どこの国もいつも安全策ばかりとっていられるなどと、思ってはいけない。いやむしろ、つねにあぶない策でも選ばなくてはならないと、考えてほしい。物事の定めとして、一つの苦難を避ければ、あとはもう何の苦難にも遭わずに済むなどと、とてもそうはいかない。思慮の深さとは、いろいろの難題の性質を察知すること、しかもいちばん害の少ないものを、上策として選ぶことを指す。 byマキアヴェリ
宗教画や偶像を禁止したからこそ、イスラームには幾何学模様が発達した。どこかを抑圧したがために、別の部分が発達する。人間というのは、本当におもしろい。
by釈徹宗
by釈徹宗
自分がルールを破ると、他人も自分に対してルール違反をする。そうすると、すごく不幸になる。遊ぶならば、ルールの中で遊ぶこと。
by アルボムッレ スマナサーラー
by アルボムッレ スマナサーラー
そもそも国家を経営し、役職を設け、君主をいただいて人民を治めるゆえんはどこにあるのでしょうか。それはもと、天下を支配して君主にこれをささげ、国内をたいらげて補佐の臣にこれを給与しようとするためではありません。まさしく天下の父母とともに万人の極めて苦痛な境遇を救わんと考えてのことであります。
by空海
by空海
「布施といふは不貪なり/道元」(求めないことが布施になる)
自分が手に入れないことも布施であると、説いたのが道元。必要以上に求めないことが、相手に施すことになる。
自分が手に入れないことも布施であると、説いたのが道元。必要以上に求めないことが、相手に施すことになる。
「放下著/従容録」(自分を空っぽにしよう)
心にある荷物は、見えないから、ついつい無理をして持ってしまう。明日の不安を解決するために抱え込んだ荷物は捨ててしまおう。byひろさちや
心にある荷物は、見えないから、ついつい無理をして持ってしまう。明日の不安を解決するために抱え込んだ荷物は捨ててしまおう。byひろさちや
「隻手の音声/白隠」(思い込みを心から外そう)
左右の手を打ち合せると音がするが、片手では音がしない。「片手の声を聞け」というのは、私たちがとらわれている分別や常識といったものを飛び越えてみよということ。byひろさちや
左右の手を打ち合せると音がするが、片手では音がしない。「片手の声を聞け」というのは、私たちがとらわれている分別や常識といったものを飛び越えてみよということ。byひろさちや
「流刑さらにうらみとすべからず/法然」(すべてチャンスと考える)
75歳で流刑となった法然は、「これも地方に念仏を広めるいい機会だ」と、誰かを怨むことなく、今を生きることに徹した
by ひろさちや
75歳で流刑となった法然は、「これも地方に念仏を広めるいい機会だ」と、誰かを怨むことなく、今を生きることに徹した
by ひろさちや
「騎牛求牛/碧厳録」(答えは遠くに探さない)
私たちは、「幸せ」という名の牛に乗りながら、毎日を暮らしている。その事実を忘れてはいけない。いつだって、答えはすぐそこにある
by ひろさちや
私たちは、「幸せ」という名の牛に乗りながら、毎日を暮らしている。その事実を忘れてはいけない。いつだって、答えはすぐそこにある
by ひろさちや
古代において気前よく人に与えることは義務なのである。それは贈与の道徳が正義の原則になるということである。そしてそれは強さの象徴でもある。弱き者は、贈与することも返礼することもできないからである。古代において、道徳とは贈与できること、そしてまた、返礼できることだった。
byモース
byモース
人を労働に向かわせる一番の方法は、自分たちのためと同時に他人のために誠実に果した労働によって生涯、公正に賃金が支払われると確信させることだと人々は気づいている。
by モース
by モース
「負けず嫌い」は二種類ある。一つは、エゴとプライドで、「他人に負けたくない。負けるのは嫌だ」の気持ち。もう一つは、正しい「負けず嫌い」で、「自分に負けてたまるか」の気持ち。自分の怠け心のせいで負けたのを恥じて、戒めているのは、エゴではない
byアルボムッレ スマナサーレ
byアルボムッレ スマナサーレ
自己組織化を促す条件とは、「1.創造的な個の営みを優先させる」「2.ゆらぎを秩序の源泉とみなす」「3.不均衡ないし混沌を排除しない」「4.コントロール・センターを認めない」の四つ
by 荒川秦彦
by 荒川秦彦
1日3時間「変わりたい」と思っても、あなたは何も変わりません。でも、1日に5分ずつ行動起こせば、人生は確実に変わっていきます。人生は「今日の行動」の集積。 by石田淳
そもそも、あの教師という職業につきものの物知りぶった態度の底にあるのは、一種の誇大妄想癖ではなかろうか。道徳的にも、また知識の上でも自分より劣っている人間としばらく接触しているうちに、とかく人は知らず知らずのうちに誇大感情を抱いてしまい、これをおのずから素振りや態度、言葉使いなどに示してしまうものだ。そして、この感情はたちどころに暴力となって外に現われる。このような感情を損なう行為は、すべてとりもなおさず自己の権威の冒涜になるのである。自分より劣った者を前にしての忍耐は、仲間相手の場合よりも遥かにむずかしく、己れにたいして遥かに大きな努力が要るものだ。 by デュルケーム