あれもこれも

灰原中心二次創作サイトの創作人によるあれこれ日記。何かありましたら「拍手」からどうぞ。お礼は名探偵コナンの小ネタ三種類。

「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅲ.spring songを見ましたよ

2020-08-22 19:08:15 | 感想(その他)
 一章二章に続いて第三章「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅲ.spring songを見てきました。というわけでつらつらと感想などを書きたいと思います。


 それでは以下は感想です。箇条書きかつネタバレだらけですので、読まれる方はお気をつけて。(なお、言うまでもなく私はセイバー推しのブリテン民でございます)


 春のはずが延期になってついに8月15日に公開された作品です。実は私、ゲームはタイガースタンプコンプ勢ですので、各種結末もストーリーも全て知っていました。そしてかつセイバーをこよなく愛するブリテン民ですから、オルタさんがどうなるかもよくわかっているので、正直なところ見に行くまでに強めの決意が必要でした。春に一度それが折られたのでどうしようかと悩んだことも一再ではなく……といいつつ公開日に勢いで、そして二回目の舞台あいさつに合わせて二回目を見てきました。

 私はFateシリーズとはわりと長い付き合いで、初めてのDEEN版のアニメを見てPC版をプレイ、その後Réalta Nuaのプレイしてから小説アニメゲームを順中に履修しつつ、色々あって今に至るという経緯なので、今回はその思い入れを抱きながら見てきた三部作だった気がします。
 
 第二回目の舞台あいさつで監督が「ゲームをプレイしてきた人と初見で映画を見ている人とのバランスをとってきた」というような発言をされていて、ここの差は思い入れの部分も含めてすごく大きいんだろうなと思いました。
 というのもゲームとは言いながら、原作はほぼ小説です。情報はひたすら文字を追う形、一方で映画は言うまでもなく映像情報なわけですから、情報の入り方が全く違う。今回の三部作を通してほとんど「モノローグ」というのは無かったと感じていました。その点ではキャラクターの心情を文字にしてこれでもかと突き付けられた原作ゲームとは真逆で、映像だけに込めた映画という武器を最大限に使いつつ媒体の特質で勝負した、そういう意味では徹底的に原作ゲームと対比する作りになっていたと思います。
 なので映画とゲームの両方を比較しながら映像の解析をして骨の髄まで堪能したいところです(さすがに今はそこまでの時間は作れないから、老後の楽しみにしたいものです)
 
 なので今回の映画は原作ゲームよりも、少し俯瞰した、HFルートを客観的に士郎の隣で見てたというイメージでした。そんなわけで見始める前は正直「セイバーの最後に耐えられる気がしない」とか「凛の『桜のことが大好きだし……』とか直視できない」とか何回心臓止まるんだろうと心配してましたが、結論から言いますと
思ったより生きた!理由は上記があったからなんでしょうね。

 それも踏まえて総評としては最高に可愛いヒロイン間桐桜を最初から最後まで見せていただいきました。ごちそうさまでした!という映画だったと思います。間桐桜がどれほど可愛くて魅力的で守ってあげたくて助けてあげたくて、そして結末を微笑んで見送れる、そういう映画でした。そしてこの映画で桜に興味を持って、これから色々と作品に触れつつ、深層を考察しながら、桜のあれやこれやとか士郎のあれやこれやに「あれ?」「え?これって・・・」ってと足を止めながら気が付けばFateの沼に沈没している、ようこそいらっしゃいませ!!!という道筋が用意されている、とてもFate/SNの締めくくりにふさわしい作品でした(思えば私もDEEN版のセイバーのあまりに美しい朝焼けの「愛している…」に感涙してからこの道に入ったわけですし、その孔を今度は桜が空ける、ということです)
 細かいところやブリテン民として言いたいところが無いわけではないですが、不可能といわれた奈須きのこの書いたFate/SNのHFルートの映像化としての一つの到達点を拝見できたことは幸せだったと思います。


 それでは覚えているうちに感想などをちらほらと。
・いきなりの慎二を処した後の間桐家で始まるという前回のおさらいなどという温いものは一切なく物語はスタート。
 臓硯とにらみ合う士郎ですが、ゲーム未プレイの方からなぜ他のルートでは慎二がマスターになっていて、臓硯が桜を聖杯化しないのか、というような疑問を持っておられたのを聞いて、納得したのは今回初見の人にとってはこの流れが「ある種の必然の結果」に見えるということでした。ゲームプレイ勢にとってはここに至るには多くの選択と偶然がそれまでの経緯に重なって、その上で出た細い道をつかみ取ることでようやく出現する非常にイレギュラーなものだということは、それまでのタイガー道場行脚でよくわかっているのですが、映像で一気に流れを見ると確かに「なるべくして起きたこと」に映るのかと。
 今更私が言うまでもないですが、臓硯自身これで桜の聖杯が目覚める可能性なんてほぼ無いと思って聖杯戦争をスタートさせているのが、映画だけ見てると壮大な仕込みをしてる深慮遠謀の魔術師に見えなくもないなあ、と思ったり。
 
・ついに桜VSイリヤ&凛の初対決in衛宮邸 
 ライダーさんが珍しく感情的です。ライダーさん、桜好きですもんね、とゴルゴ―ン三姉妹好きな私はここでちょっと涙目でした(早いな!)

・必殺仕事人なセイバー・オルタ登場シーン
 色々あってついにセイバー・オルタさんが登場です。もうね、なんも言えない。セイバーが、普段なら暴れんボーイヨシムネの立ち位置のセイバーが、中村主水みたいなことしちゃってる。もう騎士王じゃない、オルタなんですよね。うう、つらい。

・影絵OP 
 これ、改めて見るとウテナのオマージュですね。そういう意味ではここからEDへ繋がっていく綺麗なつくりだと思います。

・イリヤ奪還~バーサーカー戦
 イリヤが可愛い。そしてアインツベルンのお家芸の魔術が美しい!今回のイリヤ本当に可愛い。いや、まあHFの最重要キャラの一人ですからね、そりゃ可愛いに違いないんですけども!!
 この辺りも「イリヤスフィール」とはというか聖杯戦争のためのアインツベルンのホムンクルスとしてのイリヤと、イリヤスフィールという少女という描き訳が非常に繊細かつ、声優さんの本気すげええ!(ただ言峰さんには「あれは登山ではない」って誰か教えてあげてください)
 VSバーサーカーは圧巻でした。ナインライブズの演出、ヘラクレスという英霊の人生を追体験していくそれも逆回しで…そして最後はヘラの呪いと我が子の死という彼の原体験をスタート地点として持ってくる、というのはFake読者の私完全に号泣。うううううう、これは!これはつらいいいいいいいいいいい。それでも、それでもたとえ狂化したとしてもヘラクレスは、バーサーカーは英雄なんですよ。
 という最後のセリフ。イリヤ役の門脇さんが激推しする最期に正気を取り戻すバーサーカーの一言には涙腺がナインライブズでした。

 ま、それはそれとしてここでアーチャーの腕を使うときにおもむろに流れるのはEmiya。そうあの勝利確定の曲です。かっこいい、本当にかっこいい。アーチャーのカッコよさを十二分に描いていく名シーン。ここでEmiyaが流れた時に「あ、原作の曲使っていいんだ」って思ったんですけどねえ。
 その他のBGMとの整合性などはあるでしょうが、やっぱり個人的にはアーチャーにはEmiyaというのはとても嬉しいサービスでした。

 そしてここで士郎が「お前がついてこい」というのを苦笑で見送るアーチャーの表情は良い演出でした。「お前がついてこい」も何も、もうこの士郎にはアーチャーの道はない、というかアーチャーがかつて自身だった衛宮士郎とは全く別人なのがアーチャーには見えてたというを一つの表情できれいに表現していて、象徴的ですし好きなカットの一つです。

 まあこの辺りから士郎はどんどん壊れていくんですけど、この辺りは分かりにくかったかなあと思います。士郎にスポットが当たらないし、前述のようにほとんどモノローグがないから士郎の何が失われて、どう壊れていくかが見えない。なので、この後の宝石剣の投影がどれくらい士郎にとって重大なのことか、それを士郎に依頼する魔術師遠坂凛の冷徹な顔、という私の好きな凛のあり方が見えにくくなっていました。

・始まりの御三家
 思ったよりがっつりやってましたね。もっとあっさり流すのかと思ってました。とはいえ設定厨なんでこの辺の始まりの御三家とか、大好物なんで切られたらたいそうがっかりしたと思いますが。始まりの御三家の中ではアインツベルンが私はとても好きでして、ユスティーツァとかアハトのおじいちゃんの設定とかかの家のお家芸たるホムンクルスとしてのアイリやイリヤの話とか永遠にしてられます。
 あと遠坂永人さんがロードみたいでびっくりしました。

・VSセイバーオルタ
私のクライマックスその1.
 士郎に「邪魔だ」といわれて笑うオルタさん。オルタさんは騎士王としてのアーサー王ではなくて、ブリテンの化身たる王としての在り方が強い、つまり彼女が倒した卑王ヴォーディガーンと同種の存在に近いあり方です。だから民の前に立ちふさがる王でなければいけません。「人々の笑顔のために」聖剣を抜いたアルトリアはもういないことがよくわかります。つらい。しんどい。彼女の星の輝く聖剣も「エクスカリバー・モルガーン」ブリテンの負の力を受け継ぐという姉の名前が冠せられてしまいました。
 HFの士郎はもう「正義の味方」じゃありません。超越者としての視点は持てるはずもなく、ただ一人の少女のために生きる、いうなれば単なる一人の「民」です。民が王を邪魔だと思った時、もう王は民の前に君臨して立ち塞がり倒されるしかない、だからこその笑みだったんだと思います。オルタであってもなんであってもやっぱりセイバーはマーリンのグランドロクデナシが評したように「骨の髄まで王様」でした。ただ、王の在り方が違うだけで。
 そんな立ちはだかる大きな障壁に二人がかりで挑むライダー&士郎。バトルシーンは圧巻です。一見互角というか善戦しているように見えますが、やっぱりそこは我が王。強い。石化の魔眼も一度は動きを止めますが、そこは竜の炉心をもつ我が王、この程度の拘束など聞きません。さすが我が王。強い。状況が変えられないライダーさんの精神的煽りに若干イラっとはするものの、しかし所詮は小細工。やっぱり我が王。強い(大事なことなので三回言いました)
 しかし勝負はついに決着。士郎のロー・アイアスとライダーの宝具の前に倒れるセイバー。ここからはゲームプレイ勢はそれぞれ死ぬほど葛藤したところだと思うんですよ。私はしました。セイバーにとどめを刺せないし、何度この辺りでバッドエンドを迎えタイガー道場へ行ったことか。
 ただ今回の映画で先述の「倒される王としてのセイバー」を見た時に、やっぱりセイバーは殺さなきゃいけないし、「強くなりましたね、シロウ」って言われているようではセイバーを乗り越えたことにならないことを15年たってようやく納得できた気がしました。
 しかしそれにしてもまさかのノータイム殺傷とは思いませんでしたけどね!

 とはいえこの士郎のセイバーにとどめを刺すシーンにHFの衛宮士郎の在り方が凝縮されているように見えました。この時、士郎はセイバーの何を殺したのか。本人は自分を助けてくれたサーヴァントを殺したんだと思っていますし、実際本人はその点について「ありがとう」と言葉をかけています。しかしこの「ありがとう」はとても独善的な感謝です。自分の守りたいもののために邪魔なものを排除して、しかし自分の中の罪悪感や善意の折り合いとしての感謝、まさに人間の在り方そのものです。
 一方セイバーが奪われたのは単に聖杯で受肉したいのちだけではありません。聖杯にかける願いも、騎士王としての生涯も誇りも、そしてアルトリアという少女がただ一つ抱いた願いも、その全てを士郎は一瞬で消しました。もちろん、士郎はそんなことは知りません。なぜならこれはHFルートだからです。ただの人間である士郎には王の苦悩も何も知るすべもないし、気づかなくて当然です。
 でも士郎の行く末の一つであるアーチャーを殺したのも、人間の独善なんですよ。完全に正義の味方から正義の味方を殺す側になったし、セイバーを追い詰めた民そのものになったというなんだな、と思いました。
 
 それがHFの衛宮士郎のテーマではあったわけですが、それにしても自分を殺す側に堕ちてなおそれを自覚することもないというそれはそれで一つの地獄ではあるなあ。

ということを思うんですが、こんなことをする一瞬前のセイバーのセリフにはもう魂までも流れ出ました。最高の「シロウ」をいただきました。ありがとうございました。


・凛と桜
私のクライマックスその2
原作ゲームで号泣した所。もう、どうなることかと思ったら前述のようにモノローグカットでそこまでではなかったですけど、子供時代の姉妹のシーンを挿入されたところは号泣必死ですよね。あれはあきません。無理。
一生懸命やっても1ペアな桜の幸運値とか設定好きとしてはくすぐられる絵ではあるんですが、賭けに使ってるのが凛の魔術修行用のグッズとかもね。でもそれはそれとして、あの1シーンは本当に映画ならではの良いシーンでした。
前回の感想でも書きましたが、私にとってのHFは遠坂姉妹の物語なので、そういう意味でもここはクライマックスです。モノローグなしで完全に俯瞰で見たら確かにああ見えますね。凛役の植田さんもゲームの時とは全く違う演技で、これまた声優さんってすごいなと感服仕切りでした。
とはいえ凛があそこで桜に告げる「ごめんね」の意味のテキストが脳内でずっと回っていましたが。


・イリヤのラスト
 イリヤのラストはやっぱり泣けましたね。アインツベルンの究極のホムンクルスとしてのイリヤスフィールでありながら、衛宮切嗣の娘であり、衛宮士郎の義姉であるイリヤが最後に見せる魔法「魂の結晶化」。そして聖杯の中でアイリに抱きしめられるあのシーン。泣ける。でもちょっと考えたらアイリはイリヤを聖杯にしたくないってあれほど頑張ってたのに、とか思うとそれはまた別の意味でしんどい、といういつものやつ。
 精神と肉体と魂の関連とアインツベルンの第三魔とか、ExtraとかApoなんかでがっつりやってくれる説明ではあるんですが、別系統作品で明かされた設定解説を喜び勇んで脳内編纂していく私のような設定マニアとは違って、そのあたりが曖昧な方にはここのところがわかりにくいという方もいらっしゃるようで、「最後の士郎は人形の肉体だから士郎じゃないんじゃ?」という疑問もあったようです。途中で臓硯も言ってたと思いますが、肉体は容器なんで、あれは士郎本人ですよ。ただFate/SNという作品冒頭に出てくる衛宮士郎とは全く違いますが。

 その辺も含めて、前回の感想でも書きましたが、私は基本的にHFの衛宮士郎は苦手です。彼はもう魔術師じゃないし、もちろん正義の味方でもないただの普通の人間です。輝ける星があってもその星の輝きに気づけない、その時点でもうセイバーの横に並びたてる存在じゃありません。そこはこのルートゆえに教会地下の言峰の所業とか知らないままに進むからというのもあるとは思いますが、でもそれがルートということですしね。
 もちろん逆に正義の味方で魔術師の衛宮士郎は普通の人間ではないので、間桐桜の隣に立てる存在ではないでしょう。
 私はセイバーの唯一無二も相手は士郎だと思っていますが、それはセイバーが「シロウがいい」と言うからであって、セイバーの横に立てない士郎にはそれほど思い入れはないし、HFの士郎が良いという桜が好きな方にも一定はそういう方がいらっしゃるのかもと思っています。
 
 その点、どのルートであろうと変わらないのが遠坂凛です。凛の生き方は士郎の存在には左右されない、そこが凛の強さでカッコよさであり、そして凛の孤独なんでしょう。でもそういう遠坂凛という女は最高に良い女でした。

 HFを最後まで見て思うことは、やっぱり私にとってもFate/SNはセイバーから始まってセイバーに還るんだということでした。結局セイバーオルタの映画でありながら気が付けばずっと考えるのはアルトリアのことばかりですから。
 できればいつの日にか大画面で青い衣と白銀の甲冑に身を包んで星の聖剣で戦うセイバーを見たいものです。


 
 そんなわけでHAの映画化は大いに期待したいところですが、正直なところHAの映像化がないなら言峰周りとかあそこまで丁寧にやる必要はなかったと思うんですよ。ええ、願望ですけど。



  
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