今、鹿児島は新幹線の開通と共に次第に変化しています。中央駅前には、新しいビルが立ち並び新しい発展が起こっています。町の形も年々、変化しており、昔の商店街を活性化しようとする動きが鹿児島の各市町村で見られるようになりました。流通・交通の変化は私たち鹿児島でも、現在進行形といったところですが、皆さんの努力が活性化に通じていくものだと信じています。明治を支えた鹿児島ですから。
一方で、最近思うのですが、私たちの親や祖父母と一緒に暮らした子供の頃のことです。団子や山芋盗りに行ったり、くわがた採りに行ったときのことです。小さな喜びでしたが、今ではとてもとても嬉しいことでした。食べ物はあまりなくても、不自由だと感じなかった時でした。その親も年齢を重ねて、耳や目がだいぶ不自由になりました。それでも実家に帰ると喜んで、無理をしながらご馳走を出してくれます。家族というのはこんなものなのですね。
篤姫のいった言葉で忘れられないのは、「地位やお金に恵まれるよりも、大切なものは、周りのみんなと仲良く・普通の日々を過ごすことだといっていましたね」今、本当に良くわかる気がします。
私も病気で苦しいときがありましたが、また、元気になりました。人は様々な困難に苦しむことも多いですが、今・今日を生きているんだと実感できる生き方が大切に思われて仕方がありません。
鹿児島でも明治維新に関わった人たちの、記念碑・生誕地などいろいろと見かけます。ここ150年くらいの中で日本は大きくかわったのですが、150年に支えられている今を大切に生きたいものです。子供たちに、自分たちと同じ思いを残してあげたいと思っています。
一方で、最近思うのですが、私たちの親や祖父母と一緒に暮らした子供の頃のことです。団子や山芋盗りに行ったり、くわがた採りに行ったときのことです。小さな喜びでしたが、今ではとてもとても嬉しいことでした。食べ物はあまりなくても、不自由だと感じなかった時でした。その親も年齢を重ねて、耳や目がだいぶ不自由になりました。それでも実家に帰ると喜んで、無理をしながらご馳走を出してくれます。家族というのはこんなものなのですね。
篤姫のいった言葉で忘れられないのは、「地位やお金に恵まれるよりも、大切なものは、周りのみんなと仲良く・普通の日々を過ごすことだといっていましたね」今、本当に良くわかる気がします。
私も病気で苦しいときがありましたが、また、元気になりました。人は様々な困難に苦しむことも多いですが、今・今日を生きているんだと実感できる生き方が大切に思われて仕方がありません。
鹿児島でも明治維新に関わった人たちの、記念碑・生誕地などいろいろと見かけます。ここ150年くらいの中で日本は大きくかわったのですが、150年に支えられている今を大切に生きたいものです。子供たちに、自分たちと同じ思いを残してあげたいと思っています。