篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

篤姫の年表①

2008-11-03 13:45:43 | Weblog
天保6年(1835年)

 12月 薩摩藩・今和泉島津家第10代忠剛の娘として誕生。
     「一子(かつこ)と呼ばれる。

嘉永6年(1853年)

  3月 島津斉彬の養女となる。
     名を「篤姫」と改める。
     幕府には、実子として届けられる。

  6月 篤姫、鶴丸城に入る。

  8月 篤姫、鹿児島を出立。

 10月 篤姫、江戸の芝藩邸に到着。

安政3年(1856年)

  7月 篤姫、近衛家の養女となる。
     名を「敬子(すみこ)」と改める。

 12月 第13代将軍・家定の御台所となる。

安政5年(1858年)

  7月 夫・家定、養父・斉彬が相次いで死去。

  8月 篤姫、落飾し天璋院と号す。

安政7年(1860年)

  3月 桜田門外の変(井伊大老暗殺)


篤姫の年表②

2008-11-03 13:44:30 | Weblog
慶応2年(1866年)

  1月 京都の小松邸で、坂本龍馬、小松帯刀の立会いのもと、西郷隆盛と木戸孝允との間で薩長同盟が締結。

慶応3年(1867年)

 10月 大政奉還

慶応4年(1868年)

  1月 戊辰戦争勃発
     天璋院、大総督参謀西郷隆盛へ嘆願書を提出

  4月 江戸城無血開城、これに伴い
     篤姫は一橋邸に移る。

明治13年(1880年)

  9月~10月 篤姫、箱根・熱海湯治旅行へ

明治16年(1883年)

 11月 篤姫死去(享年49歳)

篤姫もいよいよ最終章のようです

2008-11-03 13:29:34 | Weblog
坂本龍馬、小松帯刀、篤姫は同じ年だったのですね。とうとう坂本龍馬が死んでしまいました。しかし、坂本が明治維新後のメーバーの選出など、考えていた事にはびっくりしました。1967年10月に大政奉還を迎えました。小松帯刀はこの後、戊辰戦争後、版籍奉還で活躍し、3年後の1970年7月に病気で亡くなります。昨日のテレビから江戸城無血開城後の次の年です。小松帯刀という人物がいたことは知られていましたが、これほど、坂本とともに活躍していたとは、思ってもみませんでした。鹿児島大学・原口泉先生の時代考証の中に、真実が見えています。今回の篤姫の活躍のことも、恥ずかしながら、鹿児島のでもあまり有名ではなく、小松の働きにも、これほど知っていなかったのが、これまででした。今、鹿児島でも真実がわかり、西郷・大久保だけではなかった事がよくわかったといえます。これからの結末がどうなっていくのか?とても楽しみです。