鹿児島市の南方に谷山という、地区があります。ここに、びっくりする墓がありました。大阪城が落城した時、豊臣秀頼は島津氏を頼って、薩摩に落ちのびたと言われています。「秀頼の薩摩落ち」の伝説です。高さ3メートルのこの塔は、その秀頼の墓と伝えられていますが、下から何も出なかったそうです。初代、谷山氏の供養塔という説もあります。
しかし、表示を見たときはびっくりでしたし、そのあたりを通行する人も、私のとっている写真は何かを見て、また、びっくりしていました。あれー・・・。
しかし、表示を見たときはびっくりでしたし、そのあたりを通行する人も、私のとっている写真は何かを見て、また、びっくりしていました。あれー・・・。