『名探偵コナン』という作品には数組の幼馴染が登場します。その全てが男女の組み合わせかつ恋愛関係にあるわけです。
つまりコナンの世界においては「幼馴染である=恋愛関係にある」という図式は成り立ちます。私は極論すれば、「二人は幼馴染だから」ということがお互いに惹かれあう理由になることをどう捉えるか、が新蘭や平和といったカップリングに対する気持ちの持ち方につながると思います。
それではコナン世界における「幼馴染」とは何なのでしょうか?今回はそれについて考えてみます。
新一や蘭達にとっての幼馴染の定義は「幼少期からの友人」や「小学校時代からの同級生」というよりももっと深く「家族ぐるみの付き合いで、幼少期より私生活の大部分を共有することで深い相互理解を得た間柄」だと考えられます。
例として新一と園子の関係を考えてみますと、小学生の新一と蘭が夜の学校に忍び込み初代キッドと出会う話の時、蘭が「園子ちゃん」という発言をしていることから考えて蘭と新一と園子は小学校低学年の頃からの付き合いであることが分かります。しかし、園子と新一は幼馴染の定義には該当しません。
和葉がよく平次との関係を説明する時に「平次の姉がわり」と称しますが、この表現はコナンにおける「幼馴染」を端的に表しているのではないでしょうか。
まあ、実社会で「幼馴染」というのを考えてみると、地域によっては保育園(幼稚園)から高校までずっと同級生なんてのは普通に存在しますから、高校生の新一と蘭がお互い特別な存在にしようと思うと「ずっと同級生」というくらいではダメなのでしょう。逆にずっと同級生でもおっちゃんくらいの年になると女優の雨城さんのように幼馴染の範疇に入ります。この辺りは実社会でも同じですね。
でもそういう兄弟みたいにいろんなことを共有している関係だから、クラスメイトよりはお互いの好みや性格を把握していて、それが幼馴染としての優越感になるわけです。それは恋人としての特別感とは違うんだけど、そこに恋愛感情が絡むからさらにややこしくなるんですよね。
新一と蘭、平次と和葉の関係が曖昧なのは「恋人じゃないけど他に対しての優越感が気持ち良い、だから次の一歩に踏み込めない」ということなんでしょう。
そういう感情についてはわからなくも無いですが、これを肯定するかどうかは別の問題です。そこがコナンの幼馴染たちをどう思うかという一つのポイントな気がします。
さて、次回は(何時になるかわかりませんが)新蘭、平和についてそれぞれの相手に抱いている恋愛感情について少し考えてみたいと思います。これも四者四様で結構、興味深いんですよ。
一言どうぞ
つまりコナンの世界においては「幼馴染である=恋愛関係にある」という図式は成り立ちます。私は極論すれば、「二人は幼馴染だから」ということがお互いに惹かれあう理由になることをどう捉えるか、が新蘭や平和といったカップリングに対する気持ちの持ち方につながると思います。
それではコナン世界における「幼馴染」とは何なのでしょうか?今回はそれについて考えてみます。
新一や蘭達にとっての幼馴染の定義は「幼少期からの友人」や「小学校時代からの同級生」というよりももっと深く「家族ぐるみの付き合いで、幼少期より私生活の大部分を共有することで深い相互理解を得た間柄」だと考えられます。
例として新一と園子の関係を考えてみますと、小学生の新一と蘭が夜の学校に忍び込み初代キッドと出会う話の時、蘭が「園子ちゃん」という発言をしていることから考えて蘭と新一と園子は小学校低学年の頃からの付き合いであることが分かります。しかし、園子と新一は幼馴染の定義には該当しません。
和葉がよく平次との関係を説明する時に「平次の姉がわり」と称しますが、この表現はコナンにおける「幼馴染」を端的に表しているのではないでしょうか。
まあ、実社会で「幼馴染」というのを考えてみると、地域によっては保育園(幼稚園)から高校までずっと同級生なんてのは普通に存在しますから、高校生の新一と蘭がお互い特別な存在にしようと思うと「ずっと同級生」というくらいではダメなのでしょう。逆にずっと同級生でもおっちゃんくらいの年になると女優の雨城さんのように幼馴染の範疇に入ります。この辺りは実社会でも同じですね。
でもそういう兄弟みたいにいろんなことを共有している関係だから、クラスメイトよりはお互いの好みや性格を把握していて、それが幼馴染としての優越感になるわけです。それは恋人としての特別感とは違うんだけど、そこに恋愛感情が絡むからさらにややこしくなるんですよね。
新一と蘭、平次と和葉の関係が曖昧なのは「恋人じゃないけど他に対しての優越感が気持ち良い、だから次の一歩に踏み込めない」ということなんでしょう。
そういう感情についてはわからなくも無いですが、これを肯定するかどうかは別の問題です。そこがコナンの幼馴染たちをどう思うかという一つのポイントな気がします。
さて、次回は(何時になるかわかりませんが)新蘭、平和についてそれぞれの相手に抱いている恋愛感情について少し考えてみたいと思います。これも四者四様で結構、興味深いんですよ。
一言どうぞ
覚蓮常さんの考察が好きです。
“幼なじみ”については、青山先生が“タッチ”(あだち充)が大好きだからなのか、他作品も含めて度々登場しますよね。
少年マンガにおける“幼なじみ”は、かなり甘酸っぱい幻想を含んでいるように思えます。
かたや少女マンガでは、“幼なじみ”はキープ君というか、安全パイというか、王子様たりえない存在として描かれることが多いように思えます。
(ずいぶん昔に読んだものの記憶なので、違っていたらすみません)
と、ちょっとズレたコメントをしてしまいましたが、続きの考察を楽しみにしております。
では、また!
こんな好き放題で何時怒られるかドキドキしているような考察を喜んでくださるなんてとても嬉しいです。
確かに「タッチ」の3人は家族みたいな関係ですね。
少女漫画と少年漫画の「幼馴染」の違いって男女のロマンチシズムの違いじゃないでしょうか。
実際は女の子の方が思春期が早いので、兄弟みたいな男の子が隣の女の子を意識する頃には、彼女にとって彼は既に恋愛対象外なのに対して、男性にとっては「自分だけのずっと特別な女の子」が一つの理想みたいなところがあると思います(私の一方的な男性観ですけどね)。
だから同じあだち作品でも「H2」の二人の方がリアルに感じます。この辺りも好みの分かれるところでしょうね。
ちなみに私は「H2」の方が好きです。
また近いうちに続きを必ず書きたいと思います。その時はまたよろしくお願いします。