篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

日本で最初・薩摩の軍艦には日の丸が、そして、徳川家に献上しました

2008-11-27 21:45:03 | Weblog
----日本最初の軍艦は薩摩で誕生しました-----
びっくりです。日の丸が、薩摩の船からだったと聞いた事はありましたが、記念碑を見つけて本当にびっくりでした。
南北100m幅20m深さ3m掘り下げて東側から海水を入れる、という構造をもった造船所がこの場所(磯・集成館の前方・海水浴場手前)にあったのです。
幕末の英明藩主・島津斉彬は同じ島国のイギリスにならい、艦船を備え、海軍をつくり、薩摩を日本一の強い藩にしようと考えていました。イギリスやフランスの艦船が、毎年のように琉球にあらわれ通商を要求するようになったからでした。
1851年(嘉永4)斉彬は磯(集成館の目の前)に造船所を建設し、ここで、1854年(安政元)にマストの洋式帆船「伊呂波丸」を完成させました。また、桜島瀬戸村に新設された造船所では、大砲船として改造された「昇平丸」が進水しました。いずれも、日本最初の快挙で、昇平丸はマストに日の丸を翻し、江戸に回航将軍家定を初め、諸侯幕閣を驚かせました。幕府の求めに応じて献上され、この昇平丸(昌平丸)に乗り込んだのが勝海舟で、昨日の篤姫でも話にでてきたわけです。3年後に、斉彬は急死、意志をついだ忠義が外国船を大量に購入し、薩摩は洋式船の数で、日本一を誇りました。
この碑をみて、東郷平八郎が日本を背負う海軍を作り、ロシアのバルチック艦隊を破っていますが、近くの多賀山に祀られており、平八郎も15歳で薩英戦争や五稜郭での海戦に参加していましたね。また、大阪の商工に尽力した、五代友厚なども薩英戦争で敵の船に興味を示し、その後、大阪で活躍しましたね。薩摩の先立った斉彬の考えは西郷・大久保のみならず、多数の優秀な人間を育てたことが、また、よく解った気がします。