ツリガネニンジンはオークションで手に入れた。2株で700円、送料は無料だった。
もう何年になるだろう? あの真っ白なタニワタリノキだと思ってHCで求めたのだが、「シマタニワタリノキ」だった事が判明した。これは、これで面白い花であった。
キキョウってやつは変幻自在だ。本来は五弁花のようだが、三弁にも、四弁にもその姿を変える。まだ、六弁やら、二弁は見たことがないが・・・・・・。
伊予国の花友さんが送ってくれたタマノカンザシである。八重はこのところ花茎を上げてくれないが、一重の方は二年続けて花を付けてくれている。有り難いものだ。
来年、このgooで、この花たちを投稿することはない。
【2025年8月14日9時11分】
八重咲きキキョウの状態を写す。「もう間もなく、二輪目が開花するぞ。」なんて思いながら・・・。
【2025年8月15日6時18分】
ベランダに出ると、やはり八重咲きキキョウのバルーンが破裂していた。
いや、待てよ! 確かに、破裂して5枚の花びらが平開しているのだが、花芯はさらにバルーンに覆われてその内部を窺い知ることができない。な~んてこったい! 「バルーンが破裂したら、またバルーンが現れる。おいっ、エンドレスの入れ子状態か~い?」これではあの伝説のマトリョーシカ人形状態ではないか? いつになったら二輪目の開花宣言を発布することができるのだ。
【2025年8月15日9時27分】
炊事、洗濯などを済ませ朝食を取る。後片付けを済ませベランダに出ると、そこには「ダブル・バルーンの破裂」という厳かなるセレモニーを終え、涼やかな顔で周りを四顧している八重咲きキキョウのお姿があった。
「人には添うてみよ 馬には乗ってみよ」
などという俚諺があるが、実は草本にもそれは当て嵌まる。そう、育ててみて初めてそれと分かることがたくさんあるのだなぁ~と、つくづく思った次第である。
今年も、つつがなくほころんだ。もちろん、ツユクサの仲間であるからそれほど難しい花ではないのだろう。だが、種を頂戴し(その説は有難うございましたm(_ _)m)、播種した折には、なかなか芽を出さず、心配したものである。
白覆輪に淡い水色が涼しさを誘う、はずであったのだが、どうも今年の熱量にはかなわないようで、撮影していても涼を感じることはなかった。。。
7月3日につぼみを紹介したあのミヤマハナシノブである。淡い紫色の花びらが爽やかさを運んでくれるようで、見ていて飽くことはない。
稚拙な技量であるにも関わらず、性懲りもなく、いく度となく高山植物や山野草を求めてきた。お察しの通り、その大半が夏を越すことなく潰えてしまった。
それにしては、先般紹介したミヤマクワガタといい、このミヤマハナシノブといい、思いの外、当地の環境に適応しているようだ。頒布していただいた生産者さんのもとで代を重ね、里の気候に馴化したモノであるのかなぁ~。
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📸2025年7月6日:二輪目も咲いた。 ( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📸2025年7月6日:すでに一輪目は柱頭が三裂。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
まさに、この子は「姫」の化身なのであった。草丈は10cmに満たない、花冠はせいぜい2.5cmほどか。ちんまりとスリット鉢に収まっている姿を見ると、思わず頬ずりしたくなってしまうほどだ。
そういえば、この花、釣鐘状の花冠を下に向けて咲く、そう思っていた。ほらっ、本来、下垂して咲く花が、重力に抗って花冠を水平に保って咲いてる。とても負荷がかかる姿勢といえまいか。
まだ幼く、花茎も、花柄も伸び切らぬまま咲いてしまったからなのか? 幼すぎる姫の覚醒に心を曇らせる思いを味わった、そんな妙な心境なのだよ。
あっ、そう、そう、数日前のキキョウのブログで雄性先熟の話をしたっけ。実は、このヒメシャジンも雄性先熟の花の定型的な姿を見せている。 見難いかもしれないが、つんと飛び出た柱頭が三裂しているでしょ。そう、キキョウとは異なり、開花して二日足らずで雌性期に移行したようである。
2023年8月29日、日高市にある農産物直売所「あぐれっしゅ日高中央」に出かけた。一通り買い物を済ませると、家人は出入り口に陳列されている花卉に魅入っている。やにわに、「このキキョウいいんじゃない!」と宣うた。そう、「買って帰れ!」ということを意味している。野菜や米などをKカーに詰め込み、家人がとある用を足す間に、紫と桃色のポットを1つずつ携え、そそくさとレジを済ます。何の変哲もない矮小性のキキョウであったが、<195円+税>であればお買い得といっていいのだろう。
その翌年6月10日、最寄りの農産物直売所「あぐれっしゅげんき村」で白花を買い足して三色のキキョウが揃ったことになる。
そう、園芸店では6月ともなると開花したキキョウが販売され始める。今年の我が家の開花は6月下旬だから、まぁ、まぁ、標準的な開花と言えようか。切り戻し、切り戻ししてやると10月ころまで楽しめる。頼もしい花なのである。
あれっ、そういえば「ぽんっ」という破裂音、聞こえなかったなぁ~?
「ぽんっ」の次は「ころん」である。別に、オノマトペを楽しんでいるわけではないが、つぼみを眺めていると、つい、こんな擬音語や擬態語が頭に浮かぶ。
キレンゲショウマのつぼみである。ねっ、遠目で見ても「ころん」でしょ。
ユキザサには実が見えている。ここでは、ツクシカラマツの花がセンターを務めているようだ。さらに、繁茂するクサヤツデの前には、まだタツタソウの葉が見えている。
坪庭には、雑多な草本とともにカオスが支配し始めているようだ。
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パセリ(セリ科オランダゼリ属の多年草) ( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
花が咲くと食用に適さないとか。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
実は、これ、パセリの花なのである。一目瞭然! さすがに、セリ科特有の花であることよ。
コトバンクには、「無限花序の一つ。 散形花序の花軸が頂端で放射状に多数分岐して、ほぼ同じ長さをもつ多数の花をつけるもの。」とある。パセリの花、複散形花序の解説である。
ミリ単位の花である。五弁花で、雌しべが2本、雄しべは5本あるようだ。いや、どんな花の形かと思ったが、レンズを通してみると、意外に美しい花であることよ。
この時季、花日照りとなる。元来、夏に咲く花に乏しい猫の額である。この時季の花も幾度かは試みているのだが、いつの間にか萎れてしまうのである。なんでもかんでも、昨今の炎暑の夏のせいにしてしまいがちだが、それも数%の真理ではあるのだが、とにかく園芸技術が未了、要はへタッピーなのである。
例年であれば、この時季変化朝顔に手を染めるのだが、今年はどうも気が乗らない。
という訳で、数年前、何の気なしに入手した江戸絞りがトップを飾ることになった。
クガイソウである。この音がどうも好きになれない。
仏教語の一つに、苦界 (くがい)がある。「すべての衆生の苦しみが無限であることを海にたとえて苦海(くかい)という。」ところから、「苦しみの多い世界」という意があるようだ。そう、「べらぼう」とやらが放映されているが、冒頭で「苦界に身を落とした遊女」の話があったっけ。音だけだとあまりいい印象はないでしょ。
漢字では「九蓋(階)草」と表記する。「輪生する葉の繰り返しが9層になることに由来する」とある。あるいは、仏具の一つ、天蓋に似るところからの命名とする説もある。こうのようであれば、少しは有り難みも湧いてくるというもの。モノには表裏二面の意があるということか。
小・中学校や公園のある道を経てコープへと、いつもの通り、ちょっとした買い物がてらのブラ散歩である。
この時季、トウカエデが大変なことになっている。爆発的な花付きに枝もたわむほど。
秋ともなれば、たくさんのギンナンが実る街路樹のイチョウである。今まで気づかなかったが、なんだ、この苗の発育の良さは。量も凄いね。
「イチョウの抜き苗です!」--十把一絡げでオークションで販売できるかも 笑
アジサイの仲間は三種ほど。一重の萼咲きであるこの奏音(かなと)、やはり一重の萼咲きの藍姫(あいひめ)、それに八重白花ガク咲きのホワイトエンジェルである。
アジサイの仲間は、意外と簡単に挿し木が成就する。鉢植えの奏音の他に地植えが一株、藍姫も地植えで三箇所ほど、ホワイトエンジェルはあっちこっちと場所を移動し、いまでは南側の小庭の外れで生きている。
ホワイトエンジェルにはつぼみが付いているが、他のヤマアジサイにはつぼみが見えない。昨年の強剪定が響いたか。
北岳のミヤマハナシノブだが、花の終りが近づいている。高山植物の範疇に入るとされるこの花が、この地で、これほど咲いてくれるとは思わなかったので、驚き、かつ大変喜んでいる。
さて、問題は夏越しである。せいぜいが遮光ネットの陰に置くといった程度で、その他に何を、どうすればよいのか、ノーアイディアなのである。あ~、苦い経験が頭をよぎる。
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📸2021年3月5日:銅葉(黒葉)エゾハナシノブ。 ( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📸2021年3月5日:ミヤマとはだいぶ印象が異なる。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
実は、ハナシノブの類は初めてではない。2021年のこと、エゾハナシノブの銅葉改良種とされるポレモニューム・パープルレインを育てたことがある。この花、耐寒性はあるが耐暑性は「中」程度という触れ込みだった。案の定、その夏を越すことなく、次のミッションへと旅立っていった。
繰り返すが、ミヤマハナシノブは高山植物の範疇に入る。その上、オークションで落札した折に、麗々しく「北岳の」といった形容詞が付いていた。これは、酷暑に強かろうはずがない。
花後の姿を観察すると、いくつか蒴果を育んでいそうである。これは、大事に採取しておいたほうが良さそう だ。多年草といわれるが、種によっては二年草もあるという。この株のまま夏越しが叶えばよいのだが、なにはともあれ蒴果から放出される実を採取することに照準を合わせることとしよう。
さて、ここからが問題なのだ。今日(5/31)は思いの外寒い(裏フリースのパンツを引っ引っ張り出してはいている)のだが、今年も例年以上に暑さが募るようだ。
昨年、キレンゲショウマのつぼみは虫害に悩まされ、ひいては酷暑の炎熱で萎んでしまい碌な花しか見ることができなかった。クガイソウにいたってはつぼみさえ付けることなく一年を終えた。
それぞれに問題を孕みながら開花の時を待っている。
さほど大きな草本ではない。10cmほどか。そう、形態はウラシマソウに似ている。って言うか、テンナンショウの仲間に酷似しているのだ。
今年始めて仏炎苞を見た。そこからは、まるでフライフィッシングのようなテグスが放出されている。別に、ナニモノかを釣ろうというのではないらしいのだがね。
地植えにして、もう2~3年になるかな。その仏炎苞からは芳香が漂うとされている。だが、庵主はあまり鼻の具合がよくないので、その恩恵に浴したことはない。
📸2025年5月24日:シライトソウの二年苗。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2025年5月8日:50粒が3芽になってしまった。
(画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)
50粒すべてが順調に発芽したわけではない。半数以下、いや、もっと少なかったであろうか。
これも、2023年初頭にオークションで入手し、期待を込めて育ててきたものであるが、日毎、月毎に数が減り、いま、たった三芽しか残っていない。
とあるサイトでこのシライトソウの実生の花の話を目にしたことがある。花が咲くまで3年、4年もかかるのだとの記述に打ちのめされた。う~んっ、こりゃ~、花など望むべくもない状況のようだ。
昨年購入したカネシロソウの仲間たちだが、今年、芽を吹くことがなかった。
ところが、カネシロソウの発芽を思わせる芽が、坪庭のあちこちで見ることができたのである。そのうちのいくつかを鉢に盛り、遮光ネットに囲われた棚に置いてみることにした。
いまのところは、順調に生育しているものと思う。さて、夏越しである。どうなることかと、いまから気をもんでいる。
咲くことなく、数年息衝いていたシロバナショウジョウバカマの苗だが、今年ついに潰えた。小さな苗が2つほど残して。
ちょうど空いていた鉢に植え替えて様子を見ようとしたのだが、さて、この子たちも花穂をつけることなく潰えてしまうのだろうか。頑張れ、シロバナショウジョウバカマ!
そう、新着なのである。昨日(5/27)、第四種郵便で届いたばかり。最近ハマっているオークションってやつで入手した。2株、送料込みで700円である。
これだけ小さいと今年花は見られない? まぁ、気長に育てていきましょうか。
あっ、そうそう、この鉢、山野草鉢ではない。「根っこつよし」がキャッチフレーズの「スリット鉢」である。「根の生育環境を整え、植物を強く元気に育てる」のだそうで、試みに、最近はこの鉢ばかりを使っている。一番の良い点? 安さかな! ちなみに、「6号 深型 グリーン 奥行き18cm 幅18cm 高さ16cm」は、A社の通販サイトで税込み170円(2025/05/28現在)なのである。
自然は時として、驚くほどの変化を見せることがある。
「これが、あの花後の姿なの?」なんてことはちっとも珍しいことではないのだ。
ほら、ここにもかつての愛らしい姿から種子を紡ぎ出すために、その身を驚くほどに変化させた二色風鈴オダマキを見ることができる。
ヤマアジサイ奏音が目を覚ましたようだ。真花(両性花)はまだ眠りのなかのようだが、装飾花は一輪、二輪とほころび始めている。
嫌だな。アジサイが脚光を浴びるのは雨の季節。そう、梅雨を連想してしまう。
わずか3~5ミリほどの球形である。ときには、翡翠もかくやといったきらめきを見せることがある。
この実が熟す頃、萌えたような真っ赤な色に変わっていくというのだ。もう何年もユキザサと暮らしているが、まだその姿を見たことがない。今年こそと思うのだが、果たして・・・・・・。
実は、まだ、この芽の本性ははっきりとしない。葉の形状などからシロカネソウ属なのではないかと思っているのだが、決め手にかける。
それでも、雨上がりの朝、こんな姿を見せつけられると、その本性が何であれ愛おしくなってしまうのだ。
(画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰)
花の姿はイチリンソウ属を連想させる。純白の花被片に、黄色の蕊を添えたその姿はとても無垢なのである。
だが、ちらっと見えている葉は、粗粗しくさえ思えるほどだ。どちらが本性なのだろう。
放っておくと地下茎を伸ばし、どこまでも侵食していく。けっこう荒っぽい草本なのである。
まだ、「みん花」が健在な頃、ブラ散歩で盛んに通りすがりのお宅の花を撮ったものである。断りを入れ、撮っていると、「お好きなの? 草花!」などと仰ってお手植えの花をくださる方もいらした。このユキノシタもその一つ。
祖父が庭弄りな好きだったもので、幼い頃からこのユキノシタの存在は知っていた。それも、おでき(腫れ物)に効く民間薬として。そう、腫れ物ができると、祖父は庭のユキノシタの葉をもぎ取って火で軽く炙り、患部に貼ってくれたものである。
そして、もう一つ、知っていることがあった。ランナー(走出枝)を伸ばし、とにかく増えるのである。そんな経験があったため、こればかりは戴くのを躊躇したのだが、持って行けと言ってきかない。それが、いま、この坪庭にいるユキノシタなのである。う~んっ、この小さな花は殊更に綺麗なのだがね。
数年前、どこかのサイトでこのユキノシタの葉を天ぷらにして食うのだという記事を拝見した。
まぁ、民間薬として活用できるほどだから、毒性は少なかろうと試してみたことがある。
う~んっ、旨からず、不味からず、特別に味も際立ったものはなく、天麩羅の衣がついているだけに、「あ~、言われてみれば天麩羅だね!」といったところ。久しぶりに食膳に乗せ、塩でもふりかけて喰らうてみたくなったのである。