まずは、枯山水庭園を堪能する
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川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年11月24日生~1957年6月30日没)は明治・大正・昭和の世を画業一筋に生き、日本の原風景をこよなく愛し、そこに溶け込むように生きる市井の民の姿をも活写することで知られた日本画家である。
先の大戦の折、疎開のため頻繁に訪れていた現・青梅市御岳に庵を結び、終戦後も「偶庵(ぐあん)」と号した庵に定住することとなる。
この玉堂美術館は、当地御岳をこよなく愛した玉堂の偉業を顕彰しようとして建造された個人美術館とされる。
上記した第二展示室には玉堂の小品をはじめ、陶芸家であった次男川合修二の作品が展示されている。玉堂が筆を執り、修二が作陶した絵皿なども展示されていたよ。
玉堂の絵を一つ、二つ、・・・
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最後に、この一点「猿芝居」と題された作品である。
これを見て、僕はこの美術館をさる。
お後がよろしいようでm(_ _)m
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本当にそうだったか、長じてからの獲得記憶か定かではありません。
のんこさん、こんにちは。
いきなり出てきた「桐生;与野;」との記述、桐生は群馬県、さて、この「与野」とは現・さいたま市の一部の与野かしら?
現在、埼玉・狭山に住まいして30有余年の歳月が流れましたが、それ以前は上記の与野に住まっていました。
懐かしい響きに郷愁を禁じえません。
ウワ~~凄い~こんなにも偉人さんがお見えでした
のネ. 山口恵照(哲学研究者) この方は初めて?
知りました。
山内一豊 年1回一豊祭りのパレード;墓石も有り
三岸節子 ご夫婦の画材の資料館の展示設置が有り
田中恭一 生家跡の碑が有り
川合玉堂 生家跡の碑が有り
山口恵照 文学博士 大阪大学名誉教授
お陰様で少し勉強に成りました。縁もゆかりも無い
お方でも、なんとなく親しみを感じました。生まれ
故郷‽ふるさととは懐かしい所ですね。
青梅は東京の奥座敷 私の母親は群馬県高崎の生まれ育ちです。青梅の名前だけは良く聞いた覚えが有りますが、行ったことはないです.桐生;与野;へは
母と連れ立ち結婚前に挨拶がてら伺い、帰りにいろは坂をタクシーで下った昔の思い出が有ります。
今は年賀状のやり取りだけになってしまいました
ヒョンナ事から昔昔の思い出迄が浮かび有難う御
座いました。
川合玉堂(日本画家)
山口恵照(哲学研究者)
三岸節子(洋画家)
田中恭一(メニコン創設者)
:
のんこさん、こんにちは。
うわっ、木曽川町とは偉人を輩出する、そんな風土なのでありましょうか!
よい所にお住まいですね。
青梅・御岳は、拙宅より車で1時間ほどですので再々訪れました。
その名の通り、春ともなれば各所で梅がほころび、御岳では山野草が各所で咲き乱れます。
ただ、日記にも書いた通り、ウメ輪紋ウイルスの感染で梅が伐採されてから足が遠のいていましたので、15年ぶりの訪問となった次第です。
玉堂同様、作家の吉川英治も疎開を契機に戦中戦後の9年間ほどを青梅で暮らしたとのことです。
両者ばかりでなく、青梅は東京の奥座敷などと呼ばれ、往時の著名人が戦火を逃れて逗留した地として知られていたようです。
久しぶりの訪れた青梅でしたが、秋には御岳渓谷の紅葉も見応えがあり、(街の人々の話では)梅も復活したようですので、また再々訪れてみようと思っています。
コメント有難うございましたm(_ _)m
玉堂氏は私の住んでる愛知県一宮市木曽川町出身
市の図書館のスグ近くが生家で何となく親しみが
湧き、好く展示会に見学に行きました。こんな有名
な人❓初めはトント知りませんでした。もう1人
目のコンタクト発明者さんも木曽川の人でした。
ついコメントしたくなりお邪魔してしまいました