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カルトvsオタクのハルマゲドン/虚業BLOG

オタクと政治に関するBLOG

1999年8月1日から8月15日

2012年03月27日 01時05分25秒 | Weblog
8月15日(日)

幸いにして東京までの交通回復。休みもらい、コミケへ。
東京駅からバスで。有明会場に、うなるほどの人間。
AKさんのスペースへ。AKさんの風貌、キリストみたい。にしかた公一氏がAKさんのスペースにいたのでちょっと話する。マンボウの本貰う。成宮観音FC発行成宮観音フォトCDをにしかた氏にねだる.。自分は担当ではない、と断られる。
永山薫さんにお会いする。「ぷちみるく1」に載せたマンガを誉めていただく。同じマンガを以前AKさんから「キャラが全然立っていない」と評され、その批評はまったくそのとおりだと思っていたので、永山薫さんに悲しい顔でありがとうございます、と応える。日々の接客業の反動で、自分の愛想が悪くなっていることを自覚。最近どうしているかと永山さんに聞かれたので、「日銭を稼ぐために肉体労働を」と応える。「マンガ描きなさいよ」と悲しげに言われる。
AKさんの手伝い。はじめ売り子する。手早く処理し、人だかりを解消させてしまう。おっと、これではまずい。IKさんと「あまり手早く処理するとせっかくの呼びこみの効果を減ずる」と確認。自分も呼びこみ要員になる。AKさん、初めて見るほどの真剣さで呼びこみをしている。「あじまる」さんも上手に呼びこみをしている。呼びこみを試みる。口がうまく回らないことを自覚。自分が、正直者のマインドセットになっていて、商人のマインドセットになっていないことに気づかされる。午後には商人のマインドセットに成功。弁が回るようになる。新刊が売りきれた後も列が消えず、むしろ一時膨れ上がる。呼びこみの重要さを確認。AKさんに女性ファンがかなりついてきていることも確認。
終了。「あじまる」さんと虎の穴へ発送しに行く。「あじまる」さんは自分と生活環境がよく似ているので、他の人にしたことのない愚痴を「あじまる」さんに垂れる。虎の穴の女性店員さん、サークル名を書いた用紙渡したら「AKさんですか? 私、AKさんの本、ずっと発注依頼していたんですよ」と、目をキラキラされながら訊ねられる。残念ながら別人です、と女性店員さんに応える。AKさんのもとへ行き、その話をする。ああ、自分で行けば良かった、とAKさんが嘆くのを楽しむ。
AKさんIKさんは車。池袋で合流しよう、と約束し、「あじまる」さんと彼のサークルの人々の引率をする。よさこい野郎さんと池袋で合流しよう、と、電話する。ゆりかもめに乗る。途中下車し、ホテルまで荷物運ぶほうがたぶん早いだろうという話に。実践。余計に時間食ってしまいました。「あじまる」さん、荷物を車に積む、とのこと。AKさんたちを待たせると悪いから、と、「あじまる」さんから携帯電話の番号伺い、「あじまる」と別行動。「あじまる」さんのサークルの人3人を引率。池袋につく。AKさんと合流。30分以上待ったとのこと。「あじまる」さんに電話。通じない。とりあえず移動。焼肉屋の席が空いていないので、他の人には喫茶店で待機してもらう。合流場所に再度向かう。よさこい野郎さんの連れ発見。よさこい野郎さんは「あじまる」さんを迎えに行っているとのこと。合流。携帯電話の番号、誤って教えられていたこと判明。焼肉を皆で食べる。
部屋へ。メールチェック。掲示板いくつか覗く。眠る時間なくなる。電車に乗る。田舎へ。

8月第二週

朝5時起床の生活。夜、ノートに一人記す。自分が何も知らないことに謙虚になれ。無知の証明を。私はけっこういい歳なのに未だにわからないこと知らないことがこの世に多すぎる。
第二次大戦て、誰が、なぜ、はじめたのだ? 聞き飽きている情報は1945年8月15日に終わった、ということ。8月7日に広島に原爆が落ちたということ。だが、誰がどうしてはじめたのだ?
連想する。安保闘争って、何だったのか?
連想する。原発って、どういうものなのか? 聞き飽きた情報はストロンチウム90などの放射性物質は人体に有害だということ、わかっているのは原発事故が起きたら極力埃を室内に持ちこまないようにし、ヨウ素(ヨード)で嗽(うがい)をすること。
連想する。国家って、何のためにあるのか? 国家と国土の違い、共同体と国家機構。
連想。大学って、なんのための機関なのだ? 行く必然がわからないまま私は受験し卒業した。私は酷く情報が制約された中にいたのだが、それは何によって制約されていたのか。そもそも学問は何のためにあるのか?
連想。エヴァに感じ、オタクに敷衍でき、現代人に共通すること、皮膚感覚での現実感は存在するが肉体感覚での現実感が欠落していること。「なぜ」のない社会。
連想。金のためにマンガを描くのは、自分にとっては虚しすぎる。読むのを待つ他者がいてこそ描こうという動機づけが成立する。〆切、依頼のない原稿は完成しない。作品は外的制約によって筆を止められるのであって、決して「完成」するものではない。
連想。少ない判断材料で考えると、誤った結論にたやすく陥る。材料を選択した結果少ないのではなく、偶然目の前にあった材料のみでの判断、オルテガが「大衆の反逆」でいうとこの「大衆」の思考。
連想。マンガは虚業だ。
連想。人に伝える前に、自分を納得させる言葉というのが必要だ。
連想。ペドファイルを自分がテーマにしていたのは、世の平均の人々に比べ、ずっと多くのことを自分はそれについて知っている、確信持って語れる、他者に語れるものがあると思っていたから。描けるものと描きたいものは、いつも異なる。「描きたいもの」はいつまでも描けない。
連想。自分がどんな世界にいるかも知らず、生き方を決められるはずがない。そこには虚勢と自虐しかない。現実感の欠落。
人から貰った「季刊・人間と教育22号」(旬報社)読了。
接客。疲労が溜まるのに、声だけは軽快そうに喋ろうとしている自分を観察。言葉に次第に心を込めることができなくなる。この自己観察は皮膚感覚の現実であり肉体感覚の現実ではない。パースのない奥行きのないぺらっとした現実だ。と感じる。
ある企画。今、自分がそれをしたら、自分は詐欺師になる、と思う。それに見合う何事も自分はしていない。

8月8日、疲れが溜まり、そのため却って眠れない。睡眠時間2時間。自分の今後について悶々と考える。AKさんに電話。AKさん不在。AKさんのコミケの人員の手配、とりあえずする。

8月9日、盗聴法強行採決、国旗国歌法案可決。ああ、通っちまった。
「国旗国歌法案、国民投票にかけたかったね」と妹に言う。
「みんなそう思ってるよ」と妹。そうだったのか。通さないようにするため、自分にはまだもっとできたことがあったはずだ、と、責任を感じる。長崎原爆投下の日。

8月10日、話する相手がほしいと思う。行動が消極的になる。激しい無力感に責められる。みいちゃんと話したいと思う。その衝動が自分の一方的な、手前勝手なものだとつくづく思う。だがみいちゃんと話をしないままみいちゃんのことを考えているのはもっと精神に不健康だ、と、暗い目をギラギラさせながら思う。二、三日のうちに一日休みくれと頼む。

8月11日、話し相手がいない、心を分かち合える誰もいない。物思いに耽る時間は、体動かしながらだが、腐るほどある。本を読む時間はない。

8月12日、休みもらう。みいちゃんの家に行く。家の回りを車で二回回った後、玄関から「すみません」と訊ねてみる。鍵が空けてあり、布団を干している。居間を覗く。みいちゃんは不在なようだ。あるいはみいちゃんは自室にいるのかもしれない。だがみいちゃん以外のみいちゃんの家族に会うのが億劫なので、みいちゃんの家を出る。車に乗る。未練たらしくもう一度みいちゃんの家の廻りを一周する。みいちゃんの祖母の姿を見かける。自分の精神の荒廃。車でうろうろする。誰にも会わず、帰宅。
冬コミは出よう、と思う。そのためには夏コミで申込書を買わないと、と考える。買ってもらって、送ってもらうか。時間が足りない。余計な労力を人に強いることになる。なら自分が行くほうが良い。オタクな人々と話しないと、崩れそうだ。AKさんに電話。コミケのチケット下さい、とねだる。AKさんから、身辺に色々あって大変だった、という話伺う。新刊は出せなかった、だから人員はそれほど必要ではない、と聞く。手配した人にごめんなさいの電話する。

8月13日、働く。大雨。稼げず。盆が近づき、客の質が低下していく。トイレからはみ出ている人糞を清掃。こうして一生他人の人糞を処理し続けるのだという、非力な感覚。

8月14日、働く。もっと大雨。ちっとも稼げず。東京への交通が断ち切られる。叔父と夜、話する。母がちとアレだということ、親戚は皆思っていたのだ、ということ、初めて知る。でもまあ、思うよね。叔父は知性に優れていた人だったが、自身の肉体の貧弱という劣等感を克服するのに随分と時間を食ってしまったのだな、と、叔父の話聞いて思う。人生の効率が宜しくない、と思う。

8月第一週

接客業する。肉体労働する。
夏の初めはあまり疲れる客は来ない。計画性を持って行楽を楽しみに来た、旅慣れた客が多い。トイレもあまり汚れない。辛いのは話をする相手がどこにもいないことだけだ。

「郵便的不安たち」読了。「存在論的、郵便的」チャレンジ。

接客しながら本を読むのはどうにも無理だ。うちの仕事も多少合理的になり、ムダに疲れることは以前よりは少ないが。
接客業は延々目の前の出来事を処理することだけを求められる。考えることは不用ばかりか害悪だ。目の前の人間に不快を覚えさせないことに労力を費やすことがここでは賢明なのだ。自分がどう感じどう考えているかは無意味なことだ。だが、それでも、自分の考えたこと、感じたことを伝えられる相手がいないことは、苦痛だ。伝える相手を持たない思考は脳内で空回りする。こうすればいいはずだ、こういうことを調べる必要がある、それをするためには自分に欠けている情報や知識はこれとこれだ、それを調べるためには。延々誰とも話することなく考えが空回る。やがて思考は煮詰まり、腐敗し、糸を引き始める。
調べる、という現実的な行動を今自分はとることはできないのだ。目の前の雑用を処理することだけが自分に求められていることだ。思考には延々保留のみ与えられる。傷のついたレコードのように、思考は同じところに戻り、回転する。この思考に回答を与えない限り次の思考はできない。だが回答は今は与えられない。自分以外の誰とも意見交換しないのでその思考には、正しい形すら与えられない。形すらなさないまま不完全なまま放置される。思考の衝動は擦切れる。思考することはムダだ、という感覚のみ強くなる。思考しても自分には何も現実的には出来ないのだという無力感を覚える。思考は足場ないまま空転し煮詰まり脳内の澱として溜まっていく。
「やりたいこと」は「できない」のだという感覚。それは錯覚なのだが、この錯覚以上に説得力持って自分に接するものはどこにもない。
接客業は内面の感情を表に出さないのが礼儀だ。かくて感情は干からび、感動を覚えない人格を形成していく。憧れる対象をどこにも持たず。

ノートに記す。大学へ行くことは、アッパークラスへのパスポートを得ることだったらしい。そのことに自分が気づいたのは随分と後のことだ。そして私はアッパークラスやハイカルチャーに自分が触れることができる可能性の説得力を感じる機会がなかった。それらへの憧れを抱ける材料は生活のどこにもなかった。なぜマンガ家に憧れたのだろう。マンガだけがこの生活の中で唯一触れることのできるカルチャーだった、だから、と、ノートに記す。ここ以外の現実がある、ということの説得力の希薄さ。

労働を終え、テレビを観てると、速水由紀子さんが出演している。「この人とこの間会ったんだ」口にした途端、あまりに自分のいる「現実」からその言葉が遠すぎ、自分の発言の嘘臭さに、自身脱力する。とうとう自分が妄想分裂症になってしまったかのような感覚。誰も認めないこと現実ではないことを現実であるかのように思い込んでしまった人間に自分がなってしまったという感覚。だから一時期、私は狂気を憧れたのだ、と、回想する。身の回りにある現実とは別な現実があることを信じられる心の強靭さに憧れたのだ。実際の狂気は強靭さの証明ではなく脆弱さの証明だが。

8月6日。私と同じ小中学校の、一学年下、父の同級生の息子である男が交通事故で死亡。名前を聞いても、顔も思い出せない。

8月7日。旅行慣れしていない人間からの、電話の応対に疲れる。繰り返し同じことを確認しなくてはならない。「一泊二日」 という言葉。「二日」というところにウエイトを置いて旅行業者が使うのは、少しでも日数が多いかのように客に感じさせるための、お得な感じを与えるための、トリックだ。宿泊施設の側は「一泊」なのか「二泊」なのか、そこだけが確認ポイントだ。「一泊」なら自動的に翌朝の午前中までが客の滞在時間になる。旅慣れない人間は、電話予約の際、「一泊」にウエイトを置かず、「二日」にウエイトを置く。トラブルの元だ。客の側は「一泊二日」と言っているつもりで延々「二日」と念押しする。宿泊施設の側はそれを「二泊」なのだと受け取る。延々繰り返される同じトラブル。

8月1日(日)

「ホーホケキョとなりの山田くん」観る。期待していなかった。面白かった。
今まで、高畑アニメは、主人公が愚かな行為をし、結果不幸な目にあっていた。今回「しげ」は実に賢明な行動をする。それは一方でギャグとなる。「たかし」はかつて月光仮面を憧れていた。感情移入する。切ない。月光仮面になれないのを嘆くともなく悲しんでいる、非力な「たかし」は自分だ。「しゃあないやないか」というメッセージが、「たかし」の実に「しゃあない」状況で、ギャグとして語られる。このメッセージの奥行きは高畑の正直なところだとして私は受け取る。好感。共感。最後、アニメスタッフによる下手糞な「ケセラセラ」の合唱が響くところで、じん、としてしまった。「となりの山田くん」は面白い。

劇場の後ろの席にやかましいガキがいた。推定9歳。大声で一人ごと言うなガキ。痛いオタクになるぞお前。なぜわしがガキに説教せにゃならんのだ。

田舎へ。

1999年7月21日から31日

2012年03月27日 01時04分31秒 | Weblog
新しい日記から、古い日記へ、という順番で表示されています。


7月31日(土)

 田舎のお仕事、スタッフが余ったので急遽2日だけ休みもらう。電車に乗り、ゴトゴト揺られて、大宮へ。

 えだの幸男さんのオープンミーティングに参加。大宮ソニックシティの場所がわからず、しばらく迷う。
 本日のテーマは、来年四月から導入される「介護保険」について。以下は鎌やんによるメモ。鎌やんによる思い違いなどあると思うのでご注意を。

 介護保険とは? 保険は、掛け金を払い、いざというとき負担を少なくする。窓口での支払いは、本来の一割から二割。「介護保険」は、年寄りになり、サポートを必要とするとき、サービスを受けられるための保険制度。40歳以上は強制加入。市町村が運営主体となる。

 なぜ必要になったのか? 「福祉」は社会的弱者、気の毒な方々のためにある、という心情が一般にある。ある程度収入ある人、資産ある人は、福祉を受けない建前がある。自力でどうにかしてください、という考えがある。自力でどうにかしなければならない、という前提だと、老後のために幾ら貯めておけば良いのかわからない。国民の貯金が多すぎると、景気が悪くなる。
 保険は、福祉ではなく、権利である。自分を「気の毒な人」だと負い目を覚えることなく、権利行使として介護保険は使用してもらいたい。(福祉にしても、負い目を覚える必要はないのだが)

 「社会的入院」というものがある。寝たきりだが、病人ではない老人を介護する役割を、病院へ押しやる入院を言う。現実にこれは多い。これが、国民健康保険のパンクを招いている。寝たきり老人に必要なのは治療ではなく介護である。病院から出ていただき、老人ホームでの「介護」を受けるようにするほうが良い。
 寝たきり老人を家族だけで介護するというのは家族の負担が大きい。医療技術は年々向上している。寝たきりに近い状態からリハビリへ、一年も二年も家族がたとえば休職して介護する、というのは無理に近い。少子化の結果、子の数は、介護を要する親より少なくなる場合も今後増えてくる。一人っ子同士の夫婦に、寝たきりの親が計四人、下手をすればその更に父母が健在だという状況も、今後十分ありえる。そのうちの一人を介護する、なら、家庭ごとでも耐えられる。だがそれ以上介護を必要とする家族がいたとしたら、家族だけで負担するのは現実的ではない。その負担の結果家族の長生きを望まなくなるような社会にするべきではない。
 介護保険は、市町村単位で行われる。市町村ごとに、一時的に地域差がどうしても発生する。それはサービスの競争という側面から見て、良いことだ。保険料が安い地域ではサービスは少なくなる。安く効率的なサービスの準備が出来ていた地域ほど、良質かつ安価となる。病院を老人ホームの代用としてい続ければ(社会的入院)、介護保険料は倍額になる。介護保健施設に今回病院が含まれたのは、厚生省へ医師会が圧力をかけた結果だ。医師会にとっては老人病院(老人ホームの代用)が沢山あるほうが儲かるのだ。
 老人が、同じ病気になって、その後「寝たきり」になるかどうかは、地域差が大きい。この地域差は、介護保険料のコストに反映する。たとえば長野県はリハビリ施設が充実しているので「寝たきり」になる率が低い。

 「認定」の問題。どの程度介護を必要とするのか認定する判断の問題がある。公平な判断は出来るのか? 100%の公平は無理である。だが従来は、特別養護老人ホームに入れる基準は存在しなかった。今回基準が決められる。基準がないよりあるほうが公平に違いない。
 介護保険で適用できない部分は従来の福祉(税金)で補われる。従来福祉によってヘルパーが週3回来ていた老人のもとには、介護保険導入後たとえば週2回の介護が適切と判断されたなら、介護保険による2回プラス福祉による1回、となるはず。

 特別養護老人ホームに入っている人の多くは、それ程のサービスを必要とはしていない。多くのことは自分でできる。特別養護老人ホームを必要としている人は38万人いるがまだ30万人ぶんしかホームはない(これは介護保険料とは関係がない。税金が用いられる)。ホームの数自体も足りないが、ホームに入るほどではない、という人のための「高齢者住宅」が圧倒的に不足している。高齢者住宅は、高齢者が互いに手助けしながら楽しく生活する「グループホーム」のための施設だ。バリアフリー、風呂の手すりなどが必要となる。来年までにグループホームのための高齢者住宅は8万人分作られる。必要としている人は20万人いる。現在はまだ3000人分ほどしかない。既存の住宅を利用することも必要だ。だが今後は質がいっそう要求される。高齢者住宅は、それまで高齢者が生活していた地域(コミュニティ)と近いところでなくては意味がない。地域の支えあいと伴になくてはならない。ホームは小中学校の学区程度ごとにあるべきだ。

 道路や干拓といった従来型公共事業に金を使うより、2兆円ほど金を突っ込み、ホームヘルパーの養成を、国はするべきだ。雇用の拡大、新規産業の育成にもなる。本来ホームヘルパーは民間でするべきだが、ホームヘルパーを一旦公務員として抱えても良い。3年間だけ臨時雇い扱いとし、その後NPOとして独立させる。
 「保険料を下げる」という意見はナンセンスだ。保険料の足りない部分は税金によって賄(まかな)われることになるからだ。

 「年金」は、競争を必要としない。したがって、「年金」は、税金で良い。
 「介護」にはサービスの競争が必要だ。したがって、市町村単位で格差があって良い。地方分権とはそういうことだ。
 保険は介護サービスの財源となり、ホームの建設には税金が用いられる。
 「介護保険」の導入により老人ホームの数が足りないという現実がつき付けられる。老人ホームは、ある意味いつまでたっても「足りない」。数あるだけ入ろうとする人は増えるからだ。一律の基準を設け、ある線以上は全て入れる、ある線以下は別のシステムでサポートする、そうあるほうが良い。「認定」はそのためになされる。

 介護保険のことはひとまず以上として、地方自治体の破産制度について。地方自治体の破産制度は導入されるべきだ。今後の課題は破産したときのペナルティだ。たとえば自治権を剥奪し、国の直轄地にする、ということもありえる。だが、困るのは「自治権なんかいらない」と言い出しそうなことだ。これは今後の課題だ。また、ペナルティとしては、破産した地方自治体の議会・首長は3年くらい公職停止、地方官僚もあるところ以上は免職、という厳しい措置が必要だろう。地方自治体の「破産」は地方債の買い手がつかなくなったとき「破産」と判断すべきだろう。

 

 以上、メモでした。オープンミーティング後、「天下国家を語る会」には、はて、参加したのかどうか、覚えていない。

 

 部屋に戻る。曽さんがいる。もうじき香港に帰る、という話。「香港はガラスの街だ」と言われるそうだ。ガラスのように冷たい、という意味だ。けれど東京はもっとガラスだ、と、曽さんの感想。

7月29日(木)ー7月30日(金)

 徹夜状態で田舎へ。肉体労働と接客業開始。例年に比べ、客は礼儀正しく、お仕事のスタッフの数に余裕があり、それ程しんどくない。

7月28日(水)

 田舎に行くべく荷物整理など。眠らないまま「市民の会」に参加した感想文とか書く。死にそう。

7月27日(火)

 やっと描き上げる。なぜこんなにかかったのかなあ。シニカルな内容にしちゃったからかな。次回はラブコメにしようとこっそり決意。 
7月26日(月)

 ひたすら原稿する。人間の行動は6時間単位なのだという説に納得する。

 
7月25日(日)

 曽さん、仕事へ。

 「子供売り」一人でやっていては原稿終わりそうにないのでDIさんに手伝いを願う。快諾していただく。ありがたやありがたや。高畑勲に何を読み取るべきか、とか、黒沢明から何を学ぶべきか、とか、そんな話する。

 マンガ家に比べ、アシスタントはより安定しない社会身分だ。マンガ家が保障のない自由業であることはいい。だが(既に成功している)作家先生がアシスタントの確保に常に頭を悩ませているのは、これはおかしいのじゃないか、という話をする。大手出版社なりは、「社員として」アシスタント技能拾得者を雇用しているのが当然だ、現に香港のマンガの会社はそうしている、日本では、そこに発生する煩雑さや経費を、出版社が、個々の作家に押し付けることが慣例になっている。といった話する。
 アシスタント、という仕事は、概ね、古めかしい徒弟制そのままで、その従事者は、自らの仕事に誇りを抱きにくい仕組みとなっている。現在のマンガ業界はアシスタントなしには成立しないにも関わらず。
 アシスタントなしには成立しないということは、作家より多くの数の人間の人生を、アシスタントとして犠牲にすることで、マンガ産業は成立しているのだ、と言える。
 アシスタント志望者は、アシスタントをすること自体を志望しているのではなく、自身がマンガ家になることを目的としている。ここで雇用者(作家先生)と従業者(アシスタント)との間で、色々楽しくない綱引きが発生する。だが現実には「マンガを描きたい者」の全員が「マンガ家になりたい」者なわけではない。マンガ家は生活が保障されないから、もっと安定した仕事を、という者は、当然の選択として、多い。…アシスタントという仕事を社会的に保障すれば、マンガ業界は良い方向にだいぶ変わるはずだ。などと話す。
 短期的・現実的対策としては、人材派遣会社としてのアシスタント派遣会社はあってしかるべきだ。アシスタント技能を客観評価する基準を設け、資格検定化する。
 自分自身がマンガを描くこと、より、マンガという世界を用いて金を儲けたいことに喜びを覚えるかたは、ぜひ創設してほしい。
 といった話しを、DIさんとする。
「よくこんな状況で業界は続いてますよね」
「マンガ家同士は結局孤立しあっているから、勢力・圧力としてかたちにならないせいだろうね。マンガ描く人は一種の理想主義持っているし…『金のために』という言動を卑しいと感じるような…で、結局、企業に搾取されて行く」
「そういう話題こそ『コミッカーズ』とかでとりあげるべきじゃないですか? もう、マンガの描き方はいいから」
「オタクは現実的な話より、現実に対処できないほど瑣末な情報をむしろ好むんだよね。…こういうのは、気づいた人間がはじめるしか結局ないのだと思う」
「鎌やんさん、自分のHPを、そういうことのページに変えちゃったらどうですか?」
ふむなるほど。

7月24日(土)

 「子供売り」に集中しようとする。
 休憩時に東浩紀氏の「郵便的不安たち」(朝日新聞社)ぱらぱらめくる。問題意識の方向性に強く共感する。面白い。

 G社とMAさんから、アシやらないかという誘いいただく。が、今回は無理なので知人を紹介。知人からスケジュール的に困難、先週は空けてあったのだが、という電話。うまくいかない。

 ASさんから電話。慰めてください、と頼まれる。ASさんがいかに天才であるかを力説する。天才は「うまい」ことより、むしろ「強い」ことのほうが大事だ、もっとワイルドに、破天荒に、と、洗脳を試みる。ジャック・ハンマーが誰よりも強靭な肉体をしているのは、誰よりも女々しい魂を抱えているからだ、というネタを提供。

7月23日(金)

 ペドフィリアとは? ということに頭が占められ、色々考える。
 軽蔑すべき秘密主義に自分が毒されていることに気づく。つまらない隠し事から自由になるべく、HY さんに電話。良い方向に転がりますように。

7月22日(木)

 HYさんとお話させていただく。HYさんは相手を緊張させない空気を作る技術を会得されていて、とても話しやすい。なるほど、これが「まったり」か。などと後で思う。自分の人生がなかったからマンガに憧れを持ち、自分の人生を作ることを優先させているんだ、という話とかする。

7月21日(水)

 IGさんから電話。キーワード「反省文」。囚われているものを照らしあう。

1999年7月1日から7月20日

2012年03月27日 01時02分51秒 | Weblog
7月20日(火)

 ASさんから電話。傍観者としての視点と当事者としての感覚。同じ作品を描き直しすることの意義、あるか否か。クリアできてないことを疎かにしたまま先へ進んで良いのか。「青いもの」への回答、という回答。カミングアウトすることの震えるほどの恥ずかしさ。告白しなければ今の状態のままでいられるだろうけれど、という停滞が現状であるという認識。そこからの脱却。4部構成の着想。
 SUさんへ電話。SUさんは気にされていないそうだが、謝罪。当事者としての責任を放棄しようとしたことは反省しなくてはならない。新情報教わる。あることに対し情けなくなる。
 AHさんに電話。同じことの謝罪。児童ポルノ法がマンガ全体を含めたサブカルチャーに対して与える影響、他国との違い。勇気づけられる。ありがとうございます。
 HYさんから電話。ありがたやありがたや。

7月19日(月)

 下絵がどうにか。
 ロフトに行く。カナダでは『10歳の子供がレイプされて』という文の書いてある本を持っていると、単純所持で捕まる、だっけ? 記憶が怪しい。コピーライトではなくコピーレフトという概念。メジャーな作品は公共物である、という判例のあるフランスの例。理論の共有。自分たちのしていることを「外へ」説明することの、説明責任。
 打ち上げでしくじる。
 竹熊健太郎氏とお話。八幡書房創設者について。反体制活動からオカルトへ、というライン。
 打ち上げ後、Nを交え反省材料を数えようとする。認識のズレ。Nと話してる間に身体がわなわなと震える。大丈夫か? と訊かれる。
「たぶん無意識下で怒りを覚えているんだ。意識の上には上っていないから大丈夫だ」と言う。

7月18日(日)

 記憶にない。仕事進めてなかったように思う。

7月17日(土)

 記憶にない。たぶん何もしてなかったと思う。

7月16日(金)

 DIさん、早朝に来る。今週から私が行く、という話になっていたG社のアシを継続してしているとのこと。

 寝て、起きる。電話代支払い。メールチェック。消耗。…早く忘れよう。

7月15日(木)

 つまらないことで消耗する。面白いことでは疲労はしても消耗はしない。SUさんと電話で話して、少し回復。

 メモ。行動しないことを観念で埋めようとすると、非健康的になりやすい。およそ頭の回転が早い「だけ」の人間ほど、非生産的で無益な生き物はいない。「行動できない」ことを「できないんじゃなくて、しないんだ」と、論理のすり替えを自分にする。「行動しないということは、自分が誰よりもよくわかっていることの証明だ」。だが、行動「できない」不安感無力感は彼を離さず、彼はその不安感無力感を埋めようとまた観念に耽溺する。
 意識的に頭の回転を「遅く」する訓練ができている人間とできていない人間ではどえらい差がある。
 処世としての「バカのふり」には色々あるけど、自身が軽蔑を覚えるタイプのバカのふりをすることは不幸だ、と思う。「俺はこういうことしてんだけど、本当はわかってるんだよ」と仮面としての「軽蔑されるようなバカ」を自身の内面/実存から当人が切り離した気になったとしても、「軽蔑されるようなバカ」なのは彼自身なのだ。
 敏感であることと賢明であることは同義ではない。

 メモ。ボランティアは無償であるがゆえに、官僚的になりやすい。これだけ無償でやって「あげて」いるんだから、俺に感謝しろ、という考え違いが発生する。悪しき官僚主義だ。組織は原則オープンでなくては未来を自分の手で摘み取ることになる。組織に守秘義務は当然発生するが、外に対し秘密主義を肯定するようなら最低だ。右手のしていることを左手が知らない状態のなかで、左手として行動するのは、正常な人間ならうんざりする。

 寝て、起きると、また電話が止まってる。

 メモ。自分自身へ宛てた手紙を。
7月14日(水)

 メモ。 「曖昧」と「矛盾」と「両義的」の区別。この三つは混同されやすい。
 物事の多くは「両義的」だ。ものには表面と裏面がある。同じ問題が、対照的な二つの表れをすることはよくあるし、同じ人間が同時にそれを抱えることも多い。他者を嫌悪するのは自己嫌悪の裏面だし、何事かにこだわらずにいられないとき、なにかに振り回されているとき、それは一見「矛盾」しているような極端な二つの姿を外に表す。
 ある人物の行動が「矛盾」していると評される際、その「矛盾」は、同一の原因によって発生している。その同一の原因から行動を眺めなおすと、「矛盾」は「矛盾」でなく、一貫したものが見える。 
 自身に対し、この、一貫した、同一の原因を見極める努力を怠ることを、「曖昧」と呼ぶ。「曖昧」は行動の「矛盾」に対し無自覚であることを容認する。結果、当人は「矛盾」を増大させ、「両義的」であるものの一方、自身の裏面をとことん見失い、馬鹿げた行動を繰り返し、止められなくなる。自身を振り回すなにものかの奴隷となる。
 「矛盾」を恐れるな、と、私は君に言いたい。「矛盾」していない人間はいない。自身の「矛盾」に目を凝らせ。たまたま間違いを冒さなかったことと「正しい」ことは全くの別物だ。間違いをしでかすかもしれないことを恐れるな。そしてそのリスクは支払え。間違わない人間はいない。自分の誤りを受け入れる強さのない人間、自身の「矛盾」に無自覚な人間が絶望的に多いというだけのことだ。
 「矛盾」しろ、「曖昧」に安住しようとするな、つきつめろ、それに囚われずに生きろ。
 と、これは、『小さな玩具』の巻末鼎談のとき、言いたかったけどうまく言えなかったことです。今更ながら、言及しておきます。

 

 体調。キョーレオピン、ユンケルEC飲んでないので、肝機能が弱ってることに気づく。薬買う。薬って高いなあ。

 天気。太陽が見えたので布団干す。干している間に雨が降る。とり込むと太陽が見える。干す。とり込むと霧雨が降っていたり。大雨注意報が出てたそうな。

 曽さん帰宅。今後二ヶ月いかに有効に使うかについて意見交換。曽さんの次のマンガについて意見交換。「運」「努力」「才能」「風水」「作品世界内のルール」「ヒーローの描き方」とか。曽さんとマンガの話したので、だいぶ気分転換になる。 
7月13日(火)

 原稿する。ASさんから電話。マンガ家が最も戦うべきは「孤独」で、インターネットに溺れてると戦いに負けるという話、忠告される。
 マンガは目的か手段かという話する。ASさんには目的、私にとっては手段、とかいう話になる。
 「目的になりませんか」と、ASさん。
 「いやあ、『承認』得るためにやってるわけだからなあ」
 DIさんとASさんとの間で会話がなりたたなくなっている、という話聞かされる。ああ、DIさんも同じこと言っていた。傍で二人の会話聞いていると、通じているようで互いに全然通じてない。なぜそうなるのか、ということについていくつか分析試みる。
 少ない論拠をもとに論理を暴走させる傾向は、私の知りあいにはわりと多い。マンガを描くということはそういうことだから、なのかもしれない。そのため、互いの言葉が通じなくなりやすい。
 友情を大切にするには、相手がどういう制約下にあるかを理解しあう必要がある、という話する。相手がどういう制約のもと、どういう限定で語っているのかを取り違えると、会話は通じなくなって当然だ。
 けど、同年代同士の付き合いは、ひょっとしたら互いに思いやる必要はあまりないのかもしれない。という話する。うっかり共依存関係になって、互いに凭れたままずぶずぶと低きに流れてしまったら最低だからだ。
7月12日(月) スター・ウォーズ(ネタバレの恐れあり。注意)

 「スターウォーズ・エピソード1」、DIさんと観る。DIさんと感想の交換。
「面白いでしょう」と、DIさん。
「うん、面白い。…キャラ造形が書割的、というのはたしかにあるけど、観たこともない映像の中に、見たこともない複雑な内面を持ったキャラが出てきたりしたら、きっと、観ててなんだか訳判らない代物になる。
 これは画面をひたすら楽しむ映画だからこれでいいんと思う。
 ただ、欲を言いたくなる気持ちはわかる。あと、ほんの少し、の踏み込みが足りない、と、感じるところが何ヶ所かあった。
 ジェダイの騎士は、アナキンの母親ごと救うことをもっと懸命に努力し、努力したんだけど力及ばなかった、という風にしてほしかった。
 アナキンはジェダイの騎士を助けることを申し出るが、その行為にアナキンの側のメリットがない。これは、たとえば、アナキンがジェダイの騎士に対し取引を申し出る、みたいな形にしたほうが、たぶん良かった。アナキンの賢さ、したたかさが、それで浮き彫りになるはずだ。…そうすれば、なぜアナキンが「ジェダイの騎士になるにしては年齢を食いすぎた」のか、という説得力がもっと出たはずだ。社会経験があった上で騎士になるほうが良いに決まってるじゃないか、と、映画を観ながら、私は思っていた。
 …でも、やっぱ、ルーカスは凄いね。子供のころ想像したものを忘れずに、全部映像化しようとしてるもんね。会議する惑星の映像なんて、恥ずかしい50年代SFのころの未来像まんまだけど、それを映像化している。
 …俺的には、女王の星の政治体制が興味深かった。民主国家名乗っていて、女王持っていて、女王は国民の選挙で選ばれてるでしょ。…きっとあの星では、都合の良いときには民主主義国家、都合の良いときには君主国家なんだ。たぶん王家の血筋は決まっていて、即位のとき儀礼的に信任投票するんだろうなあ。…あの女王はたぶん例外的に有能で政治に関心のあった君主で、先代先先代あたりはダメな君主だったんじゃないかな。官僚の力強いみたいだし」
 そのあとスターウォーズ的なものを自分達がどうとり入れることができるか話する。たぶんDIさんが目いっぱいスターウォーズやって、結果出てくるものはナウシカだったりするんだろう、とか言う。ナウシカ目指すとポンポコになったり。
「アメリカは、まじめにスターウォーズみたいなバカな映画作れるところが強みなんでしょうね。日本だと、真面目な話は深刻になっちゃって、バカな話はいーかげんでデタラメな映画になっちゃう。良い所でのバランスがとれない。
 もし日本で、たとえばスーパーマン作ったら、きっと『スーパーマンなんて実はいなかったのかもしれない』とかいう話になっちゃうんでしょうね。そーゆーのはもういいねん。こーゆーのは『ごく一部』の人がやっていればいいんだけれど、日本にはこの『ごく一部』しか良い作家がいないんだ」
とかいう話をDIさんがする。
「刑事さんは癒されるでしょうか」というマンガのネタを思いつく。DIさん、描いてくれ、君そういうの得意でしょ、とねだる。
7月11日(日)

 同じページの下絵を描いちゃ消し描いちゃ消し。
7月10日(土)-7月7日(水)

 「子供売り」下絵不調。
 ISさんに長電話。
 曽さん、仕事へ。
 ASさんから一緒に作業しようという誘い。断る。
 図書館で絶滅哺乳類の本見てるうち、「ネアンデルタールの歌」という着想得る。ノートする。
 マンボウの会議に行く。そんなん行ける状況ではないのだけど。作業する。空しい。
 DIさん「オースティン・パワーズ」借りてくる。見る。メチャメチャバカ映画で大笑い。「俺、こういうの大好き」とDIさんに言う。
 DIさんと、なんで原稿描く意欲が萎えるのか話し合う。 
7月6日(火)-7月5日(月)

 田舎へ。健康診断する。肉体労働する。重いもの持ったので、右手の筋がつっぱる。雁を数えると35羽。帰路、肉体疲労のため、頭痛する。目玉がじんじんすることに気づく。実家にいる間はこの頭痛に無自覚だった。そうか、田舎で生活するためにはこういうのに無自覚でいないとダメなのか、と、思う。肉体労働に比べると、漫画描きというのはいい仕事だと思う。
 部屋に着くと、ちょうど曽さんが帰ってきたところ。曽さんのビデオ録画予約、盗聴法集会のニュース録画のとき解除したまんまだったことに気づく。ぎゃ。曽さんごめん。
7月4日(日)ー7月2日(金)

 「子供売り」下絵する。不調。UJさんから仕事もらう。JR大宮駅のゴミ袋のイラスト。資料受け取り、食事一緒する。一日で描きあげる。
 G社から電話。アシ探してるとのこと。自分が名乗りあげるが、今週必要とのことで数人に声かける。DIさんの都合がわりといいらしいとわかり、伝える。
7月1日(木)

 「子供売りの季節」ネーム出来。ファクスする。2箇所変更。

1999年6月11日から30日 マシウスの夜郎自大日記

2012年03月27日 01時00分16秒 | Weblog
新しい日記から、古い日記へ、という順番で表示されています。

6月30日(水)

 「子供売り」ネームする。
6月29日(火)

 「守る会」に顔出す。   
6月28日(月)

 某団体からクレームが来る。対処。
6月27日(日)

 無為に過ごしたような気がする。 
6月26日(土)

 実家から大荷物持ったまま直で大宮へ。

 えだの幸男さんのオープンミーティング参加。議題は「盗聴法と犯罪捜査について」。以下、そのときのメモ。えだのさんの話を鎌やんが解釈したものなので、たぶん誤解もあると思います。以下、えだのさんの発言そのままではないです。

 まず、「盗聴法の必要性と犯罪捜査の不充分性」から。

 今の政治の課題を大きく三つあげると、1;規制緩和 2;環境重視 3;経済自由化 これらはいずれもせめぎあう課題だ。日本には、法はあってもそれを守らせる手段が従来なかった。ルールは、最低限のもの、それによって生活に支障の発生しないものでなくてはならない。日本では逆に、法的根拠のない、省庁からの「指導」(口出し)で管理がされてきた。

 環境問題を考えてみる。
 環境問題が発生するのは、基準が甘いからなのか? それよりも、ルールを作っても守っていないことが問題なのだ。産業廃棄物の野焼きがダイオキシンを発生させている。産廃の野焼きは、昔から違法なのだ。だが野焼きは行われている。違法な野焼きについての検査は行われているのか? …たとえば埼玉県全体で、野焼きの検査をする人員は、3人しかいない。検査日は事前に産廃業者に伝わっている。検査日にさえ野焼きの事実を隠せば、それで産廃業者はペナルティを支払わなくて済む…このようにして、ルールは守られず、ダイオキシンが発生していく。

 守ることのできない法律、というものはある。たとえば労働基準法は日本で最も守られていない法律の一つだ。厳密に労働基準法を日本人全員が守れば、日本の産業は崩壊する。これでは意味がない。労働者の権利を守ることは大事だが、これでは労働者の権利主張そのものがナンセンスになる。労働基準法があるから、「サービス残業」しなくてはならなくなり、正式な残業としての届出がなされないから、給与がつかない…本末が転倒している。

 環境問題でも、労働基準法でも、法(ルール)はあっても、それを守らせる仕組みがないのだ。このため、一方では、法律を決めはするが罰則を作らず、行政指導で管理をする、という(好ましくない)慣例が行われてきた。また一方このことは、モラルハザード(倫理観の崩壊)を招いた。ルールを違反し摘発された者はあくまで「運の悪かった者」であり、反省を生まない。摘発された者は、単なるスケープゴート、アリバイ作りとしてしか見なされない。

 モラルハザードとしては、経済の分野でそれが表れた。銀行、公認会計士が商法のルールを守っていない。住専のとき、隠さず、しっかりと手をつけていれば、今使っている金(数十兆円)の一割(数兆円)の出費で済んだ。
 従来、日本の経済は、決算がいいかげんだった。日本というムラ社会の中で、馴れ合いの商取引をしていた間はそれでもよかったが、経済の国境がなくなった現状にそれは対応していない。

 個人の選択の幅は、増やすことが望ましい。そのためにルールは最低限で、そのかわり、それを守らなかった者には、しっかりとペナルティを払ってもらうようでなくてはならない。

 誰がチェックするのか、という問題が発生する。全てを警察に任せきるのは、望ましいことではない。チェック機関のない権力は、暴走したとき、止められない。誰が警察をチェックするのか。…現在の日本の警察及び検察は、比較的良心的で熱心で有能だ。だが、組織の中には、「変な人」も発生する。その「変な人」がしでかす不始末、不祥事を、外界から、組織は守ろうとする。嘘は嘘を呼ぶ。チェックされない権力は、かくて腐敗していく。
 警察的権限・権力は、分散させるべきだ。それぞれの機関をチェックする機関が必要だ。
 たとえば税務署のマルサは税務調査について警察に近い権限を持っている。金融監督庁は現時点で、マルサほどではないが捜査権限を持っている。環境庁は環境Gメンを作るべきだし、薬害などを調査する医薬食品Gメンも規模は小さくていいから、存在するべきだ。航空機事故調査委員会は、ここが捜査した上で警察へ事件を渡している。このような機関が互いにチェックしあうべきだ。

 犯罪の捜査において、ごく限定的に、盗聴という手段はありうる。判例で認められたケースとして、麻薬取引の例がある。携帯電話を用いて取引が行われている、電話番号はわかっている、だが誰がその電話の持ち主なのかわからない…このとき、過去判例で盗聴が認められた。このような場合、盗聴は捜査手段として正当だ。

 他の捜査…たとえば家宅捜査と、「盗聴」の決定的違いは、盗聴は、本人及び本人周辺が、捜査されたことに永遠に気づかないところにある。不当な捜査をされたとき、異議申立てをする機会がどこにもないのだ。
 現盗聴法は、捜査令状がなくては盗聴できないから、それが歯止めになっている、という与党の説明がある。だが、捜査令状は形式的にさえ整っていれば、却下されるものではない。(またそうでなくては困る。捜査は迅速さを必要とするのだから) 確実にクロのところを盗聴するのは、令状が若干とりにくいだけで、今のままでも先の例のように可能だ。シロかクロか判らないものを聴くために「盗聴法」は作られる。シロの盗聴の濫用を、チェックする手段が、盗聴法にはない。ここに暴走の危険がある。

 …別な角度の話になるが、たとえば外国にある日本大使館は当然のこととして盗聴されていることを警戒するべきだし、政治家も盗聴が行われていることを警戒するべきだ。ある意味、日本では逆にこういう意識が緩すぎる。だが、当然ながらこれは公の行為ではない。大使館は盗聴されていることを前提として警戒するべきであっても、実際に日本大使館から盗聴器が発見されたら、これは国際的大問題となる。当然のこととして警戒することと、それが合法であることは同一ではない。スパイ活動・諜報活動としての盗聴は、はじめから違法性が高い。違法行為としてのスパイ諜報活動は当然のこととして今もある。が、それはあくまで非合法活動、闇の世界の話であるべきだ。公然と認められることではない。盗聴が発覚した際、リスクを支払わなくてはならない。

 盗聴法は何故こんなに急に決まったか? 盗聴法や住民基本台帳法は、国民生活に重大な影響を与える法であるので、審議は慎重にされていた。委員会の審議以前の取り決めが行われていた。一年以上、委員会での審議は(外面的に)止まっていた。
 法務委員会は、たとえば予算委員会などに比べると、紳士的で、穏やかな人員で構成されている。そこに、法律の内容を判っていない自民党の国会対策委員長から、法務委員に「この法案とこの法案とこの法案を早いとこ決めてしまえ」と要請がきた。「それができないようなら党内のポストはないものと思え」という要請だ。
 …法律の内容を判っていない自民党国会対策委員長が、同様に内容を判っていない公明党国会対策委員長に(これとこれとこれの法案を決めてしまおう、と)申請し、それが法務委員に要請された。自民党・自由党・公明党の法務委員は、それまでの委員同士の取り決めを一切反古にし、強行に決めてしまった。
 俗に、民主主義は多数決だ、と言われる。仮に、全て多数決だけで決めてしまうならば、話し合いは全て不要だ。与党は過半数を得ているのだから、多数決の採択だけで決めるならば、予算審議は一日もかからない。それを期日を延長したり臨時国会を開いたりしているのは、話し合い、意見交換し合う、それを暗黙のルールとして尊重しあっているからだ。盗聴法案でも、どのように話し合うかの委員会内での取り決めがあった。だが、自自公はそれを反古にした。そこが最も問題とされるべき点だ。

 住民基本台帳法はどうか。

 現在、年金番号制というのがある。年金は、一生同じ会社のサラリーマンをしているのなら問題はないが、職を変えると、年金の形も変わる。年金は生涯に渡って支払い、その支払いによって老後受け取る額の差となるので、この番号は、国民一人一人個人毎に10桁の通し番号で統一され管理されている。
 この延長として、えだのさんは納税番号制には推進の立場だ。もちろんプライバシーの保護など考えなくてはならないことはこの納税番号制にも多い。この納税番号を管理するコンピュータは決して他の回線に繋がないなど、この情報は他に漏れないためのあらゆる措置をされるべきだ。この情報が漏洩したら、収入の情報に関してその人は裸同然になるからだ。

 住民基本台帳には、その個人に関するあらゆる情報がそこに記載される。個人の病歴、戸籍…問題などがここに発生する。この情報は、電子情報となるので、盗まれても判らない。住民基本台帳の番号が盗まれたら、個人に関する全ての情報が盗まれることになるのだ。

 この住民基本台帳法が急がれたのには、自治省の利権問題がある。住民基本台帳を管理する団体を、自治省の天下り先として作るため、総背番号制は進められている。自治省としては、大蔵省が納税者番号を作る前に、と、急いでいる。

 民主党についての話。

 民主党は、自民党とどこが違うか、というアピールを、今、えだのさんはまとめている。…国民と公権力の、どちらをより信頼するか、が、相違点だろう、と、えだのさんは考えている。民主主義とは、国民が権力をいかに管理するかだ、と。

 そのあと、参加者からいくつか意見と質問。

 質問;後藤田正晴が、派閥も持たないのに自民党内で発言力を持っていたのは、警察の情報でもって力を誇示することができたからではないか? 盗聴法によって、警察が議員をコントロールしやすくなってしまうのではないか?

 えだの;日本の問題の一つは、行政のルール違反に対して処罰が甘いことだ。公務員による確信犯的犯罪は、むしろ、初犯実刑主義にするべきではないか? 日本の権力は単線化しやすい。これは問題だ。警察自体の違法行為をチェックする機関を設けて複線化したほうがいい。市民による公的チェック機関、そこまでいかずとも、チェック機関の中に、数人市民をいれるだけでずいぶん違う。

 質問:盗聴法や住民基本台帳法に関心持たない人々に、その危険をどうアピールすればいいだろうか?

 えだの;たとえば、自分がビデオ屋からどのビデオを借りた、といったことを他人に知られて気分がいいだろうか? それを気持ちいいことだと感じるか、それは望ましくないと感じるか、そういうところから訊ねてみたらどうだろう。 

 …オープンミーティング後、「天下国家を語る会」にはじめて出席。マンガはそれ自体は性的だろうが残酷だろうがそのことをもって規制されるべきではない、という話を女性出席者の方に説く。マンガの規制の歴史では、「悪書」「性的」を理由に規制されようとしたのは手塚治虫、「残酷」を理由に規制されようとしたのは白土三平だ、と、持論を述べる。エロマンガが、警戒されるべきだとしたら、感性の鈍化を伴うモラルハザードが警戒されるべきだ、と講釈をたれる。
6月25日(金)-6月24日(木)

 忘れ物を昨日した。国会に電話し、OKさんが持っているらしいこと伺う。OKさんから受け取り、田舎に。自分の小市民的欲望と父母の社会安定欲求の接点での行動をする。不発。
6月23日(水)

 盗聴法案反対集会。ガキの使いくらいちゃんとしろとNを罵る。つぼ八で打ち上げ。なぜサークルが落ちたのか米沢さんから聞く。ダミーサークルだと思われたようだ。ダミーサークルなんて出しませんですう。集会にニュース23の取材来る。DIさんの電話番号しか思い出せなかったので、DIさんにビデオの録画をASさんにしてくれるよう電話する。べろべろに酔っ払う。DIさんが部屋にいる。ビデオ録画に失敗する。だからASさんに頼んでくれと言ったのに。
6月22日(火) 

 盗聴法案反対集会の宣伝告知をメールとかでしまくる。
6月21日(月)

 議員会館にビラ播き。昼に行く。Nいつものごとく遅刻してくる。
 宮台掲示板など見て手伝いに来てくださった方2名との、計4名でビラ播き。OKさんに会う。打ち合わせなどし、別れる。KY印刷へ行くNについていく。わりと長居する。ロフトへ行く。顔見知りの方は知的な発言で聞いてて快感だったが、あとはお話にならない、と、感じる。HTさんに会う。ビールおごっていただき、帰宅。
6月20日(日)

 DIさん来る。若干話する。部屋の古本まとめる。
6月19日(土)

 ASさんとこから帰ると、曽さん、香港へ帰った後。「殺し屋イチ」1巻から4巻まで読む。
6月18日(金)

 東京へ帰還。ASさんから電話。ASさんとこへ絵の勉強しに行く。
6月17日(木)

 まとめて寝る。無為に過ごす。妹からの信頼一段となくなっている。コンテ一本作成。
6月16日(水)

 古本発送。母の社会貢献欲求に付き合う。肉体労働する。
6月15日(火)

 実家の古本まとめる。肉体労働する。父の愚痴を聴く。やっぱり眠れない。
6月14日(月)

 実家へ帰る。シナリオ一本作成。実家にいると落ち着かない。眠れない。
6月13日(日)

 無為に過ごしたような気がする。
6月12日(土)

 Y誌編集さんに電話する。
6月11日(金)

 曽さんの持ちこみに付き合う。 

1999年6月1日から6月10日 マシウスの夜郎自大日記

2012年03月27日 00時58分23秒 | Weblog
6月10日(木)

 疲れて寝てたような気がする。 
6月9日(水)6月8日(火)

 アシ行ってたような気がする。 
6月7日(月)

 無為に過ごしたような気がする。 
6月6日(日)

 風邪に負けて寝る。「子供売りの季節」若干する。「ステキな女王様」デザインしてみる。気が弱くなってるので愚痴こぼそうと何人かに電話するがいずれも不在。 
6月5日(土)

 風邪に負けて寝る。
6月4日(金)

 風邪でぐちゃぐちゃな状態。SUさんからお電話いただく。主観と客観のずれについて指摘いただく。
 ASさんから電話。顔見に行く。その前に、と思って自分のサークルをコミケHPで検索してみる。落選してた。がく。交通費無駄に濫用する。ASさんにネーム見てもらう。導入部及び構成について指摘いただく。
6月3日(木)

 風邪ひく。原稿依頼いただく。「子供売りの季節」をそれにあてようと思う。
6月2日(水)

 アシから帰る。
 帰路、SG社の編集さんと一緒する。大学の同級生がエロ漫画家していて単行本出しているという情報、大学の先輩に関する話、友人の漫画家さんの話題などする。「ステキな女王様」というオヤジ向けエロ雑誌用の着想を得る。

 心を入れ替えて、コネは使ってみようと決意。ささやかに実行。うまくいきますように。
6月1日(火)

 アシに行く。
 電車待ってる間、手持ち無沙汰なのでキオスクを覗く。
 週刊ポストに「問題提起・大新聞が報じなかった『児童買春禁止法』攻防の一部始終/国会の『性器・性交論争』衆参10時間は快挙か?」の見出しが。購入。週刊ポストらしい下品な見出しだ。けど、今更とはいえ、マスコミが児童ポルノ法案を取り上げてくださったことは喜ばしい。審議の内容が4ページにわたって記述されている。わりと正確で、客観的な書きかただと思う。…思えば自分が週刊ポストを買うのは「魔法使いサリン」の報道以来。ちと複雑な感慨。…週刊ポストでは次号でも児童ポルノ法案の審議を掲載するそうな。

 アシ先で、刺激受ける。

 作業しながら、物思いに耽る。結局のところ、心を打ち明けられる、誰か一人を、自分は求めているのだ。その「一人」がいないから、漫画という手段を必要としたんだ。そろそろ、実家での生活の愚痴について漫画で描くべき時期なんだ。それを誰かに言わなくては気が狂いそうだった、それが自身の動機だったのだ。今年が、もう、最後のチャンスだ、と、実感する。

 他にできることがあるかも知れない、などと考えるから、自分はダメなのだ。

1999年5月21日から5月31日

2012年03月27日 00時57分44秒 | Weblog
新しい日記から、古い日記へ、という順番で表示されています。

5月31日(月)

 夜、Mさん、Hさんと会い、今後について話し合う。
「政治活動は究極の自己満足だ」という結論に至る。
5月30日(日)

 悪女の深情け、という言葉は、もともと、醜女(しこめ)のほうが情がこまやかである、という意味だったそうな。後年、ろくでもないストーカー女に言い寄られること、という意味に誤用されるようになったそうな。えーと、ここまで、間違ってないかな?
 で、ねえ、自分のことを、よく、この後者のごとく感じちゃうんですね。ああ、オレってストーカーみたいなもんだなあ、主観的には愛情だの理念だの持って一所懸命なんだけど、客観的にはそれに見合う何物を持っているわけでなし、迷惑かけるだけで、…という。

 

 えだの幸男さんのオープンミーティング参加。
 本日は、「えだの幸男の目指す日本…自由な発想で」という議題。どういう手順で、全体としてどういう日本にしたいのか、というテーマ。以下、メモ。えだのさんの発言そのままではない。

 まず、盗聴法について、軽く触れた。盗聴法に関連してここ数日えだのさんがマスコミに出てた。
 盗聴は、誘拐捜査の逆探知とは違う。逆探知は当事者の一方が合意している。合意していない相手の情報を盗み聞き等するのが、盗聴である。
 盗聴法推進者は、覚醒剤取引、銃器密売、蛇頭(中国マフィア。密航などを手がける)、オウムなどへの対策として、盗聴法が必要なのだと言う。
 限定的には盗聴は、ありだ、と、えだのさんは言う。社会の中では、個々の人権は常に100パーセント守られるものではなく、ある程度の抑制は不可避だ。盗聴法の問題点は、歯止めがないことだ。歯止めとは異議申立ての機会だ。ふつう、犯罪捜査では…たとえば家宅捜索でも、最低限、捜査された被疑者当人は、どういう人権侵害があったか、不当な行為をなされたか、わかる。そのことの異議申立てができる。盗聴法は、異議申立てができない。ここに権力濫用の恐れがある。
 盗聴をするさい、公正を期すため、第三者による立会いが必要だ。現法案では、捜査官が(ヘッドホンを用いて)盗聴している内容を立会人は聴くことができない。立会人は現法案では、ただ立っているだけだ。これでは立会人の意味がない。(弁護士会は立会人として協力する旨を言っている。これはもちろん被疑者の弁護人ではなく、中立な立場としての法の専門家としてだ)
 盗聴したことの通知を、30日以内に当人に送る、と、現法案ではなっている。問題なのは、起訴された被疑者のみに通知する、ということだ。盗聴捜査の過程で、犯罪と関係なく盗聴された人々へは通知しないのだ。これは逆であるべきだ。犯罪と関係ないのに盗聴された人へこそ、通知するべきだ。そうであればこそ人々は異議申立てもでき、警察の濫用を抑止できる。
 現法の枠の中でも、盗聴が許可された判例はある。その意味盗聴法はいらない。それをこういうかたちで、歯止めのないかたちで立法化を急ぐのは望ましいことではない。
 法案というものは、委員会での審議の前に、どのくらい時間をかけて審議するか、取り決めをしている。盗聴法は国民生活に重大な影響を与える法案だということで、当初自民党は議員一人あたり4時間、計120時間の議論を約束していた。公明党が賛成に回ったので、一人1時間の審議になった。「40時間も審議した」とテレビで自民党議員は言うが、その実は、約束を反古にしたのだ。これは手続きの上でもっとも重大な約束違反、ルール違反を自民党はした。
 盗聴法によるダメージをまず最も受けるのはマスコミだ。盗聴を警戒し、タレコミがなされなくなる。

 さて、本来の議題。「どういう日本にしたいのか」という理想論の話。
 えだの幸男さんが望む社会は、多用な選択肢が保証された社会だ。金太郎飴社会からの脱却だ。現在の社会は、事実上、大手会社のサラリーマン以外の生き方をする選択肢は、なかなか厳しい。生き方によって社会的便宜のはかられ方が違う。
 国がやらなくてはならないのは、「選択の自由」のためのバックアップだ。たとえば、ハンディキャップを持っている人々は、生き方・生活の仕方の選択の幅が少ない。車椅子の方なら階段のある場所は移動できない。階段よりはスロープを、駅にはエレベーターを、このようなかたちで生活のうえでの選択の自由を、機会平等をバックアップするのが、国がやらなくてはならないことだ。選択の自由を妨害するするものを、排し、変える。選択的夫婦別姓などはその一つだ。婚姻後も婚姻前の姓を名乗っても、誰に迷惑をかけるわけではない。他者に迷惑をかけない限り何をしようとかまわない「自由」の、一つの例だ。

 現在の日本は、中央集権国家だ。これを変えたい、とえだのさんは言う。地域ごとに特色のあった社会であってほしい。国としての仕事は、安心を与えるためのルールの整備とバックアップだ。それ以外のことは地域に任せたほうがいい。具体的には、国がするべき仕事は、年金、医療、福祉、介護、及びその財源の確保だ。年金の財源確保は、壮年労働力が都会に集中するライフスタイルに現在なっている以上、地域ごとにというのは無理がある。したがって、国家がそれをなし、平等に再配分するすることが望ましい。
 年金の財源としては、消費税をそれに当てるべきだ。消費税は景気の影響を受けにくい。目的税は、その目的以外では使わず、その財源はそれ以外からは取らない、というものでなければ、本来目的税とは言えない。年金の財源は消費税のみでまかない、消費税は年金以外では用いない、というかたちにする、負担と給付の関係が明らかになる。
 日本の現在の医療費は高すぎる。介護制度に問題がある。普通の家庭で寝たきり老人の介護は無理だ。よって寝たきり老人は入院させることになりがちだ。この医療費は老人保険でまかなわれるている。寝たきりの老人は医療が必要なわけではない。介護施設が足りなすぎるのだ。老人ホームが近くにない。そのため本人にも家族にも抵抗感が強い。日本の老人ホームは身近なところにないので、老人にとっても不幸だ。老人ホームは街中に、たとえば小学校中学校の近くといったところにあることが望ましい。失業者対策にも、老人ホームを建てること、授業料を無料にしてでも介護福祉士を育成することが大切だ。

 特殊学校がコミュニティから現在隔離されているのは問題だ。特殊学級を隔離することは、多様である現実を隠蔽し、多様である社会への人々の適応力を妨げる。多様な社会が良い社会なのだという価値観を身につけることが大切だ。車椅子で生活しにくい段差は、誰でも老後足腰が弱くなったとき不便を覚える。体が弱くなった後でも快適に過ごせる社会が望ましい。
 日本の街作りの基本はゾーニングだ。これには利点もある。工場や歓楽街が学校のすぐ近くにあるのは望ましくない。欠点もある。団地を作り、そこへ一斉に同じような年齢、同じような収入の人々が住むことになる。ほぼ一斉に子供が生まれ、小学校が団地の中に作られ、一斉に老人化し、一斉に学校に子供はいなくなる。など、生活が画一化する。…行政はインフラ(生活基盤整備)のみして、 大規模開発は避けるのが望ましい。

 地方分権の基本単位は、市町村よりも小さな単位、小中学校の学区単位が望ましい。地域コミュニティが学校を運営することが望ましい。現在の学校の問題点は、外部からのチェックが入らないことだ。良心的で熱心な教員は懸命にするだろうが、ダメな教員はどんどんダメになっていく。チェックされないことにより、学校という密室空間のなかで、子供に対し権力が濫用されることになる。

 外交と安全保障について。現在の日本に外交は存在しない。日本は今、アメリカの植民地である。問われることは、アメリカの属国のままでいいのか、アメリカ依存のままでいいのか、ということだ。
 日本の安全保障はアメリカに依存している。外国の軍隊に依存するというのは望ましいことではない。アメリカはアメリカの都合で日本に軍を置いているのであり、アメリカの都合にとって悪ければ、軍を動かしはしない。日本は諸国の信用を得るべく動かなくてはならない。過去への認識という問題が横たわっている。対韓関係では現大統領は日本に好意的なので今が関係改善の好機だ。対台湾関係も、今のうちなら関係を良くできる。これらについて、自立外交をするべきだ。中国へも南京事変の共同調査を粘り強く申し入れるべきだ。日本の国民感情的に受け入れにくいことが発生するかもしれないが、過去を清算させ受け入れることが自立外交の第一歩となる。
 戦後の日本の外務省は特殊なものになりすぎた。戦前は外国へ行くことそのものが特殊なことだった。今は違う。外国へ、その問題ごとに、他の省庁が直接行けばいい。もはや外務省という(自閉した)省庁は必要ない。

 日本の大きな問題は、ルールはあっても守らせる仕組みがないことだ。だが戦前のような警察国家になることは避けなくてはならない。そのためには複数のチェック機関が必要だ。刑事については検察と警察のように。税務調査の権限はもっと教化してもいい。このようにチェック機関は複数あるほうがいい。
 労働基準法があっても、今、労働基準法を厳密に守らせたら、日本はパニックになる。これでは意味がない。ルールを作った以上はちゃんと守らせる、ルールをすべて守っても問題が発生しないルールにする、これが大切だ。

 以上、メモ。

 

 オープンミーティングのあと、知人に会う。某イベントへ。自分という存在のみっともなさに、泣いて帰る。 
5月29日(土)

 下絵。不調。夕刻から体の調子が悪化。変なもの食べたかな。

 ブロードキャスター見てたら盗聴法と児童ポルノ法とりあげてた。フィリピンで米軍の演習に反対してアメリカ大使館を民衆が襲撃した、というの観て、ふと思い出したので、児童買春の話。
 フィリピンが児童買春のメッカになっていた理由の一つは、米軍の駐留にありまして。米軍兵士で、子供の性を求める者のために、米兵を顧客とする歓楽街、パッポンストリートが、児童売春を用意し、世界の小児性愛者が、そこに買いに行った、という背景がありまして。 タイも米兵の慰安先でした。ちなみに買いに行く者の国籍は、アメリカ、ドイツ、日本が多いそうですね。
5月28日(金)

 激しいヒガミで目を覚ます。やっかんでいるのは自分だ、と、気づく。
 下絵描く。不調。山羊の資料とマントの資料求めて図書館へ。マントの資料見つからず。YYさん、Dさんと夕食一緒する。二人はゲーセンに。スト3を観戦してるうち睡魔来たので帰って寝る。
5月27日(木) 突風

 ベッドをディグさんに貸す。ネームする。眠くなる。毛布に包まって寝る。突風で朝8時ころ部屋が揺れる。起きる。ネーム一応終了。ディグさんに批評してもらう。二箇所修正。
 曽さん二時間寝る。大手町の外国人居留サービスへ行く。2階の相談所で話した後、3階へ。色々話し伺う。今日応対してくださったかたは気さくで親切なかただった。九段下で曽さんと別れる。あ、S社は九段下でなくて神保町じゃん、と気づく。列車乗り換えて戻るが姿見えず。ごめん曽さん。
 ベヤに電話して場所伺う。原稿渡す。Bマニアックスに、ついでに立ち寄る。電車に乗る。電車運行停止していたので一駅歩く。今日は出歩くには適さない日だったらしい。
 曽さん帰宅。電車止まってえらい時間無駄に使ってしまった、とのこと。S社担当には会えなかった、とのこと。
5月26日(水)

 ネームする。ディグさん来る。曽さんのネーム批評してもらう。
5月25日(火)

 プレスの原稿、ペン入れ。プレスより連絡。ネーム削る。ネーム貼り込み。
 曽さんの原稿、訳す。こーしたほうがいいんじゃないか、あーしたほうがいいんじゃないか、と打ち合わせる。
5月24日(月)

 文化放送「本気でドンドン」で盗聴法についてしてたので聴く。仮に、松本サリン事件のときに盗聴法があったとしても、盗聴はオウムに対してではなく、第一通報者のかたに対してなされただろう、という話。
5月23日(日)

 サンデーモーニングで「盗聴法」話題に。えだのさんが出てる。画面見てるとこに、ASさんから電話。盗聴法の概略とか知ったかぶる。マンガの話になる。「来月中に描きあげなきゃオレはダメだということだ」と言ってみる。「今月中って言ってませんでしたっけ?」「あ、なんだ、オリャアもう、ダメだったのか(笑)。さっさと荷物まとめて田舎に帰らないと。やあ、長いことお世話になりました(笑)。たまには思い出してね」。ネーム続きする。YYさんと夕食一緒する。
5月22日(土)

 宣伝した手前、行かないとなあ、と、考え、オンエア・イーストへ。金銭的余力ないんだけど。

 盗聴法は「組織的犯罪対策法案」の一つだ。盗聴法、団体取締法(団体として、団体のために行った量刑を、1.5倍重くする)、刑事訴訟法改造(弁護側の反対尋問の制限、裁判で証人が匿名で出てくることを認める…「でっちあげ法」とも呼ばれる)の三つからなる。
 辛淑玉(シン・スゴ)氏「何を『敵』として考えているかということですよね。警察は、オウムのような新しい『敵』に対応できないんですよね。あいかわらず、共産党、市民運動、在日外国人を『敵』として捉え、そっちのほうばかり目が向いている。今は『公』というのは『民』が作る時代になったにも関わらず、あいかわらず『官が公であり、民が私である』と考えているんですよ」
 佐高信氏「オウムの事件も、警察はオウムの捜査をしないで、(被害者である)坂本堤さんが共産党員であることばかりに注目していた。オウムのほうを見ないで、共産党のほうばかり警察の目が向いていたんだ。その結果サリンが撒かれた」
 4月30日に、風営法が改正になった。インターネットのプロバイダ規制がすでに盛り込まれている。技術的には、Eメールの盗聴は簡単だ。風営法の改正は、警察の中で日影の部署である保安部に許認可権を与えるためになされた。
 国会議員として、中村敦夫、福島瑞穂、えだの幸男、保坂展人が参加。
 中村敦夫氏の説では、盗聴法(組織犯罪対策法)はガイドライン法案の一環である。外国人の入国管理法が、海外からの悪評に関わらず強化される。そして、日の丸・君が代の急遽の法制化話。これら総合すると、嫌な想像が浮かぶ、と言う。軍隊が外に出るには、国旗を掲示する必要があるから、の、法制化なのではないか。「来年あたり、大きなことがあるんじゃないのか、と思う」(アメリカから非公式に軍事的要請がすでにあり、それにあわせ法制化が急がれている、という推測は成り立ちそうだ)
 福島瑞穂氏は、盗聴法は「内面の取り締まり」をする法だ、と、非難する。(児童ポルノ法もそうだったが、被害=犯罪が発生するまでは、公官は動かさない、というのも「法」というものの重要な役割だ) 盗聴法は、国民全てを虞犯者、犯罪者予備軍として見なしている。
 えだの幸男さんの話。盗聴法が成立すると、たとえば内々で政治の冗談を言う、ということができなくなる。文脈を断ち切られ、騒乱罪の「証拠」として用いられる恐れがある、と指摘。盗聴法は、警察が手抜きをしたがっているのだ。このような立法がなされずとも、重大な犯罪に関しては、既に5件、それ以外に捜査の手段がないことを裁判所が認めた例はある。それをルール化するのなら、それはあっていい。だが、今回のようなかたちで立法化するのは、警察の手抜きでしかない。盗聴法は、人民性悪説に立って、全ての国民を、潜在的犯罪者と見なすことを意味する。では、その国民を管理する警察をも、性悪説に立って管理する、という関係が、ある意味筋だ。しかしそれは不幸な関係なのではないか。
5月21日(金)

 ネーム作業。コピー機を使わないのは合理的でない、と気づいて、コピる。

1999年5月13日から5月20日

2012年03月27日 00時56分43秒 | Weblog
5月20日(木)

 無為に過ごす。
5月19日(水)

 『「彼女たち」の連合赤軍』読了。オウム、宮崎勤などの「矮小さ」を正確に見据えるべきことの意義に共感する。
5月18日(火)

 眠りそこね、ネーム作業。

 昼12時、議事堂着。入り口は二ヶ所ある。修学旅行で議事堂見学に来ている、ジャガイモみたいな女子中学生や、小学生の集団を観察。ガイドライン法案に反対しているのか、全労連その他アピールされている集団などで議事堂周辺はお祭りのような賑わい。空いているほうの入り口で傍聴手続きする。約束の時間になっても知人誰も来ない。衛視さんに案内され、会議場へ。私同様、一人で傍聴にいらしたかたがいたので話しかける。マンボウMLを見て来た、性の権利フォーラム参加者のかただと知り、自己紹介しあう。衛視さんから「ここに座りなさい」と指示され着席。ストップ子ども買春の会のかたの姿お見受けする。
 午後1時、議事が始まる。最初の議事が「児童買春・児童ポルノ禁止法案」。経過が説明され、満場一致で可決。午後1時5分。あ。もう、今日来た目的終わってしまった。そのあと、おそらく混んでいるほうの入り口からと思われる傍聴人、わらわらと着席。児童ポルノ法案に関心あって来たかただったら申し訳ないなあ。1時半、性の権利フォーラム参加者のかたといっしょに、退出。食堂でお話しさせてもらう。

 一旦帰宅。ネームする。『「彼女たち」の連合赤軍』(文芸春秋刊・大塚英志著)読む。私は大塚英志氏の視点と書く文章が好きだ。
 睡眠不足で眠くて死にそうになりながら、マンボウの会議に出席。
 「児童買春・児童ポルノ禁止法案を考える市民の会」解散。
5月17日(月)

 羞恥心いっぱいで目が覚める。ここ数日の自分の言動を自分で許せなかった。のだと思う。近頃の自分は品が悪い。対人の発言がろくでもない。自分の原稿に精進してない。原稿してないと大切なものを失う。ここが自我の拠り所。てゆーか力の弱さが恥ずかしい。十分道化だが、ずるずるとペテン師になろうとしている。恥ずかしい。自分の人生を自分で把握している感覚の衰弱。
 久しぶりに接骨院へ行く。肩と腰が固まりきっている。
 台所に猩々蠅発生。対処。曽さん、ゴミ分別してちょ、と、ここに愚痴る。
 明日の傍聴に関する電話連絡で時間が潰れる。眠り損ねる。ベタベタしていないと維持できない人間関係は信用できない、それは共依存関係だからだ、とか、フルタイムの活動家と同じことなんてできません、とか、パートタイムな政治参加ができうるシステムが絶対に必要なんだ、とか、絶望することは現実を直視するために大事ないいことだ、とか、楽観的なのは行動に積極性が生まれるからいいことだ、とか、のけ者にされることに怯えるようなうじゃけた精神はええ歳なんだからええかげんどうにかしろとか、ぶーたれたりぶーたれられたりする。
 何ごとも、手間か、頭か、カネか、この3つのうちどれか使わないと。カネはないので前二つを。
 日記書いているんでかろうじて毎日なにがあったか自分で思い出せるが、そうでなければ3日前のこともろくに思い出せないと気づく。

 そうそう。掲示板で、「衆議院に電話すれば」と書きましたが、アップした時間遅かったので、衆議院、電話に出ないかもですが。永田町駅からでも電話はできます。私にこの情報くれたヒトは掲示板にアップすると「変な人が来て、元も子もなくなるかもしれない、やめてくれ」と私に釘刺してくださいました。そういう考え方は嫌いだ。内々だけで処理しようという考え方が嫌いだ。機会平等を許そうとしない考えが嫌いだ。ということでアップしました。情報は提示しました。本会議は4時までの予定です。首都圏在住の人間でなきゃ来れないし、そんな昼間から動ける人間なんて、そうとう限られてきますよね。そこでもって機会平等は制限されているのですが。動ける人間というのは、ある意味、特権持っているわけですね。特権持っているヒトは、特権を上手に使うのがよろしいかと。使わなくてもいいです。動員かけたい、といった気持ちは、私にもありません。実際経験するのと、しないのとでは、感じ方に差があるのが当然ですので、自分とあまり経験に落差のない話し相手を、結局自分は求めているんでしょうね。
5月16日(日)

 レヴォ。「のらイヌ」でお留守番。「ぷっちーず」へ、永山薫さんと、ふくしま政美先生いらして下さったらしい。会えず。がくっ。伊藤剛さん、にゃんこMICさん、吉田単車さん、その他、あと面識のなかった後輩さんがたが挨拶に来てくださる。旧交数件回復。売り上げはコミティア並。力弱さに泣いて帰る。足立真一さんに焼き肉おごっていただく。IKさん、YTさん、DIさん、AJさんとカラオケに行く。AJさんのうまさにびっくり。売り上げのほとんどをアイリス人形&さくら人形に浪費する。
5月15日(土)

 無為に過ごす。雨が降っても大丈夫なようにレヴォの荷物準備する。
5月14日(金) 児童ポルノ法案可決

 午前1時頃起床。曽さんの漫画のネームを日本語に直す。

 午前8時半、衆議院第二議員会館へ。9時半集合予定だったので、ちと早すぎた。9時半になる。誰も来ない。どういうこっちゃ。と、思ってたらぽつぽつ待ち人来る。しかしながら議員さんとの連絡係が来ない。
 遅刻して、議事堂へ。国会法務委員会を傍聴する。学校の教室程度の広さ。児童ポルノ法案の審議。エクパット東京などいらしていた。遅刻したので笹川たかし議員の質疑は聴きのがす。
 以下、メモ。詳しく正確なモノは国会議事録など参照されてください。

 法案14条に、啓発・教育の条項がある。性風俗の問題ではなく、子どもの人権の保証のための法律であることの、質疑と確認。
 清水澄子議員「この法案は、子どものNOと言える権利を擁護します」 堂本暁子議員「性的自己決定権を擁護します」 円よりこ議員「性的搾取とは、大人が子どもをモノとして利用することを言います」
 単純所持の問題。他国では単純所持にも厳罰を処しているところもある。児童ポルノそのものが、子どもへの人権侵害ではないのか、という質問。
 大森礼子議員「それは個人の内面に踏み込むものなので、単純所持は今回は外します。将来的に、児童ポルノが違法な(人権侵害な)ものである、という意識の浸透がなされることが重要です」
 CGによる疑似ポルノをどう考えるのか、この法律で規制できるのか、という質問に対し、「素材として(生身の子どもを用いた)ポルノがなければ、この法律は適用されない」
 民主党からの質問。今回の法案に、「健全育成」という意図はなく、あくまで「児童の人権」のための法律であることの確認。その上で、少年法第3条第3項、「虞(ぐ)犯少年」として、「被害者である子ども」に法的不利益が発生する恐れがないか、という質問。
 大森礼子議員から「(少年法がある以上)虞犯少年扱いされる可能性はあり得る」(審議中、インターネットを通じて、これに対し市民団体から異見が寄せられる)
 質問。刑法175条猥褻文書頒布罪との関係はどうなるのか。猥褻にあたるが児童ポルノにあたらないもの、またその逆はどうか、という質問。
 大森礼子議員から「児童ポルノ法案には1号ポルノ、2号ポルノ、3号ポルノがあるが、とくに1号ポルノはそれ自体(猥褻の概念でも)違法性が高い。刑法の猥褻文書に当たらないモノも含みうる」
 質問。芸術と猥褻の関係。判例として、芸術であっても猥褻であり得るが、児童ポルノはどうか。回答。芸術であっても児童ポルノであり得る。猥褻罪は頒布・販売が処罰範囲だが、児童ポルノ罪はその他に貸与など処罰範囲は広い。猥褻罪より児童ポルノの罪は重い。
 児童買春罪は親告罪ではない。13歳以上18歳未満の子どもへの(対償を供与した)姦淫罪は従来取り締まりにくかった。従来の強姦罪、強制猥褻罪は親告罪だった。今回の法案を、親告罪とすべきか否かには議論が重ねられたが、児童買春・児童ポルノ罪は、加害者の報復を恐れる児童の保護を目的とし、非親告罪とした。
  質問。援助交際と児童買春は同じかどうか。
 円よりこ議員「児童との(金銭を対償とする)セックスは、児童虐待です。大人は、そういう行為をするべきではない。大人の側こそ範を示すべきだ、というのが、この法案の主旨です」

 私はこの後の記憶がない。法務委員会は室温が高く、私は風邪っぽく、居眠りする。食事の休憩を挟んで、7時間半ほどの質疑応答の末、満場一致で可決。

 議事堂から出て、仲間内で意見交換。
「わりとよく練り込まれた良い法律なんじゃない?」
「お前の内面の自由が今まさに制限されたんだ(笑)」
「『子どもを性的な存在として見なすような風潮を助長しないため』、という目的は、いいんじゃない?」
「まずいんじゃない?」
「わしらなにやってるんじゃろーなー、なに守ってるんだろーなー、***(海外で児童買春したエロマンガ家)の自由を守ろうとしてんのかなー」
「なに言ってるんだ。人権を守ってるんじゃないか」
「検閲や表現規制に繋がる恐れがあっても、マスコミの食いつきがこれだけ悪いのは、海外への児童買春にしろ、国内の児童虐待にしろ、直視するのがしんどいことがらだ、ということなのかな。幼稚な人格は、自己像について、美しい嘘を好み、シビアな現実の自己像を嫌うからな。外国の子どもを性搾取する、世界の最弱者に対して性的な『いじめ』を輸出している、そんなみっともない日本人という自己像には耐えられないんちゃうんか」
「この法案のことで力になってくださった議員さん、この法案に絡んだことで、逆風吹きまくったらしいよ。・・・『児童ポルノ法案のような地味な法案にも尽力し』とチラシにあってね」
「地味な法案だったのか」
「わしらの支持基盤なんてないんちゃうんか思うんよ。尽力していただいても、票に繋がるわけでなし、むしろ敵作るばかりだし。理念を貫くことで政界で今まで築いていた信用を削りかねないというのに尽力していただいて、申し訳ない限り。政治家だって人気商売なのに」
「そんな状況で、ここまで修正要求通せたのは、わしら誇っていいんでないか」

 内々で、「政治は金持ちの道楽だ」という愚痴をたれる。個人個人が政治運動するのに耐えられるための社会整備が、全く日本ではなされていないので、政治運動することに耐えられる職業はおのずと限定され、政治の世界は偏った人々ばかりになる。自民党に象徴される体制維持型の政策という、環境の制約した結果だ。わしらも人員構成としてそうとう偏ってる。
 児童ポルノ法案の審議中、「被害」という言葉、肉体的被害(性搾取など)とプライバシー侵害とごっちゃに使用されていたことに危惧。
「プライバシー概念が、日本では弱すぎるんだ。公官庁の情報公開と、個人情報暴露の区別もろくにつけないからな。パブリック概念の未熟と表裏だ。パブリックを『組の衆』『おらが村』だと誤解している。『余所の組』『他の村』とのつきあいがパブリックなのに。今回の法案もプライバシー保護立法みたいなのとセットでなければ、ほんとはおかしいんだ。人権の見地に立った、内面の自由の保証、個人に関連する情報、たとえば(性的でない)写真における被写体の権利、そういうものは、たとえば今回の法案とはきっちりと分けて法整備されなくちゃおかしい」
5月13日(木)

 朝までアシ作業。先生の仕事終わらない。もっといてくれと言うのを振り切って帰宅。
 曽さん、今週は休みが長かったらしく、自分の漫画描いている。ファックスと留守電確認。明日、国会に傍聴行く件、打ち合わせる。午後3時頃寝る。宮台真司さん・松沢呉一さんによるロフトプラスワントークライブ行こう思って夜7時起きる。睡眠不足と疲労蓄積で、頭がガンガンして目が回ってくらんくらんするので、ロフト行くの諦めて寝直す。

1999年5月1日から5月12日 

2012年03月27日 00時54分39秒 | Weblog
5月9日(日)から5月12日(水)

 泊まり込みでアシに出稼ぎ。
 自分は立体を捉えて絵を描いていないこと、構造を把握して描こうという姿勢がないこと、絵の品が悪いことを自覚する。今後は少しでも品の良い絵を描くよう心がけよう。

 アニメ版「TO HEART」観る。スタッフの愛情のこもった良いアニメですね。

 昔のアシ先でのトラウマに悩まされる。今はもう、そことは何の関係もないのだから、当時のセンセイがたの偏見を意識することは莫迦莫迦しいことだと思い至る。そんなものを意識するから絵が下品になるんだ。私はヒトの言うことを過剰にまともに受け止める悪い癖がある。「憧れの漫画家生活」という着想を得る。

 自分のことではヒトにものを頼みたくないくせに、ヒトのことになると急にヒトにお願いしはじめる悪い癖があることにも気づく。
 やっかむ人間に対しては、やっかまれないように振る舞うのは、決定的に誤りだと気づく。やっかむ人間は徹底してやっかませるべきなのだ。
 などという話をしながら、互いに気を遣いながら、和やかにアシ作業する。勉強になりました。 
5月8日(土)

 ネーム1本作成。

 えだのさんの国会通信によると、地方分権と行政改革について、政府から法案が出たそうな。問題点だらけなそうな。
 1;地方分権法案;国が関与する期間委任事務を名前を変えるだけ、国が補助金によって地方自治体を支配する仕組みはそのまま
 2:行政改革法案;合併して表向きの数を減らすだけ、「独立行政法人」という新しい特殊法人を作り、巨大公共事業官庁を作りかえって利権政治が強くなる恐れが強い。
 望ましい地方分権と行政改革は、以下のようでなくてはならない。国の権限と財源を法律で限定し、それ以外の権限は全て地方へ。行政は原則、地方の判断で実施。国は外交・安全保障・年金などのみを扱い、その仕事について中央省庁を再編する。

 「地方分権」論、というのは、ちっとも国民に浸透していないけど、これはうまく使えば(自民党にとっては「まずく」すれば)実質的な無血革命が起きるので、まあ、だから自民党はごまかしごまかしやろうとしてるんでしょうけど。ちょっと思うとこありますので、書いておきます。
 「道州制」という案がありまして、「地方分権」の主流の考えなんですが、日本をいくつかの小国家に分け直し、日本国を一種の連邦国家にしよう、というアイデアです。なぜ「道州制」と言うのかというと、この小国家をどう呼称しようか、と考えて、「道」と呼称するのが妥当ではないかというあたりから来ているようなんですが(違うかも知れない)、北海道、九州道、四国道、中国道、奥州道、東海道、と、このような感じになるんですね。
 私思うんですけどね、どうも呼称にロマンを感じない。ちんちん萎え萎え、という感じなんですね。単なる行政区分とするのではなく、ほんとに実質的に「国家」群に再編成されるべきだと思うんですね。日本の人口一億というのは、これは一国家として見て、そうとうに多い。あのだだっぴろいアメリカの半分もある。人口1千万人程度の国家というのは世界的にけっこうある。ということで、仮に10個ほどの独立国家群に日本を再編します。
 「北海道共和国」「九州共和国」「琉球共和国」、でもって、天皇陛下は京都へお帰り願って「京都王国」、陛下の臣民でありたい方々はみな京都王国へ帰化していただいてですね、私は共和国国民であるほうが嬉しいので、共和国の市民になります。京都王国以外は共和国。で、日本は全体としては「日本連邦」、連邦政府は外交と防衛を主な仕事としてですね、それ以外の省庁は全部小共和国群へ分割、移動。国民がぐっと省庁を監視しやすくなる。自衛隊は連邦軍に改組。天皇陛下には京都王国元首になっていただいてですね、日本連邦元首としては連邦府大統領を全連邦国民の直接選挙にて選出。日本連邦の国歌は「ふるさと」うーさーぎおーいし、かーのーやーまー、というアレ。「君が代」は京都王国国歌として、末代まで大切に歌い継がれていただく、と、こんな風にすると、とってもすっきりして気持ちいい。
 で、「地方分権制」という案は、この程度のことまでは合法的になりうる可能性あります。「地方分権論」とか「道州制」とか煤けた名称でなくてね、「日本連邦論」とすると、私的には、ぐっとロマン感じてくるんですけどね。びんびん、て感じ。色んな問題も一気に解決します。こんな面白いことを自民党はつまらないくだらない事柄に貶めようとしてくださってます。私らは実は面白い時代に生きているのだから、もっと面白くしたほうがいい。
5月7日(金)

 曽さん帰宅。曽さんが国際電話していると、なぜかインターネットが繋がらない。どうしてだろ。
 ディグさんから「エイリアン9」(ヤングチャンピオンにて連載中)第1巻借りて読む。小学6年生の女の子が、エイリアン撃滅係として奮戦する話。アイデアが面白い。漫画として面白い。絵も妙にオタク臭い。以前は板垣恵介を下手くそにしたような絵だった、という意見を聞いたりもしたけど。エイリアンの描写に「寄生獣」の、画面のセンスにエヴァの影響を感じる。悪い影響ではない。
5月6日(木)

 知人から盗聴法のイベントを告知宣伝してくださいとのFAX承る。とりあえずHPトップページその他にアップ。行きませう。ロリな話題をする人間は皆盗聴リストに載ります。マークされるのは君です。望ましくない現実を無視するほどに望ましくない現実は取り返しのつかないところにまで進行していく。
 豊川稲理さんと道で偶然会う。食事一緒にさせていただく。声優になろうとしたらアニメーション専門学校なんか行ったらダメだ、プロダクションの経営している俳優養成学校に行かないと仕事を得ることはできない、といった話を伺う。そうなのか。みいちゃんに伝えておこう。
 過日の肉体労働の疲労が出る。二日限りながら久しぶりの肉体労働で筋肉が一部回復し、体型的には健康になる。だがあいかわらず吹き出物が酷い。胃が荒れている。ブスブスと不穏な感情がくすぶる。精神の健康及び体には悪いようだ。
5月5日(水)

 ガメラ3メイキングビデオをディグさんと観る。見終わった後、「悪ふざけがすぎる」と、ディグさんが本気で怒っていた。
 足立真一さんから電話。筑紫哲也のテレビスペシャル観てるから後にしてくださいと頼んで切る。終了後電話で話する。
 電話口で互いに沈黙する時間長い。考えない人間ほど一般論を話したがり、考えるほど人はものごとを限定的にしか話せなくなるみたいだね、といった話をする。 
5月4日(火)

 コミティア参加。ティアズマガジンに取り上げていただいたお陰か、朝のうち、うちのブースに女性客が立て続けにいらして下さった。ありがたやありがたや。
 「このエロマンガ家、道で会ったら絶対殺す」「チンポ釘で打ち付けて逆さ吊りぢゃ」という反応を女性読者に与えるエロマンガ家さんもいらっしゃるのだから、好意的反応はまことにありがたい。ロリータというジャンルは本質的に残酷だ。弱者の共感が得られなければ自分のしていることは自己欺瞞でしかない。
 野火ノビタ&タカハシマコの人形本、まんじゃぱ、樹村みのりのヤマギシ会特講本購入。すすき野さんから御本いただき、才谷ウメタロウさんと本交換していただく。ラク(仮名)氏に久しぶりに会い、今後の展望など話聞かせてもらう。
5月3日(月)

 洗顔、歯磨き、入浴に苦労する。みるみる増える吹き出物。腰痛。時間が来たことを申告。
 帰途、始末できなかった、何時のものだか分からない、表面は黒く変色している、ビニル包装紙の上にこびりついていた、裏面に返したとき、新鮮だった状態の真空パック断面で、ああ、これは人糞なのか、とわかった、それのフラッシュバックに悩まされる。
 東京の地面を踏み、東京の舗装された地面は滑らかであることを初めて気づく。文化断絶・違和感が自分の体を纏っている感覚。だがみるみる緊張が解けていく。明日には違和感は消えてしまうだろう。
5月2日(日)

 接客業する。接客業は、客(他者)を人格として見なさなくなることに気づく。田舎の好青年という仮面。のんびりした愛嬌で客の期待に最小限叶うべく行動。終わることのない緊張状態。体の芯に凝り。ゴム長靴ごしに足の裏で石の地面を一日中掴み続ける。一日で手の皮が厚くなる。軟弱になっていた足の裏がじんじんする。肉体疲労のため頭痛する。
 接客する間抑圧していた感情が夜間に暴走する。
 シナリオ、どこを改変するべきか気づく。感傷に流れていた部分を、感情を動かすべく改変しなくてはならない。感傷は自己憐憫だ。他者を感心させないものだ。そして私が描きたいのはつまるとこ感傷なのだ。
5月1日(土)

 シナリオ出来。コンテにとりかかる。 夜、寒冷地へ。

1999年4月21日から4月30日 マシウスの夜郎自大日記

2012年03月27日 00時53分40秒 | Weblog
マシウス:「格闘士ローマの星」に登場。花屋の大男で怪力の持ち主。
主人公アリオンと互角に戦うことのできるマシウスは
ローマに滅ぼされたカリビア王国の勇士であったが、
キリストを信じるがゆえに非暴力に徹し、
現在は王女ロザリアのボディーガードとしてローマで花屋をしている。
・・・と、「人間ゾンビ」の宇田川岳夫さんから伺いました。

新しい日記から、古い日記へ、という順番で表示されています。

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4月30日(金)

シナリオして過ごす。



4月29日(木)

シナリオして過ごす。



4月28日(水)

非建設的に過ごす。



4月27日(火)

「セリ・ノワール」観る。



4月26日(月)

体調崩す。「汚れた月」観る。よくわからない。「ブギーナイツ」観る。



4月25日(日)

非建設的に過ごす。



4月24日(土) 雨

えだの幸男さんのオープンミーティング参加。「ガイドライン法案」について。大事な問題で、何が国会で議論されているのか私は知らなかったので、見識ある人から話を伺う機会を得たことは望ましい。以下、メモ。えだのさんの発言そのままではない。

ガイドライン法案は政治判断であり政策判断ではない。日本の将来をどういう方向にしようかというビジョン、「意志決定」が要点となる。
従来の日米安保で文面として明確に書かれてあったのは、外国が日本領土へ攻撃したとき、米軍が動く、ということだ。今回の「ガイドライン法案」は、日本領土に準じる周辺事態についてルール付けがなされる。白黒つけがたい、悩ましい問題が多く含まれる。
1;日米安保をどう考えるか
安保は、なければないほうがいい。安保を否定する前提で議論し「ガイドライン法案」に反対するスタンスは、それはそれで筋が通っている。(社民党・共産党の立場はそれだ)。
だが当面の間、枠組みとしての安保はある。沖縄でのいくつかの事件、日米地位協定など、安保には問題点が多い。よって、「安保」を不可侵なもの、金科玉条と捉えてはならない。今のままの安保がこれから先もずっとあることを前提としてはいけない。安保はアメリカの都合として存在する。将来的にアメリカが安保を必要と考えなくなる可能性は充分にある。(民主党の政策基軸は、常時駐留なき安保/安保の漸次的解消)
安保が存在する以上、法的に枠組みをできるだけ決めておいたほうが、より安全である。その意味で、全面的に法案に拒否反応するのは建設的ではない。
2;周辺事態とは
日本は専守防衛の国だ。専守防衛は、人間に喩えるなら正当防衛にあたる。他国へ武力行使はするべきではない。例えば(あくまで例えだが)、北朝鮮が韓国に攻め込み戦争となったら、米軍がこれに介入することになる。米軍は沖縄を基地としている。北朝鮮から見れば沖縄は米軍の軍事基地だ。軍事基地であるからには北朝鮮から攻撃される可能性が発生する。
「ガイドライン法案」に記載される内容は、抽象的には正しい。問題となるのは誰が決めるのか、誰が判断するのか、ということだ。国民の代表である国会が関与することが望ましい、と民主党は考える。国会で議論すると時間がかかるのではないか、という疑問がある。日本周辺は大国である。中国、台湾、韓国、北朝鮮、あえて拡げてフィリピンまで含めたとしても、大国と見なされる。小国間で国境線上で紛争が日々起きているのとは違う。紛争が仮に発生したさい、5日なり一週間なりは猶予がある。その5日、一週間というリミットの間で議論なされることはあったほうがいい。これは米国への外交交渉のためのカードとしてあったほうがいい。米国の要求を断る理由として利用できる。「それでは議会がYESと言わない」米国がよく用いる手だ。外交当事者間でのみの交渉では、米国への自動賛成装置とさえ言われる状態となる。
3;後方支援とは
何を後方支援とし、何を前線とするかは、ことに近代戦争では明確に分けにくい。「ガイドライン法案」では、どこまでやるのか、どこまでやらないのか、というリアルな想定が足りない。ガイドライン法案は民間への要請ができるとしてある。病院への負傷者の受け入れなどが最もありうる。日本では、緊急事態へのシミュレーションがまったくできていない。このことが最も問題だ。
4;なぜ今ガイドラインなのか
本来順番で言えば、周辺事態の「ガイドライン」以前に、日本有事のさいのガイドラインができていないのはおかしい。たとえば、日本有事のさい外出禁止令は出せるのか? そもそも周辺事態を想定した「ガイドライン法案」に意味があるのか? 周辺事態と言える事態が起きるか? 韓国に言わせるならば、日本は明らかに騒ぎすぎだそうだ。北朝鮮が日本に対し攻撃してくる可能性はほとんどない。北朝鮮が韓国に侵攻したとして、国際世論へ北朝鮮の掲げる正当性は「これは内戦である」というもののはずだ。明かな外国である日本へ攻撃をしかけるのは、その正当性を北朝鮮が放棄することとなる。想定されるのはゲリラ戦だ。日本国内ではテロ対策などが優先して対策されるのが本来の筋だ。過日の北朝鮮籍らしき船の領海侵犯の話も、海の警察である海上保安庁の増強が問われるべきで、海上自衛隊が出ていくのは筋が違う。北朝鮮軍と韓国軍の正面対決を想定とした「ガイドライン法案」は、かえって、「いつか来た道」を日本が歩もうとしている、という危惧を韓国ほか周辺国へ与えることにすら繋がる。そういう疑いを周辺国に与えるような行動を日本はするべきではない。李下に冠を正さず。
日本はアメリカの属国ではない。だが日本は進んで属国であるかのような行動をとっている。アメリカは世界の警察という大義名分を持っている。そしてアメリカはそのように行動しようとする。アメリカ国内では、アメリカのみが犠牲を払うのはおかしい、という意見がある。東アジアの事態では、日本という経済力のある国があるではないか、なぜアメリカのみが東アジアの平和のために行動しなくてはならないのか。日本に負担させるべきだ。という意見だ。
日本は、「アメリカは世界の警察」という立場を了承するべきだ。だが、日本の立場は、周辺事態に対し、むしろ介入しないほうが、中国、韓国の感情に対し、メリットがある。ガイドライン法案では、日本がアメリカへの自動参戦装置とならないよう考えることが望ましい。
戦争を回避するためには、経済的相互依存関係を強くすることが、軍事的侵攻をありえないものとする。日米の関係がそうだ。中国と台湾の関係もそのようなもととなるよう日本が動くことが外交戦略上望ましい。中国は国内に、チベット、内モンゴルなど、民族独立問題を多く抱えているので、台湾の独立を決して認めないだろう。
シビリアンコントロールについては、国防情報公開法・国防情報管理法を作ることが優先されるべきだ。何が機密情報であり何がそうでないのか明確に分け、情報の原則公開がなされることが、たとえば防衛庁の汚職問題を起こりにくいものとし、暴走への歯止めとなる。「暴走」が危惧されるのは、現時点ではむしろ外務省だ。大国たらんとする意識が、暴走の可能性を持つ。暴走を抑止するのは情報の公開だ。
「ガイドライン法案」に対し、「国連の承認を」という条項を入れたいという意見があるが、国連に対し過大な期待を持ってはならない。国連もまた意志決定に関し問題を持つ。国連を経済的に支えているのはアメリカであり日本だが、国連での発言力は、経済力に比例されるべきなのか、それでは民主的ではないのではないか。では人口に比例されるべきなのか、それではアメリカも日本も国連に参加しなくなるだろう。国連の意志決定のルールはいまだ問題が多い。
そして「意志決定」の問題は、同時に、日本の抱える問題だ。国会、議会、議員を嘲笑することは、自分の国への責任感を放棄することだ。思考を柔軟にさせ、頭を体操させるためにそれはあっていい。だが自らの行為に責任を覚えないことを常態とするのは望ましくない。議員は、国民の代表とされる唯一のもので、国民の審判を受ける国家管理者だからだ。官僚は国民を代表しているわけではなく、国民の審判を受けないからこそ、職務に尽くすことが組織の巨大な腐敗に繋がる。



4月23日(金) 雨

「願い星」完成。曽さんに描いていただいた絵を見て、絵の説得力というものを思い知らされる。



4月22日(木)

原稿する。



4月21日(水)

青梅で宮台真司さんの講演があった。行きたかった。行けなかった。
ディグさんと曽さんに原稿手伝っていただく。
ディグさんから、なぜ「インディアンは嘘をつかない」のか教わる。インディアンは文字を持っていなかった。だから話し言葉の持つ意味が大きかった。それを拠り所としていたからだ。白人は文書を証拠とし、インディアンは話し言葉を証拠としていた。白人が口約束を破り結果インディアンが土地を追われ、死滅しそうになっても、酋長が「白人を攻撃しない」と一旦語ってしまったならば、白人を攻撃するわけにはいかなかった。


1999年4月11日から4月20日 マシウスの夜郎自大日記

2012年03月27日 00時52分47秒 | Weblog
4月20日(火) 晴

「世界観」とは、元来、作者が、現実の世界をどのようなものであると感じているか、ということを指す。オタク世界では、RPGやらの世界設定を「世界観」と呼ぶ。で、「世界観」について。
どの格闘技が最強であるか、は、ルールによって決定する。スポーツのルールは、現実世界の様々なルールを純化させ整理したものだ。フィクション世界では、現実には勝者になれないものが勝者になる。現実と異なるルールがそこにある。そのルールからその世界の現実と異なるディテールが導かれる。そのルールが後者の「世界観」であり、私見では、それは単純なもの・テーマそのままでありアイディアそのものでもあるものが望ましい。
自分は風刺的味わいを持つものを好むらしい。現実世界から抽出されるある課題を上記に従ってルール化し成功したものを、私は読者として好んでいるらしい。



4月19日(月) 雨

気分を変えなくてはならない、と考える。読みたい本はある。けど読み出すと原稿が進まなくなる。短い時間で区切りがつき、何か吸収したという満足感を感じられることを探す。そうだ、ビデオを借りよう。しかしビデオ屋さんの会員カードは、曽さんがどこかに隠してくださっている。うう。そうだ、近所に蔦屋がオープンしたよな。行く。本屋さんも併設してある。よかった、近所に新刊本屋なくて、今まで随分往生していた。これから少しは楽になる。平井和正の幻魔大戦アスペクト版が置いてあったので、あとがきを立ち読みする。苦悩してるなあ、と、好感を回復する。二本ビデオ借り、「レインメーカー」観て立ち直る。
少し仕事する。気分が鬱ぎ込む。頭の中を、嫌いな人間の言動が去来する。うぬ、おのれ、去れ悪魔。



4月18日(日)

鉛筆で絵描いていて、「なんだ、俺、けっこううまいじゃん」と自惚れる。ペン入れして、「やっぱり、俺、下手くそだ」と悲しい気分になる。



4月17日(土)

FTPサーバさんと話が通じなくて呻吟する。



4月16日(金) 晴

現実逃避して「月と六ペンス」途中まで読む。作中人物の一人に自分の滑稽な姿を見て、ギャースと悲鳴をあげる。

深夜、足立真一さんから電話。同人エロマンガ家やめてパン屋を一緒にはじめようと誘われる。毎朝焼きたてのパンの香りに包まれるのは、きっと気持ちいいはずだ、と足立真一さんが力説する。
俺は、パン屋はスカしていて嫌だ。やるならラーメン屋かそば屋だ、と反駁する。
パン屋の小綺麗さは俺の性に合わない、ラーメン屋の厨房の、あの古油がギトギトとこびりついた生活感が、俺にはしっくりくる。きっと従業員のおばちゃんはろくに仕事もしないで、客の前で煙草ブカブカ喫って、味も何も分からないようにするんだ。客のテーブルは1ミリくらい汚らしい油の膜ができている。小さなゴキブリが壁をときどき這う。俺はテーブル拭きながら、客に気づかれないようこっそりそのゴキブリを台布巾で隠すんだ。おばちゃんに出前任せると、何時間も帰ってこない。あげくに、「こんな地図で住所分かるわけないでしょ」、と、プリプリ怒って閉店間際に戻って来るんだ。怒る正当な権利があるのはおばちゃんではなくてこの俺なのに。でも俺は怒りをこらえるんだ。そのおばちゃんの手にはなぜかパチンコの景品らしきものが握られているんだ。タイムレコーダだけはしっかり押して帰るんだ、おばちゃんは。
おばちゃんは店の備品をしょっちゅうくすねるんだ。店が暇なとき、おばちゃんは俺を相手に倅の自慢話しかしないんだ。その倅ってのが、何回か店に只飯食いに来たが、形容しようとすると放送コードに引っかかるような倅なんだ。俺は、このおばちゃんが嫌いで、同じ空気を吸っていたくないのだが、他に従業員のなり手がないから、仕方なくこのおばちゃんを雇い続けるしかないのだ。
と、輝かしい未来への希望を足立真一さんに語る。



4月15日(木) 晴

膝抱えてゴロゴロ転がって自己憐憫にむせび泣きたくなる欲求に襲われる。体が強張って被害妄想たくましくなったときはネームするのが吉らしい、と気づく。体の強張りはコンテの反動つーか、余韻つーか、そーゆーのかな?

なんとなくメモる。男の求める女性像というのは内面の欠落した女性である。内面が欠落していれば何でも投影できるからだ。欠落の現れ方は色々だけれど。アヤナミもそうだったし、アスカもそうだったし、ロリータはそうだし、聖母というのはそうだし、娼婦もまたそうだ。



4月14日(水)

疲れてきたらしい。体中の筋が強張る。無意味に緊張している時間が多いらしい。
石原軍団の行動知らなかった友人、まさか受かるまいという想定のもとに石原慎太郎に投票したという話をしてくださる。ふむふむ。

4月24日にえだの幸男さんが「ガイドラインの問題点」についてオープンミーティングを大宮で開くという通知来る。



4月13日(火)

えらい簡単な絵に呻吟する。曽さん帰宅。
自分がどれだけ手前勝手な人間なのか、自分の書いたもの読み返して、再認識させられる。



4月12日(月)

武田俊也さんからお電話いただく。お話しさせていただくうち、ふと、自分は絵に哲学を持たないことに気づく。
一日中方言を口の中で転がす。これは中毒性があるようで、ほどほどにするのが吉なようだ。



4月11日(日)

描いとう漫画ん、出てきとうモン、チャベクリ、ウラがんトコんモン言っとおみとお書かず思っとおけんど、これん、あくでえゴッチョのこん、だあら、ウラ、村んモンじゃにゃあみとお、思っとうわ。

地元の言葉で作文するのにこれだけしんどい思いするのだから、英作文なんてできなくても当然かも知れない。

次ん漫画ん出てきとうモン、みんなウラがんトコみとお言わさず、ウラそう思ってみとお。何チャベクってるどうか、読んどうモン、分かんにゃあか知らにゃあけんど、ゆっとおこん通じにゃあこん、そうゆうこん描きちゃあ、ウラあそう思う。ウラがんトコんモン言うみとお、ウラがにゃ言えにゃあ。ウラん言うこん、ウラがん村んモンにゃ、あくでえこん思っとおみとお、ウラあ思う。言い方ずらん。そんな言い方しにゃあ思うずらん。おっかにゃあずらん。あくでえ村根性。ウラん、ウラん村んいとう時ん、ウラん、おめっさまあくでえゴッチョどう思っとおこん、そんこん。

と、書いてみると、ほんとに思考は言語の制約を受けると気づかされたりする。

東京都知事は石原慎太郎か。・・・そうでしたか、石原軍団で無党派層をね。虚仮(こけ)にされていることに気づかず虚仮にされていることを喜んでいるかたは多いんですね。

ウォルフレンの理想政体はオランダの王政なのだと思い、ウォルフレン熱からある程度脱したような気がする。丸山真男熱からはまだ脱せていない。