篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

篤姫を見て、故郷も複雑な想いです。

2008-11-16 22:53:05 | Weblog
薩摩・長州が、徳川幕府との戊辰戦争が始まりました、鳥羽・伏見の戦いで勝利しており、このあと、両軍の激しい戦いが始まります。新撰組、土方歳三の亡くなる函館の戦いまで続いていきます。結局、新政府樹立の為、今、考えれば近代化の為には、やむおえない戦いだったことは解っています。ただ、この両軍の誰が悪かったわけでもなく、世界情勢の迫る勢いの中、日本が近代化へと進んでいく為、仕方がなかったことは確かです。小松の考えが通らず、もはや、大久保・西郷が中心と
なっていきます。もし、坂本と小松が参加していたら、また、違った展開もあったかも、しれません。小松は、病気で死が近づいていきます。逆の篤姫は徳川幕府の本来の中心人物となっています。こんなに、活躍した人だった事を、鹿児島の人も
どれだけ解っていた事でしょう。今回の番組で、篤姫という人が偉大だったことがわかりました。しかし、やはり、自分を犠牲にして、一生を過ごしていく人生には
何とも言えない気持ちです。徳川がこのような形で、明治へと引き継いでいった背景に篤姫の活躍があったことは、すごいと思います。鹿児島では、今、尚古集成館のある仙巌園では、毎年、恒例の菊祭りが行われています。すごい人と、車でにぎわっています。明治維新後は、島津忠義を中心に薩摩は近代化へと、あらゆる産業と人材育成へと進んでいきます。約120年くらい前には、明治維新という新しい時代がどのようになっていくのか、わからなかったことでしょう。ついこの前の出来事ですよね。まだ、120年から130年前なんて・・・・・。今年の盆に南州神社におまいりに来られている、お年寄りと話をしました。その方のおじいさんがお墓に眠っていると、言われていました。びっくりしたのと同時に、まだ、その時の子孫の人達が実際にたくさんおられ、当時なくなった人を、参拝されているということ、今の平和に、感謝しなくてはいけない、篤姫や小松に感謝しなくては!と考える事でした。今日の磯・集成館等を少し写真にしました。