っての現場研修で、普通だったらこんなに
たくさんの仕事を経験できない、多数の職種に携わることができました。

大卒の同期15人は3人ずつの5班に分かれて半年間の現場研修。
遊園地内の飲食店実習では、「味を知っておくように」ということで、
通常は廃棄する閉店時点での売れ残り品を毎日食べていいというお達しが!
この当時、勤め先の遊園地は「グルメ遊園地」を標榜していて、園内の
食べ物が本格的でたいへん充実していました。私の入った飲食店の
グラタンピザ、タコス、ブリトー等々…すべてがめちゃくちゃ美味しい!
後日、別の班がこの飲食店に研修に入った際に、私がいかにこの店の
残り物をたくさん食べたか、その量が伝説になっていたとのこと。
いや、だって美味しかったから…。捨てちゃうの勿体ないし。

次に入ったおみやげ屋さんではラッピングができるようになりました。
おみやげ屋の店長さんはなんと同い年。23歳新卒(浪人したため
22歳ではない)で右も左もわからない私に、同い年の店長さんが
お店を切り盛りしながらいろいろ教えてくれる…。高卒で5年頑張ると、
私の今の年齢の時にはこんなに立派になるんだと思ったことで、高卒で
入社してきた従業員を見る目が変わりました。
私は18歳の時、浪人生なのに半年以上遊んでたし、大学に入って4年間、
勉強サボって相当遊んで暮らしてた。何もできない自分が一体、何様の
つもりだったのかと思いました。大卒のオフィスワーカーばかりの職場では
体感できない世間の広さをいい形で知ることができました。

その次は一転、事務所での内勤と、営業回りのお供で外回りにも出ることに。
私を引率してくれたおじさんは「とにかく全部回るまでお昼を食べない」
という人で、ランチが15時以降ということもたびたび。のちに他の人から、
「ランチタイムが遅い人に同行するのがつらかった」という意見が出されて
ました。私は小心者でせっかちなので「全部終わって落ち着いてランチ、
食べたら帰社して日報」というのは割と性に合ってたな。でも新入社員を
連れて歩くなら確かにその辺は気をつかわないとね。
内勤では企業の福利厚生チケットの引き換えなどをやったのですが、
契約違反の「余剰人数分チケット引き換え→正門前でダフ屋行為」をする
母親の多さに唖然というか仰天というか…
夫の会社の福利厚生チケットで、うそをついて実来場人数より多く、
券面表示分MAXで申請して(※福利厚生券の引き換えは券面表示数でなく
実来場人数分のみ可)、余った枚数を転売する妻。大半はこの構図。
とにかく、やるのは会社からチケットを手に入れた従業員本人でなく、
必ず家族です。本人は福利厚生券転売がダメとわかってるから。
中には高校生くらいの息子がこれをやって「3枚引き換えるのは俺の権利だ、
引き換えないのは権利侵害だ」とごたくを並べて叫び散らし、親御さんへの
連絡先も言わずに黙秘を長時間続けられて、仕方なく警察を呼んだことも
ありました…。権利ってなんだろう。
怪しい客の後をつけて正門前で転売の現場を押さえて事務所に連行する
Gメンの仕事を先輩社員と一緒にやったりしました。
チケットを買う列に並んでる人に少し安めに売ってあげて、自分は儲けて
相手も割安で買えてラッキー、いいことして儲かった…というのが転売を
する人の感覚。でも、契約違反の使い方で、違法行為をして、不当な利益を
得ている=違法行為で遊園地に損害を与えてる、ってわかってる?
その数千円で、チケットもらってきた夫は会社クビで、あんたは逮捕だよ。
もちろん契約企業に違反客を通達したり、客を逮捕させたりするのが
目的じゃないから、説明して余剰チケットを返却してもらうだけですが…
毎日これを目の当たりにすると、ほんとにうんざりする!!

それから園内・園外ゲームコーナー。これは「ゲーセン」の仕事。園内に
ゲームセンターがあり、さらに、この部署では企業グループの他の施設の
ゲームコーナーも運営しているとのこと。
私は大学漫研、高校漫研の友人とさんざんゲーセンに行っていたので、
客としては勝手知ったるホームグラウンド状態でした。
ゲームやアニメのキャラクターが大半わかるので、部署の社員が「ロボット、
全然区別つかない…」と悩んでいたグッズをみんな仕分けてあげました。
「これはマジンガーZで、こっちはグレートマジンガー、別なんです。…」
堅気の、しかも若い女子社員に、古いアニメのロボットの違いなど
わかるはずないのです。古くなくてもガンダムは難問で、「顔は同じっぽい
けど、これは〇〇ガンダムなんです」という説明を色々することに…。
お陰で「オタクの人ってすごいね」という変な誉め言葉を頂戴しました。
ここも二十歳そこそこの女子が簡単な故障ならはんだゴテで溶接して
機械を直したりしていてほんとにたくましい。
私たち新人の仕事は清掃や、おつり・景品の補充、中央カウンターでの
問い合わせ対応が主でしたが、UFOキャッチャーのアームの強度を調整
して、試しに30回くらいプレイしてみて状態をみる、なんて仕事も
やらせてもらいました。
遊園地の客が少ないと、園内のゲーセンなんて特に閑古鳥が鳴きまくり、
一日ただひたすら歩き回って機体を拭いてるだけ…ということがあります。
逆に、遊園地が混んでる日に急な雨が降ると屋根のあるゲーセン店内に
雨宿り客が殺到し、普通のゲーセンではありえない凄まじい混雑になります。
遊園地ならではのゲームセンターの苦労です。
あと、園外のゲーセンの外回り仕事もあり、ホテルやボーリング場に設置
されたゲーム機のメンテナンスと景品補充にも同行しました。
課長が運転する車に乗って外回りして、帰りに助手席で寝てしまったため、
「ツワモノ」と笑われました。積極的に寝たわけじゃないんだよ~~…
園外の仕事は他社の人と接する機会が多く、そのためか、このゲーセンの
スタッフは他の園内のスタッフより接客などの態度がしっかりしていました。

一般に「カーニバルゲーム」といわれるアナログなゲームコーナーもあり、
そこはまるっきり別の部署。輪投げなどの他に、ボールを放出する銃で
最初に的を倒した人が大きなぬいぐるみをゲット…みたいな大掛かりな
アナログゲームもたくさんありました。2人の参加者でゲームを開催して
景品を出すのは損なので、できれば全部のレーンが埋まってほしいわけです。
だからマイクを持って参加者を募ります。ゲームの進行役もやります。
「あとお2人、参加される方いませんか? 勝った方にこのぬいぐるみを
さしあげますよ~!」「はーい、では、3、2、1、スタート!」
実はこういう仕事が大の苦手。中学時代は全校朝礼の司会をするのも
抵抗なかったのですが(無頓着、無感動にやってた)、高校では全校集会で
部の代表として発言する際に息継ぎを忘れて言葉がぐだぐだになる緊張ぶり。
自分に愛情というか愛着みたいなものができて自意識過剰になったのかも。
まして「仕事」でやるとなるとますますのプレッシャーが…。でも、やるしか
ないので頑張ってやりました。
小学生の頃に剣道教室で声の通りや大きさをほめられていた私、やがて
自分の元気で明るくてノリのいい司会ぶりを「イケてる!」と思えるように
なりました。客観的に「遊園地のお姉さん」ができてると思う!!
仕事って「やるしかない」し、「やればできる」んだと実感できました。

正門のチケットもぎり。乗り物の誘導係。園内清掃。研修は続きます。
清掃の研修では、園内の掃除だけでなく、園内の焼却炉にごみを流す仕事も
ありました。この部署はかなり年配の男性が担当していたのですが、
使用済生理用品を焼却レーンに流すのを、研修生の二十代前半の未婚の男性に
やらせるのはどうなのよ…。少子化が進むトラウマになるよ。
それに胸を痛めて、それ系のごみは躍起になって自分がやろうと奮闘していた私、
一方でゴキブリが出るとどうしても無理で、飛び上がって逃げていました。
仕事だから、逃げるなんてもってのほかなのですが、どうしてもゴキブリだけは
どうにもならない。私のかの奮闘をわかってか、逆にそっちは男子ができるだけ
素早く焼却炉に送り込んでくれていました。

遊園地にはプールもあったので、真夏にはプールの係員もやりました。
水流の強い場所で水に浸かる仕事をしていたら、足が赤と黄色のまだらに
塩素当たりしてめちゃ痛痒くなり、1日でその担当箇所から異動になりました。

さらに消防訓練もやりました。消防訓練は超ガチ。毎年、この遊園地は区の
自衛消防訓練審査会で優勝を狙っていて、今年の我々も目指すは優勝でした。
選手は「見栄えがいいから」という理由で身長の高い順に選ばれましたが、
唯一、私だけ、声の大きさと気合で選ばれました。選手は三人なのですが、
女子で三番目に背の高い女子が、か細くてか弱くて声も大変可愛らしい
「守ってあげたい系」だったので、私とチェンジすることに…
ただし消火までのタイムも競うので、選手は「足の速い人」が好ましかったの
ですが、私は大いなる鈍足。で、「あなたは、一番走らなくていい一番員で」
ということになりました。
結果、男子隊は2位、我々女子隊は見事優勝を勝ち取りました!
他社の女子自衛消防隊は花のようにか弱くて力ないのに、当社女子隊は
男子隊並みに力強くたくましかったからな。女子隊の優勝は必然でした。

研修の間、月に一度の報告会があったのですが、今思うと「大学出たての
新人なんて、何もわかってないんだな」というレポートを一生懸命皆で
書いて発表していたなと思います。でも、その中に、速攻却下されたものの
ずっとずっとのちに実現した提案もあり、聞く側の課長さんたちも当時は
本気で聞いてなくて、お互い様だったのかもしれません。
高卒と大卒、現場と事務所、ベテランと若手、その他いろんなところで
温度差や価値観の相違がある会社でした。
でも、そこを橋渡しできる立場になるはずだったのは、こうして現場を
じっくり経験してから事務所に入る私たちだったのだろうと今も思います。

なお、専務が報告会で「皆、消防訓練はバカバカしく感じたんじゃないか?
だがね…〇〇くん、消防訓練はどうだった」と急に私に話を振ってきました。
私は、専務が「つまらなかった」と答えてほしいんだろうと感じましたが、
瞬間悩んだものの、やっぱり嘘はつけず、満面の笑みで「楽しかったです!」
と答えました。専務は「そうじゃなくて」という顔をして、次に男子を
一人指しましたが、彼の答えは「僕は自分にスキルが身につくのであれば
何であっても歓迎です、大変有意義でした」というものでした。
「…今年の新卒は、変なのばっかりなんだな。まあとにかく、バカバカしい
気持ちでやってた人もいたと思うが…」と、有難い専務の薫陶は続きました。
話は「研修に無駄なものなどない」ということでしたが、私はすでに
何一つ無駄だなんて思うことなく、日々、楽しく学んでいたわけです。

半年の研修が終わり、配属されたのは企画室。大卒新人の半分はこの
配属先でした。企画室の上司は室長の男性と課長の女性がいて、我々は
班に分かれてこの女性上司の下で企画を立て、実現することになりました。
課長は専務の片腕で、秘書的な役回りもします。社長室や専務の部屋に
お茶を持っていくのは我々下っ端ではなく課長の役目。
一度、客が来るということだけ連絡がきて、課長がさっと台所に立った
ことがありました。社長室、専務の部屋の客ならそれでいいのですが、
「企画室」の客ならお茶汲みは企画室女子の仕事です。(当時お茶汲みは
絶対的に女子の仕事で、そこに疑問の余地はなかった)
私は課長を追って給湯室に行き「やります! 専務のお客様でも、お茶を
淹れるところまでは私が…」と言いました。課長はふっと笑い、「あれは
専務のお客様だから大丈夫、私がやります。…でも、気がついて声かけに
来たの、あなただけなのね」と言いました。
うわあ怖い。上司って見てるんだ。
結果として私が点数を稼いじゃったわけだけど、特に女性はこういう細かい
ところに気が回るかどうかまで評価されるんだな、と思った出来事でした。

私、大学時代に秘書検定の3級と2級を取っていたのですが、学習内容に
ビジネスマナーとしての気の回し方のポイントがわかるような内容が多々
ありました。「タクシー内の上席はここである」…そうか、タクシーに
乗るときにも順序や配置があって超~気を回すものなんだ、みたいな。
多分そうして気を配る感性を学習しておいたのが思いがけないところで
社会人生活の土台になったと思います。そうじゃなければ「課長がすぐに
立ったんだから、我々はいいんだな」と余裕でスルーしていたでしょう。
なお男子にはそういう気配りはまったく求められません。
1990年代中盤でも社会ってそんなもんでした。

企画室の者も、繁忙期には現場の応援に出ます。夏休みのイベントの際は、
駅前のうちわ配りや園内でイベントに使うグッズの歩き売りにも入ります。
声もでかく愛想もよく、もりもり元気で気合入りまくりの私は、うちわも
真っ先に手持ちがなくなって待機所に補充に戻り、グッズもじゃんじゃん
売って真っ先に在庫を取りに事務所に戻っていました。絶対ナンバーワンだと
思えて、わりと、自分は仕事ができる子だという自信が生まれていました。

さらに、私が大学やプライベートで本を作っていたと人事が知っていたので、
季刊で発行される安全啓蒙用の壁新聞の編集に加わってほしいとのお達しが
ありました。
私が就職したのはウィンドウズ95が世に出て間もない頃です。
企画室では私を含め皆ウィンドウズパソコンを使っていましたが(私物、自腹)
社内各部署ではまだパソコンが普及していませんでした。
手書き原稿を各部署から集めて入力して、これまでの壁新聞に似せて
レイアウトして…って、ウィンドウズ初心者の新入社員にえらい負担を
かけるもんだ! まだ新人なのに兼務してるし、ノートパソコン自腹だし!
クロスワードパズルとか挿画とかは手書きでした。だってコピーして園内に
貼るだけだから「版下」を作ればいいんだもん。

1年間企画室にいて、私と、同期の男子一人が組んで担当した「新会員
システム」が実現されました。
次の配属先は、入社時から第一希望を公言していた宣伝の部署。やったね!

この会社の宣伝担当部署はイベントの担当も兼ねているので、下っ端は割と
イベントに担ぎ出されることが多かった記憶があります。冬休み、サンタの
格好でお笑いライブの会場入口に立ち、呼び込みをしたりしました。
他には、バラバラに保管されてた古い写真ポジフィルムをジャンルごとに
分け直して使えるようにしたり、チラシの校正を練習したり…
また、人事からは、安全の啓蒙壁新聞だけでなく、内定者向けの広報誌も
制作を頼みたいという依頼が来ました。人事が部署を通して頼んできた、と
いうのは普通に職務命令なので、当然受諾します。
おいおいまだ2年目の新人に、部署外の仕事を2つも背負わせるのかい。
とはいえ「頼られてる♪」と思ってますます気合が入る私なのでした。

しかし、秋に異動して、まだ大して仕事をしていない冬の時点で、私に、
この会社における「赤紙」が来たのです。
この遊園地、冬は閑散期となります。一方でグループ会社にはスキー場が多く、
そちらは冬が繁忙期。だから冬の時期、何十人もの遊園地スタッフが
スキー場に出向するのです。
2年目の冬、私にもスキー場出向の指示が…。我々は恐怖をこめてそれを
「赤紙」と言っていましたが、現場のスタッフには喜んで行く人も多かった
ようです。なんたってリフトのフリー券がもらえて、休みの日や終業後は
勤め先のスキー場で滑り放題だからね! …私は脚の手術歴のために
スキーを忌避していたので何にもメリットなかったけど。

24歳(間もなく25歳)というこの年齢に至るまで、私は親元を離れた
ことがまるっきりありませんでした。初めての自活!!!
でも「一人暮らし」ではなく、グループ会社の寮の4人部屋暮らしでした。
4畳半の共用の居間(テレビ有)の手前にベッド4基のみ、個人スペースは
ベッド&その上の棚だけ。完全に共同生活です。
会社の駐車場に集められ、グループ会社のバスでスキー場に連れて行かれる
心境は、まさに「ドナドナ」…。
新潟の寮にたどり着き、私が真っ先にやったのは、棚にスーパーロボット
関連のムックを次々並べることでした。何しに出向行っとんねん。
私は「後半」ということで2月3月の担当でしたが、12月1月の前半の
人たちは暖冬による雪不足でほとんど営業ができなかったそうです。
それでもさすがに雪深くなった2月の新潟の町、驚いたのは地面に水が
流れていて雪を解かし続けていること。歩道は長靴不要、スニーカーでOK。
田中角栄の政治力か…と思いつつ、スニーカーで歩いて買い物に出かけて、
買ってきたのは1リットルの湯沸かしポット。流しはあるけどコンロも
レンジもなくて、カップ麺やインスタント味噌汁作れないと無理、という
環境だったので、すぐに湯沸かし機能付きの魔法瓶を買いに行ったのです。
すると、「〇〇さんのところはお湯が沸かせる」という情報がすぐに広がり、
ほどなく私たちの4人部屋は出向仲間の女子のたむろ部屋になりました。
1リットルしか沸かせないので、お湯はすぐに空になり、次に沸くまでの間
皆がわらわら居座って、テレビも勝手にチャンネルを選択します。そこで、
自分では絶対に見ない「Toki-Kin急行」という、TOKIOと
KinKiKidsの番組を見せられて、長瀬智也が弟に似てカッコいいとか
ふかわりょうが素敵だとか、新たな世界が広がることになりました。
困るのは「〇〇さんってスキーしないの? 休みとか何やってるの?」と
いう質問。正直に「マンガ描いてます」と答えると「えーどんなの描くの?」
と続くのでほんと困る。「スーパーロボット大戦のパロディ漫画描いてる」
って言っても、ヤンキー系文化の人には意味がわからないし。
それでも四畳半に6人も7人も集まってカップ麺作って一緒にテレビを見て、
時々飲み会になったりもする環境は大変楽しいものでした。
人生初の「お酒を飲みすぎて気持ち悪い」を経験したのはこの場所です。
なお、冷蔵庫はありません。窓を開けて、窓のすぐ下まで積もっている雪の
中にぐさっと刺せば天然の冷蔵庫。私の部屋の窓の外にはたくさんのお酒が
いつも埋まっていました。
スキー場では中腹のロッジタイプのレストランが私の職場でした。
通勤は、寮からバスでスキー場に行き、このレストランの人はふもとから
キャタピラの雪上車で登ります!! 帰りは膝近くまで埋まって徒歩だけど、
経理の集金の人や、スキー板持参の人は滑って下りていきます。
ローテーションで「残業当番」があり、その時はナイター営業をするふもとの
レストランとおみやげ屋に入ります。ここで働いていると、昼の仕事を終えて
夜はスキーを楽しむ仲間たちがごはんを食べに来たりします。
ほんとに楽しい生活でしたが…唯一、同室のバイトの女の子が社員の男を
連れ込んで深夜までしゃべってるのには閉口しました。社員の男の方に苦情を
言って、改まらなかったから人事の人に「毎晩男が忍び込んで来て怖いし
話し声がうるさくてマジ迷惑」と強く抗議しました。でも人事の人の反応は
「よくあることなのに、なんでそんなに騒ぐのか」という態度でした。男に
注意はしてくれたけど。
この会社、全体的にそういう文化なんだよな…。カーテンだけの仕切りで
女性4人が寝てる部屋に毎晩のように男が不当に侵入してくるって、女性に
とって、普通は相当怖いことだよ???
そして3月半ば、雪が解けてきてびっくり。寮の隣、墓地だったのね。
来た時から雪が2メートル以上積もっていたから知らなかった。
気づかなくてよかった。
雪が解けすぎてスキー場の営業が縮小されることになり、真っ先に帰還する
メンバーに私が入っていました。その理由は、なんと…
「広報に異動が決まったので、早く戻ってほしい」とのこと。
こうして私の楽しい山籠り生活は終わりました。

広報の仕事は本当に楽しかった。多分、一番楽しかった仕事です。
当時は「TokyoWalker」「ぴあ」等々、お出かけ情報誌全盛期。
毎週、レギュラーで「〇文字以内で最新情報をリリース」という仕事が
あります。そうした文案を作ったり、見出しのキャッチコピーを作ったり。
私は雑誌担当だったので、掲載誌の管理をしてスクラップ帳を作って、
自分でも「チケットプレゼント」を餌にパブリシティ(広告料を払わずに
記事としてメディアに紹介してもらう)を営業して回ったり。
大好きな職場であるこの遊園地を、たくさんの雑誌に紹介してもらいたい!
就職活動の際にはある会社にひどい圧迫面接を受けたことがあって、
その時に懸命に前向きな反論で返していたら「あなた、営業にむいてるわね」
と女性の社長さんに言われたことがあるんだけど(だが面接は落ちた)、
その意味がわかった外回りでした。売り込んで歩くの超楽しい!
実際は売上ノルマがあったらしんどいんだけどね。
しかし、この楽しい会社で最もつらい目に遭ったのもこの部署でした。
超絶理不尽なパワハラを受けたのです。
部署で決められた通りにマスコミに入園者数を回答したら「何を勝手に
答えてるの」と怒声。いや、全員がこう答えるという決まり通りでしょう。
「じゃあ、私はどう答えるべきだったんでしょうか」と上司に問い返すと、
しばらく無言になり「もういい!」と休憩室に逃げる。
指示通りにやった仕事を「勝手にやるな」「そんな指示出してない」と
言い張る上司に、私の背後の宣伝の部署の人たちが「えー、彼女、言われた
通りにやってるよねえ」とわざと聞こえるように言ってくれたりする。
パワハラ上司は課長代理だったんだけど、間に挟まる係長が、何度も
「〇〇、おまえは間違ってないよ、ちゃんとやってるよ」と言ってくれる。
人事が依頼して部長、課長がOKした壁新聞や内定者広報誌の仕事を
「あなたがやる仕事じゃないでしょう」と言って、やる時間を作らせない。
周囲から、いつも「大丈夫?」と心配されていました。
こんな毎日でも、仕事が好きで会社が好きなので、けなげに頑張っていたら
謎の腹痛で日々がしんどくなってきました。
先輩たちから「心療内科に行くべき」と言われましたが「頑張ればなんとか
なる」「自分がどうにかできないのが悪い」という、典型的な精神疾患
ループに入ってどんどんしんどくなっていきました。
ある朝、目が覚めた私の心はものすごい青空でした。その日の私の中に、
出社という選択肢はまったくなかった。なんかすごい晴れていた。
元気いっぱいに起きてきたのに、「今日、体調不良で休みます」と会社に
さわやかに電話して、明るくすっきり、ためらいなく気持ちよく休みました。
あの時の異様なすっきりさわやかな感じはほんとにやばい。
翌日は普通に出社できましたが、その経験は「精神疾患は『精神的なもの』
ではなく、何か脳内に異常が起こっている」ということを教えてくれました。
人事考課でこのパワハラ上司は私に最低評価をつけました。
この件で、部長と課長から詫びられ、人事の人がパワハラ上司の悪評を私に
告げ口してねぎらってくれるという異常な状況になりました。
結局このパワハラ上司は次の人事異動で社外の食堂に左遷されました。
でも、私は、人事考課が悪かったために給与に影響を受けました。
なお…このパワハラ上司、のちに事件を起こしました。ニュースを聞いた時、
私は「だよねー!」と叫んでしまいました。この元上司がどういう人間か、
社会的に認識されてよかった!としか思わなかった。

「〇〇さんがだいぶまいっているようだから…」ということで、私も異動する
ことが決まりました。
異動先は、研修時に私が独壇場を見せていたゲームセンターの部署。
「ここなら得意分野で、気楽に、楽しくできると思ったんだけど…どうかな」と
課長に言われ、「一種の喧嘩両成敗的なもので、私も広報からは出す形に
しないといけないんだろうな」と忖度したりして、すぐにOKしました。
またもや私が景品の説明係となり、新たに入社してきた十代の後輩からも
あだ名で呼ばれて親しまれ、また私に楽しい日々が戻ってきました。
社外の、ホテルの中にあるゲームコーナーの担当も数か月やりました。
それなりのホテルなので、態度の悪い人は担当にしないのが暗黙の了解。
私はここに出しても大丈夫、と思ってもらえてるんだな…と安心しました。
衝撃だったのは、十代の後輩たちに「熟語でしゃべらないで」と言われたこと。
「話してると、会話に二字熟語っていうか漢字が多くて、私らみたいな勉強
できない人は漢字変換ができなくてわかんないことがあるからさー、もっと
ひらがなでしゃべってよ」…なんと、『ひらがなでしゃべる』とは…!?
「この壁新聞も〇さんが作ってるんだっけ。社内の人、漢字あんまりわかんない
から、もっと熟語減らして書いたほうがいいよ。みんなが〇さんみたいに
頭いいわけじゃないから」
反省しました。私は「自分は優等生」という考えはもう消え果ていたのですが
学校の勉強で言ったらやっぱり勉強ができる子なのです。そういう子に
合わせて教材を作ったらクラスの子はしんどいです。
壁新聞は、遊園地の現場の人たちの安全の意識づけのためのもの。
私の価値基準はまだ受験勉強を頑張った大卒が中心になっていた。
読む人のためにどんな言葉を使うべきか、もっと考えなければいけなかった…

楽しい日々は流れ…しかし、その間もどんどん景気が悪くなり、とうとう
絶望的なお達しが出ました。
「経営状況が非常に悪いので、これからは一般の(つまりヒラの)社員の
給与も減額することになります」…
計算すると、年収が衝撃価格に減る想定。いやそれはさすがに…
そして、中途入社で社員に素晴らしい研修をしてくれていた人事の教育担当
の女性が「社員教育は金を産まない」とクビになるなど、社内で理不尽な
人材軽視がまかり通り、次々と人が辞めていきました。
キャリアの面から見ても、「研修半年、企画室1年、宣伝・広報で1年、
現場で間もなく1年」という状況。この会社では、大卒の同期も現場に
配属されたり異動になったりして、しかも経営状況の悪化に伴って
大卒を積極的に現場に出す方向に経営方針が変わったので「事務所がよくて
現場が悪い」ということはまったくありません。しかし世間は違います。
このままゲームセンターでの経歴が長くなると「事務所で使えなかったから
現場に出されて、そのまま戻れなかった」という見方をする人が必ず出て
しまう。このまま残ることは、どう考えても自分の得にはならない。
私は、ゲームセンターの部署に移ってちょうど1年のところで退職する
ことに決めました。それなら「研修半年、それからはさまざまな部署を
1年ずつ異動していました」という説明が成立するので。
ゲームの上司に退職を伝える際、泣けて泣けて…。
上司も「辞めてほしくはないけど、会社の状況を見て、引き止めるわけには
いかない」と言ってねぎらってくれました。
その年の秋、私はたくさんの思い出をくれた遊園地をあとにしました。

この会社ではたくさんの有意義な薫陶を受けました。
「上司は、偉いんじゃなくて、責任の重さが違うだけ。上司に遠慮して、
会社のためになるようなことを言えない環境になるべきではない」
「黙って三年やってから言いなさい」(当時は、それが発せられた状況から
大いに反発しましたが)
「自分がいなくなっても会社がちゃんと回っていくような、理路整然とした、
すぐに引き継ぎが成立する仕事をしなさい」(そんなんしたらすぐクビに
なるやん、と当時は思いましたが)
「企画には、できないことなんてない。スタートとゴールはもう固定して、
変えない。そのスタートとゴールをどう実現可能なものにしていくか、
それが企画だよ」
「宣伝を作るには、まず、その商品が社会の中でどの位置にあって、
社内の商品の中でどの位置にあって、お客様にとってどういう位置づけの
ものかという整理が必要。そうすると使う表現も決まってくる」
「(当時の、ネットが普及していない環境下で)お客様1人が不満を感じて
帰ったら平均7人に直接言い、その話を聞いた人は平均3人に広めます。
すると、営業日数と来場者数から、1日にたった×人に不満を感じさせただけで
1か月ほどで東京都民全員に当たる人数がこの遊園地を悪く思うようになります。
顧客1人に不満を感じさせる重大さがわかります」…
ここで学んだすべてのことが、この後の人生や仕事に多大なる恵みをもたらして
くれたと思っています。本当に本当に、素晴らしい会社に育ててもらいました。
今、改めて、ありがとう。これもまた、運命の出会いだったと思います。