篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

海浜院を訪れて

2008-10-15 14:30:32 | Weblog
海浜院とは、明治38年(1905年)そのころの医師・中江佐八郎が結核の大家といわれた、加藤好照と共同で、ここ鴨池に設立したサナトリウム(結核治療院)のことです。結核は、結核菌の感染でおこる慢性伝染病で肺臓をはじめ、体内の内臓が侵され、そのころ国民病ともいわれ、多くの人々がこの病いに苦しみました。
加藤好照は、中江佐八郎の相談を受け、オゾンをたくさん含んだ海岸地帯に専門の安静所を建てようと努めました。海浜院は3年がかりで完成しましたが、その広さは、約33,000㎡(約1万坪)にも及び、鹿児島名物の一つになりました。また、そのパノラマ模型は、万国博覧会で、特別賞を受けたといわれています。大正12(1923年)、日本赤十字社がこの病院を引き継ぎましたが、現在は平川に移転しています。

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3 コメント

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曽祖父のこと (名無しで失礼します)
2009-02-06 11:09:12
中江佐八郎の曾孫に当たるものです。曽祖父のことは母によく聞かされました。島津の御殿のどこそこに井戸があり、海で遊んだ後はその井戸を使ったとか、「おしゅんかん」の作り方を島津公のご内儀から習った、貧しい者には無料で治療にあたった(島津家典医であり、禄もあったからでしょうが)など、一介の市井の身である私には遠い世界の出来事でしたが、結核の大家であったと聞き、自身に少し誇りをもてました。 ありがとうございました。
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篤姫と維新の志士たち (Unknown)
2009-02-06 21:21:06
中江佐八郎の曾孫に当たられる方からの、コメントを頂きまして、とても感激しております。鹿児島市の偉人を探して歩いておりましたときに、市内で見つけ、中江佐八郎という人はすごい人だったんだな、と解りびっくりしたのですが、鹿児島でこんなに尽力した人がいたのだ、と私も誇りに感じました。そして、ご子孫の方からのお便りに、また、びっくりしております。本当にありがとうございました。
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Unknown (Unknown)
2020-12-31 10:16:44
私は、中江佐八郎の孫です。患者さんが受診を希望され来院された時、看護師さんが「院長先生、患者さんがいらしてます。お金が無いのですが、診てもらえますか?と仰ってます」 祖父、「よかよか、お通しして」 そして、無料で診て差し上げました。祖父は、心も大きい人でした。後日、回復された患者さんは、収穫なさった新鮮な大根を持ってみえました。とても美味しかったです。格別な味として心に残っています。
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