今日は、鹿児島市坂元町にある福昌寺跡を訪れました。
福昌寺は1394年、島津家7代・元久が建てて代々、島津藩主の菩提寺となった寺です。寺の中には無数の墓が並び、その多さにはびっくりします。お由羅様の墓もありました。
28代藩主・島津斉彬の墓の前に立つとなぜか、鹿児島の藩主でありながら、日本や徳川の心配をしていた、その偉大さに敬服するばかりでした。130年くらい前の出来事で、つい少し前にこのような人が存在したのだということを実感し、同じ鹿児島に育ったことを誇りに感じました。薩摩77万石は徳川幕府が300年にわたって恐れた外様大名で、29代へと続いた歴史は徳川幕府以上でした。
そして、その、徳川家に嫁ぎ、徳川家のために活躍した篤姫も、また、鹿児島の誇りなのだと思います。
福昌寺は1394年、島津家7代・元久が建てて代々、島津藩主の菩提寺となった寺です。寺の中には無数の墓が並び、その多さにはびっくりします。お由羅様の墓もありました。
28代藩主・島津斉彬の墓の前に立つとなぜか、鹿児島の藩主でありながら、日本や徳川の心配をしていた、その偉大さに敬服するばかりでした。130年くらい前の出来事で、つい少し前にこのような人が存在したのだということを実感し、同じ鹿児島に育ったことを誇りに感じました。薩摩77万石は徳川幕府が300年にわたって恐れた外様大名で、29代へと続いた歴史は徳川幕府以上でした。
そして、その、徳川家に嫁ぎ、徳川家のために活躍した篤姫も、また、鹿児島の誇りなのだと思います。
シカゴに単身赴任で久しぶりの帰省でしたので、思い切って篤姫の故郷を訪ねる旅を計画しました。
鹿児島のメル友がご家族で歓迎していただき、2日間案内してくださいました。
幕末から維新に日本をリードした鹿児島の歴史を良く知ることができ、暖かい人情に触れて幸せでした。
お陰で素晴らしく充実した旅になりました。
ただ、ちょっとおせっかいですが、福昌寺跡のある場所は、坂元町ではなく、池之上町です。かつて福昌寺の前に池があり、それが埋め立てられてつくられた町、ということで池之上町です。ぜひ、またお越しください。