家人をクリニックに送った後、買い物がてら駅の周辺を歩いてみた。
クリニックを出てすぐ、とあるお宅のヤマボウシに驚かされた。心の中で、いつもの、あのセリフを叫んでいた。
「なんじゃあ~ こりゃぁああ~!」
この時期、ヤマボウシの木に遭遇すると、その圧倒的な数の花に驚かされることがある。
なにも、これほどまで花を付けなくたっていいじゃないか、花を咲かせるって随分エネルギーを使うんでしょ~に、と。
ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木、花びらのように見える四片は総苞片で、中央に見えるグリーンの球体を構成する一粒一粒が花、すなわちこの球体一つが花序ということになる。
その花序を頭部に、純白の総苞片を頭巾(裹頭:かとう)に見立て、延暦寺の山法師になぞらえたものとする説がある。果たして、どうなのだろう?
この木、山地や野山の林内などにふつうに見られるという。初夏の一日、山に猟にでも出かけた狩り人が、ふと見上げた山の一隅に、満開のこの木を認め、裹頭を身に纏った巨大な法師のようだと思ったとしても・・・。

📷2022年6月10日:裹頭を纏った巨大な山法師が、辺りを睥睨しているかのよう。
ずんずん、ずんずんと迫りくる巨大な山法師! 独り山の中でこんな光景を目の当たりにしたら、神々しさのみならず、畏怖の念をも覚えるのではないだろうか。

📷2022年6月10日:愛らしくもあり、剽軽ですらある。
ねっ、この通り、間近で見れば、愛らしくもあり、剽軽ですらあるのだが。

📷2022年6月10日:ナツツバキ、そうシャラの木も初夏を彩る花木の一つだね。
引っ越したばかりのころ、我が家の玄関脇にはこのナツツバキが数本植わっていた。
北に面した一隅に植えられたナツツバキ、いつの間にか消えてしまっていたが、何故、そうしたのか記憶にない。
昨日の夕飯さえ朧なのに、三十数年前となるとすでに脳内メモリーから揮発してしまっているのだろう。
この時期、路地を歩くとここかしこで遭遇するナツツバキ、それほど人口に膾炙しているというのだろうか。

📷2022年6月10日:ころんとしたつぼみも可愛いね。

📷2022年6月10日:頬を淡紅色に染めて。
ツバキ科ナツツバキ属の落葉広葉小高木で、秋の紅葉だって捨てたもんじゃない。いい味出してくれるよね。
花はもちろんだけど、コロンとしたつぼみも可愛いね。
何かの拍子に、その純白の花びらに色が差すことがある。若緑であったり、淡黄蘗であったり、淡紅色であったりするようだが、そんな花びらとの邂逅が成就したとき、妙にうきうきとした気分に浸っている自分に気づくことがある。誰もが知りえない彼の君の、普段とは異なる一面を垣間見た、あっ、これはちょっと言い過ぎのようだ。。。

📷2022年6月10日:線路脇に群生するイタドリ。
妄想の中に遊んでいると、時が経つのも忘れてしまうらしい。気づくと線路沿いを歩いていた。
まだ早かろうと思っていたのだが、イタドリ(虎杖)の花がそこここに咲いていた。
タデ科ソバカズラ属の多年草、春先の若芽はスカンポなどと呼ばれ食用となるというが、食した記憶はない。

📷2017年9月5日:小淵沢町上の原辺りで撮影した赤花のイタドリ。

📷2017年9月5日:メイゲツソウと呼ばれる赤とは異なるようだ。単に、赤味の差したイタドリなのだろうか?
このイタドリであるが、なかなか奥が深いようで赤花も存在する。上記は、山梨県北杜市・小淵沢町上の原辺りで撮影したものである。
ほかにも、オノエイタドリ(フジイタドリ)などと言う高山種のイタドリがある。さらに、このオノエイタドリの濃い赤花種は、特にメイゲツソウ(ベニイタドリ)と呼ばれる。
上記の小淵沢町上の原は標高1,000メートルほどであろうか。メイゲツソウであればと思って撮ったのだが、単に色の濃い虎杖だったのかもしれない。時折り、上記の線路脇にも赤の濃いイタドリを見ることができる。この辺の変異など、野の草々にとっては何でもないことのようだ。
今日の言葉:破廉恥とハレンチ
「自民・〇〇衆院議員が離党 18歳と飲酒などハレンチ疑惑で」
ここ数日、さる代議士と未成年との飲酒疑惑がメディアを賑わしている。一言でいうと、「パパ活・未成年飲酒強要」なのだそうだ。各メディアは口をそろえ、「ハレンチにも程がある」などといった見出しが躍っている。
そう、「破廉恥」ではなく、「ハレンチ」なのだ。
ハレンチと表記すると、異国の言葉かと思うかもしれないが、歴とした日本語である。もちろん、「破廉恥」と表記する。
「精選版 日本国語大辞典「破廉恥」の解説」をみてみよう。
「名〙 (形動) (廉恥の心を破る意) 恥を恥とも思わないこと。恥ずかしいことを平気ですること。人倫、道徳などに反する行為をすること。また、そのさま。恥しらず。 ※太政官達第一二〇号‐明治七年(1874)九月一〇日「独逸国領事勤方ファバー氏に邂逅し忽抜刀追逐して兇殺せし段甚以不届之儀に付破廉恥甚を以て〈略〉斬罪申付候事」 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について」
「デジタル大辞泉「破廉恥」の解説」でも、次のように記述されている。
「[名・形動]恥を恥とも思わず平気でいること。また、そのさま。恥知らず。「破廉恥な人」「破廉恥な振る舞い」」
この「破廉恥」は、三つの漢字から成り立っている。
「廉」は、「かどがある。きまり正しい。いさぎよい。私欲がない。」などと言う意味を有する。
「恥」は、「きまりわるく思う。はずかしく思う。はじる。はじ。」、「かくしどころ。陰部。」、「世の人に対し面目・名誉を失うこと。」、「恥ずべき事柄を恥ずかしいと思う人間らしい心。」などと言う意味を有する。
この二字が組み合わされ熟語となると「廉恥」、すなわち、「心が清らかで、恥を知る心がつよいこと。」という意味になる。
その「廉恥」の接頭語(?)として、「物をこわす。こわれる。」とか、「従来の体制をくずす。」という意味がある「破」が付くわけだから、上述した解説の意味へと転化することになる。「こいつ、最低限の男だねぇ~!」なんて言われたのと同じことなんだろうね。
では、だれが歴とした日本語である「破廉恥」を「ハレンチ」に転化させたのだろう? その犯人(?)は、あのギャグ漫画の最高峰と目された永井豪氏ではないのか。 ここで注目されるのが、『週刊少年ジャンプ』(集英社)という漫画雑誌である。その1968年11号から1972年41号まで、長きに渡って連載された『ハレンチ学園』というギャグ漫画がある。そう、あのスカートめくりの一因ともなった「モーレツごっこ」を始め、当時の少年漫画としては過激な表現で物議を醸し、さまざまな社会現象の起因を派生させたあの漫画である。
あの漫画以前は、破廉恥は破廉恥であったのではなかろうか。そして、あの漫画以降、破廉恥はハレンチになったのではないか、なんて仮説を立ててみたのだが・・・。
破廉恥が破廉恥でありえたあの時代、私たちは世の中のよしなき事に目くじらを立てることなく生きていたと思う。
破廉恥がハレンチとなり果てたいま、私たちはクラウドやSNSでよしなき事にも目くじらを立て、果ては炎上などと言う騒擾にまで高めてしまっている。
そのエネルギー、無駄とは言わないが、もっと別に使う方途はないモノなのかなぁ~、なんて思ってしまう。
だがね、いつの時代でも、この「ハレンチ」との烙印を印された代議士さんの所業は、許されざる暴挙というべきであろう。